鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

268 霜降の光

2022-10-27 13:00:00 | 日記

3週間前まで夏日が続いたかと思えば今週の雨の日は12月の気温で、秋らしい日々はもう来ないのだろうか。

節季は霜降となり北国では枯景色も当然だが、鎌倉では異常に早い秋の終りだ。


1日だけ秋麗と言える日があって、散歩のお供に愛用のオールドレンズを持ち出した。

ーーー丈高く枯れ残光に抱かれをりーーー



(使用レンズ ライツヘクトール7.3cm f2.2  ドイツ 1931年製)

近所の空地の枯草でさえも、晩秋の陽が差せば荘厳な自然美を見せる。

やや緑を残しながら、雨続きの冷込みで草草は早くも枯色となった。

秋の斜光は地の物全てをドラマチックに輝かせて、普段は平凡な景でも良い写真が撮れるものだ。

隠者の100年近く前のライカレンズは、不思議とそんな色彩を捉えるのが得意だ。

一方で都会的現代的な光景には、鮮鋭度が低いため不適かも知れない。


鎌倉の山野が紅葉し草が枯色となるのは通常は11月下旬なのに、今年は紅葉する前に落葉している。



(使用レンズ 同上)

我家の裏塀の蔦紅葉も23日見ない内に半分以上が雨に散り、今日は残る葉よりもその光と影の綾が深秋の想いを強める。

通年ならもっと赤くなってから散るので油断していた。

ここでもオールドレンズの柔らかな描写は秋麗の光に適っていよう。

物質の精密描写は苦手な代わりに夢幻の光陰を写せるレンズは、止観(観るな!感じろ!)の名玉とでも言うべきか。


厨では冬用に作っておいたドライフラワーの出番が来た。



(使用レンズ ニッケルヘクトール5cm f2.2  ドイツ 1930年前後)

初冬の陽差しの中でスープを煮込むような時間には、ドライフラワーとカザルスのチェロ曲が似合う。

11月はそんな日が増えそうなので、厨仕事のBGM用に新たな楽曲も仕入れておきたい。

天候時候に文句を言っても仕方ないので、秋を諦め冬の気分に切り替えて暮しを楽しむとしよう。


立冬にはまだ少し間があるが、明日からは冬物衣料に暖房器具も取り出して冬支度だ。

ーーー鳩が目を瞑れば街に冬が来るーーー


©️甲士三郎


267 秋寂の句歌

2022-10-20 12:58:00 | 日記

案じていた通り今年も雨が多く秋麗の日は数えるほどで、この後1週間程の晴天予報の日は大切に過ごしたい。


それでも天候は悪いなりに秋も深まり、灯火親しむには好適な時期となった。

そこで先ずは秋寂に浸るのにもってこいの歌を紹介しよう。



(直筆短冊 若山牧水 古織部徳利杯 山籠 江戸時代 李朝燭台)

「しらたまの歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけれ」若山牧水。

酒好きならずとも良く知られた歌で、本人も求められるままに軸や短冊に沢山書いたようだ。

この短冊と美酒があれば、たちまち秋の夜の静謐なる夢幻に浸れる。

加えて野の花と栗鼠が齧った柿と栗を飾り、古机の上を秋の山野としよう。


次いでは我が亡父の若い頃の師であった石田波郷の名句。



(病雁 初版 石田波郷 独楽塗蓋物 昭和前期)

「雁やのこるものみな美しき」石田波郷

「病雁」は物資乏しき戦後間も無くに出版された粗末な紙質の小さな本で、戦時中の句が多く収録された貴重な句集だ。

当時の読者は皆この句に出征して行った兵士達の心情を重ねて感じ入ったと亡父から聞いた。

波郷自身は中国出征中に宿痾の胸膜炎を発病し、終生に渡る闘病生活となった。

戦前昭和の器で菓子を供えて、この早逝の俳人を偲ぼう。

深秋の想いの中に波郷と父達の時代が浮んで来るようだ。


最後は先日も少し触れた秋艸道人こと会津八一だ。



(鹿鳴集 初版 会津八一 古高取大瓶 幕末〜明治頃)

「おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ」

(大寺の丸き柱の月影を 土に踏みつつ物をこそ想へ)会津八一。

「鹿鳴集」を代表するこの歌を読めば、誰しもが秋寂の想いひとしおであろう。

私も奈良大和路は絵の取材で若い頃から何度も通っていて、この歌集や和辻哲郎の「大和古寺巡礼」は旅の愛読書だった。

実はこの歌の直筆の書があるのだが未表装で痛みがひどく、そのうち綺麗に修復したらお見せしよう。


晩秋は己が詩魂を鍛えるのにも良い時節だ。

古人先達の句歌に日々親しんでいる内に、こんな隠者の些末な底の浅い想いも今ひとつ深く掘り下げられる気がして来た。


©️甲士三郎


266 寒露の月宴

2022-10-13 12:55:00 | 日記

ーーー居待月臥待月も過ぎたるに 待つ心のみ残りて消えずーーー

鎌倉の9月の中秋はまだ夏の暑さなので我家の観月は10月寒露の頃と決めているのだが、満月当日の宵の内は生憎の曇り空で月の出は見えなかった。


夕食の片付けが済んだ夜9時頃には雲が薄れ、太白星を伴なった秋月が雲間に顔を出してくれた。



雲ひとつ無い快晴の月よりも薄雲に見え隠れする月の方が光彩の変化に富んでいて面白い。

酒茶を飲み詩歌を吟じつつ雲間の月の行く先を計り、しばらくしてまた谷戸に出たりするこんな夜は、我が1年の中でも最も美しく澄んだ夜ではないか。

こんな夜が我が残生にあと幾度あるかと思えば、天地はなおさら幽邃に見えて来る。


現実界の月が雲隠れの間も、夢幻界の月は書画の中に煌々と輝いている。

月夜の独宴に文人茶会の画幅を掛けた。



(観月茶宴図 田能村直入 高取大瓶 江戸時代 粉引徳利杯 李朝時代)

直入は田能村竹田の養子で幕末〜明治まで活躍した文人画末期の泰斗。

月見では酒宴の画は多いが茶宴はあまり見た事が無い。

それだけ直入も頼山陽や竹田達の煎茶会に憧れていたのだろう。

見えにくいが画中左上方に月が描かれていて、月明下で茶を沸かし詩画に興ずる実に高雅な文人達の宴だ。

画中は茶宴なので敢えて卓上には酒器を出し、即吟の句を携えて隠者も古人達の宴に推参しよう。

ーーー竹林を茶烟の昇る星月夜ーーー


古詩には月の良作が沢山あり、会津八一もまた心中に常に月輪を抱いていた一人だ。



(直筆色紙 会津八一 古織部蓋物 鬼萩茶器 幕末〜明治時代)

詩は「月在青天秋在瓶」。

当然瓶の中は秋の新酒な訳で、また壺中天の逸話も踏まえているのかも知れない。

ここでも画が酒器なら、ひねくれ隠者は茶器を並べて対抗する。

この頃やっと鬼萩煎茶器の良さがわかって来て、今秋から使い出した物だ。

近年の八一は歌人としてよりも書家としての人気が高いようで、直筆の書画は高値でもう私如きの手には入りそうも無い。

彼の短歌については結構資料も揃っているので、また別稿でじっくり論じよう。


ひと昔には詩的人生とか芸術的生活と言う語句があって、その対極で散文的日常と言うのもあった。

明月の夜は古典や名作の詩歌を読むだけでも散文的日常からは脱出できるので、この日くらいは普段繁忙なる世人とても離俗の夢幻夜に浸って欲しいものだ。


©️甲士三郎


265 秋気の珈琲

2022-10-06 13:05:00 | 日記

ようやく長い残暑が終り鎌倉も清風澄江の秋となった。

週末にかけては雨模様らしいが、残暑よりは秋雨の方が余程詩情がある。

そして何より暖かい珈琲の時節到来だ。


我が荒庭の真中に100歳近い金木犀の大木があって、この時期はその香りと零れ花が庭中を埋めて豪華だ。



(会津本郷焼ポット 益子焼カップ 大正〜昭和初期 大樋長楽花入)

秋気満ちる日の珈琲には、武骨でやや厚手の古民芸の陶器が最適だろう。

この隠者が長年至高の珈琲碗を探して洋の東西、中世陶から現代作家まで試した結果、たどり着いたのが明治〜昭和初期の薪窯の頃の民芸陶器だ。

紅茶には絢爛豪華な色絵金彩磁器が良いが、珈琲には重厚かつ簡素な陶器が似合う。

各地の民芸窯も戦後は西洋の芸術意識で余計な個性や技巧に走り、素朴さを失った物が多いのが残念だ。

諸物価高騰の折にも古民芸はまだまだ安く、手作りなので同じ窯でもひとつひとつ上がりが違い中には桃山茶陶に迫る物もある。

ーーー音楽に金木犀の香は流れ 陽は珈琲の湯気に舞ふ秋ーーー


数ある珈琲の詩歌の中で最も隠者の好みなのは吉井勇の下記の歌だ。



(酒ほがひ 初版 吉井勇 丹波小壺 幕末頃 益子カップ 昭和前期)

「珈琲の香にむせびたる夕より 夢見るひととなりにけらしな」 吉井勇

彼の処女歌集「酒ほがひ」中のこの歌は、今も京都河原町の老舗カフェの前に歌碑が残っている。

戦中戦後の吉井勇は歌壇や結社から遠ざかって洛北に幽陰したが、正に夢見るひととして晩生を過ごした感がある。


歴史的にも秋は詩句歌の名作が沢山生まれている季節で、逆に夏は最も良作の少ない時だ。

詩神サッフォーに珈琲を御供えして、この秋の我が詩歌の豊穣を祈ろう。



(竪琴のサッフォー ギュスタブモロー 19世紀 益子湯呑 昭和前期)

ギリシャから遥か極東の地まで旅して来た詩の女神には、和洋折衷の饗応で湯呑茶碗にて珈琲を奉ろう。

カップ&ソーサーは小石原、ポット&ドリッパーは備前の古い作家物(陶印が潰れて判別不能)

BGMは夏に散々ハープ曲を使って来たので、ここはハープシコードによるバッハの平均率が良いだろう。

花はエーゲの薔薇が欲しかったが、当然この時期には無い。

ーーー美しき旅人ひとり鎌倉の 秋咲く薔薇に顔(かんばせ)寄せてーーー


鎌倉の秋は10月から12月中旬まで楽しめるので、晩菊の谷戸や石蕗の路地巡りなどお薦めしたい。

吟行も秋の深まる程に良い詩想が得られそうで楽しみだ。

ーーー吹く風に捧げて菊の花ちぎり ちぎりて放つ渡り人とてーーー


©️甲士三郎