鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

43 壺中の隠者

2018-06-28 12:13:53 | 日記
---焼け焦げし壺の口から梅雨の花---

(古伊賀破れ壺 桃山時代 探神院蔵)
中国の仙譚にある壺中天とは、壺の中にある別天地に住む仙人の話だ。
古代の大陸では絶え間ない戦乱から現実逃避出来る異次元の理想郷への憧れは、さぞ強かったと思う。
ガンダムやマクロスのスペースコロニーを壺型に極小化したと思えば、若い人達にも通じ易いか。
芭蕉の言う「虚に居て実を行へ」も、古仙が壺の中から外界を観想するのに近い。
私も40歳頃、変わった壺ばかり集めた時期がある。
一番気に入っていたのは古常滑の破れ壺で、割れた所から秋草が生えるように活けて庭に鳴く虫の声と共に楽しんだものだ。
ところが大きな壺がいくつか集まると、やはり置き場所に困る。
そこで泣く泣く買うのは小壺に限る事となった。

(古信楽壺「蹲る」 室町時代 探神院蔵)
隠者の壺は歪んでいなければならない。
色は土色と自然釉のみで、色絵磁器は認めない。
古の茶人や武将達は種々ある壺の中で、室町時代の伊賀信楽の稚拙な種壺を花器に見立て、「蹲る」と呼んで珍重した。
ゆがみ、焼け焦げ、ひび割れ、自然釉吹き荒ぶ様は、さしずめ戦乱の焦土だ。
そこに活けた可憐な一輪の花は、戦国の世に灯る祈りの一輪だったろう。
現代の華道と戦国武将の愛でた花は、そのあたりのの精神性が全く違う。
---破れ壺(やれつぼ)に三日遊びて蜘蛛死せり---

(古瀬戸水瓶残欠 鎌倉時代 探神院蔵)
戦国中世の壺は流石に高価だが、江戸から明治頃のひび割れた小壺なら誰でも容易に手に入るだろう。
割れて水が漏れるなら落しの竹筒でも入れて置く。
入門用に一つ贖い路傍の花でも入れてみれば、現実とは別の天地が拓けてくるので是非試してみると良い。
また活け方も流派花と違い、投げ入れ花(茶花)と言う簡素なやり方である。
基本は一種活けで教導不可、各々の感性で工夫するのが正道。
昼顔の蔓を巻きつけるとか、周囲に落葉を散らし枯一枝を活けるとか、何でも自由だ。
試行錯誤の過程で、作法技術より美意識や世界感を研ぎ澄ます事が出来る。
古びた小壺一個、隠者の秘宝と言えよう。

---秋天や常滑壺の口ぽかん---(旧作)

©️甲士三郎

42 歌姫救出

2018-06-21 08:50:34 | 日記
今回は若き日の隠者が活躍する話!
昔ある時鎌倉の古道具屋に置いてあった水屋箪笥の引出しに、襤褸裂に包まれた小振りの扁額を見つけた。
かなり傷んだ歌仙図で店主に聞くと「そんなの入ってたのか。気が付かなかったから三千円、いやそれだけボロボロなら二千円で良いよ。」との事で早速購入した。
さりげなく百年物の箪笥の方を褒めながら、店主の気が変わらない間にそそくさと店を出た。
この絵は古画専門業者に見つかると、価格が二桁は上がってしまう。
傷みを完全に修復すれば三桁かも知れない。
急いで帰らないと!

(歌仙図部分 狩野探幽筆 江戸初期 探神院蔵)
無款だが絵具や様式は江戸初期狩野派の奥絵師の物で、形態感や線描から見て狩野探幽の作品だ。
当時の大名家が朝廷や神社に納めた三十六歌仙の扁額の中の一枚、待賢門院堀河の絵である。
探幽特有の繊細で品のある描線も、愁いに伏せる歌姫の姿に合っている。
古画の修復は一応プロなので、酷い傷みだけ取り敢えず直しておいた。
数百年の流転の傷が癒えるまで、我が院でゆっくり休ませよう。
一仕事終えた若き隠者は、もうすっかり薄幸の姫を救い出した勇士の気分になりきっていた。

さて花でも飾って一服しよう。
皿の上には菓子ではなく薬があるのが泣ける。

(双耳硝子壺 古九谷小皿 哥窯碗)

他にも鬼門守護職としての冒険なら、十王岩の大百足封印、衣張山の鎌倉蜘蛛滅却、紅葉谷の瘴気の謎解き、など多々あるが秘して語らじの掟で詳しくは話せない。
一つだけ軽く花鎮めの顛末を紹介しよう。
毎年大塔宮の首塚の山から散る桜の花びらが、我が探神院の前の水路に溜まる。
これを放置しておくと皇子の怨念で花鬼と化すので、花鎮めを行うのだ。
と言っても護法剣で邪を祓い、小短冊に鎮魂の歌を書いて水に流すだけだ。
今年の短冊の歌は、
---もう何も起こらぬ所水底は 冷たく保つ花の白妙---
数日後の夜雨で花屑は無事に消え去っていた。

©️甲士三郎

41 隠者と愚者

2018-06-14 15:51:42 | 日記

(十牛図)
禅書の十牛図の最終形「入鄽垂手」は、覚者が市塵に塗れだらしなく歩き回る姿である。
解釈は例により不立文字、臨機応変、千変万化するが、絵だけ見ると西洋で言う愚者に似ている。
愚者なら私でもなれると思い、襤褸を纏いだらだらと市中に出て見た。
つまり風体はいつもと同じだが、愚者だと思えば少し身軽になった気がするくらいだ。
隠者は最低限の詩書画が出来ないと務まらないが、愚者は何もしなくても済む。
ただ「大賢如愚」とも言って、たまには賢い事も言わないとだめだ。

(愚者 タロットカード)
街中で愚者らしい句歌を試してみた。
---老骨のひょいと跳び越すにはたづみ 天上天下逆さに写す---
(にはたづみ)は水溜の意。これぞ狐狸禅、似非道歌!
しかし一休禅師のような大愚に堕ちるには、まだ魁偉さが足りない。
---白服の老人軽し風の廊---
こちらの方が良いか。

この手の句で傑作は高浜虚子の「老僧の骨刺しに来る薮蚊かな」だと思う。
ただ、いわゆる俳禅一如とか言い出すと流石に古臭い。
西洋的な愚者やトリックスターの概念の方が、きっと若い人達には分かり易い。

---冬瓜はいつも座ってゐて偉い---
これは30歳頃の作で、当時は満足出来た句だった。
私は元来隠者なので、禅方面は精々が中愚止まりで相応だ。
あと十年二十年後には愚かさにももう少し磨きがかかるように、もっと馬鹿な事を沢山やらなければ!

©️甲士三郎

40 自然感応力

2018-06-07 14:48:37 | 日記

どんな人でも若い頃は山河草木、花鳥風月に対する感興は薄い。
自分の事と精々身近な人界の事で精一杯なのが普通だ。
歳を取るといい加減自分の内界にも飽きて来て、外界の森羅万象へ眼が向くようになる。
更に老い先短くなってもう何回も春秋を見る事が出来ないと知り、やっと自然や世界の愛おしさが身に沁みてくるのだ。
私は日本画家なので若い時から四季の風景や風物に眼が向いていたが、それらを心で感じ取れるようになったのはようやく40歳頃だった。
その後の自然感応力の鍛錬は(感応)(観想)(止観)(観自在)と進むのだが、一子相伝の秘奥義なのでここでは語り切れない。
路傍の雑草の花を見て戦場の焦土に咲く一輪を想起できるような者なら、苦闘の末に自得するのが一番良い。
拙句で分かりにくいだろうが例だけ示しておこう。
(感応)---露草がめそめそと咲く曲り角---
(観想)---露草がめそめそと咲く帰り道---
(止観)---露草がめそめそと咲く長き道---
同じ自然の美を感じるにも、練度により深浅貴賎の差があるのだ。
ただ補足すると、前世紀俳句では客観写生で止めろ、とも言っていた。
いずれにしろ心していないと歳と共に感動する事が減り、何事にも鈍くなるのは明白だ。

自然感応力が高まれば、ありふれた日常生活にも情感が満ち溢れる。
雨の散歩道も蝸牛も紫陽花もみな愛おしめる人には、身の回りの至る所で小さな奇跡が見つかるだろう。
そのうえ詩や歌、絵や写真の趣味があればもう至福と言えよう。
ただの散歩が即世界の深淵への旅につながる。

---ででむしの渦は誰にも止められぬ---
---鎌倉の古き土より咲き出でて 額紫陽花は仮の世の色---(旧作)
落ちぶれ隠者にとって世俗の評価は眼中に無いが、自己満足くらいはしたい。
ところが自分が満足できる作品こそ最も得難いのが常だ。
それでも私にとってこの世界は美や詩情にあふれている。

我が師奥村土牛は、その先師の横山大観筆「天霊地気」の軸を掛けてよくご覧になっていた。
私が言うと少々胡散臭いだろうが、天霊も地気も確かに実感は在る。
あるいは「気韻生動」も東洋の詩画人が大事にして来た言葉だ。
要はそれを感得しようとする強い意志があるかどうかだ。
古人師父が信じたものを、現代人も少しは信じてみる価値はある。
昔ながらの教えを教条主義的に守る必要はないが、ことに行き詰まっている前衛方面の人達には古の神秘主義の啓示が役に立つ気がする。


©️甲士三郎