鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

368 俳聖の初版本

2024-09-26 12:51:00 | 日記

この数ヶ月は酷暑と体調悪化に加え老々介護の三重苦だったが、今週はようやく秋風が吹き出し庭の鈴虫も元気に鳴いている。

この夏で唯一良かった事は、年末年始に蕪村筆の芭蕉像をお祀りしたご利益か、何と芭蕉の元禄版「猿蓑」初版本や「曠野」「俳諧七部集」「梧一葉」の初版本が次々と手に入ったのだ。


吉井勇が洛北隠棲中にこの元禄版「猿蓑」を入手して大喜びする随筆がある。

当時は大層な値がしたのだろうが、私は俳聖の御加護により痛みはあるものの僅か数千円で買えてしまった。



(猿蓑 元禄版 芭蕉 江戸時代)

「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」芭蕉

オークションの頁にはただ「猿蓑」とあるだけで何の説明も無く、かろうじて写真の隅に元禄四〜と井筒屋の字が写っていて初版の判別が出来たのだ。

現代俳句でも古格のある句風を猿蓑調と呼ぶほど、俳句史上で最も評価の高い句集(おくの細道は紀行文)なのに、今の日本では俳句和歌関係の本などは古書業者も総じてその程度の注意しか払わない。

先年アメリカで芭蕉と同じ17世紀のシェークスピアの初版本が10億円で落札されたのは別格としても、20世紀のトールキンの初版でも100万円以上はする。

芭蕉の世界的な知名度は日本人が思っているより遥かに高いのに、日本国内での俳句作品の安さは悲しくなる程で、自国文化に興味さえ持たない日本の富裕層の知性の低下が嘆かわしい。


有名な「おくの細道」も「俳諧七部集」も本人死後の出版だから、生前に出された「猿蓑」や「曠野」初版の価値は私に取っては格別なのだ。



(曠野 元禄版 梧一葉 七部集 享保版 芭蕉 江戸時代)

「梧一葉」は芭蕉のまとまった俳論としては唯一の書で、これは芭蕉の死後弟子達により出版された本だ。

そしてこの「曠野」と「梧一葉」は他の江戸本と一緒に、5冊5千円と言うこれまた冒涜に近い扱いだった。

お陰で今年の秋はこの俳聖の貴重なアーティファクト(聖遺物)をじっくりと味わえる。

格調高き芭蕉の句集には、およそ同時代のイタリアバロックの曲がとても良く合うのも嬉しい(ロココ宮廷調の曲は除く)

星風通う窓辺に座り17世紀の古書と音楽と茶を味わうのは、幽陰の老文人にとっての至高の夜だろう。

ーーー古俳書に古楽を供し秋深むーーー


中秋も彼岸も過ぎてやっと普通の残暑と言える程度になった。



荒庭の秋草を籠に活ければ、屋内にも秋風が通ってくる。

以前ターシャ・テューダの映画で彼女が庭に咲いた初秋の花を質素な清朝の染付壺に活け、小屋の窓辺に置き大層嬉しそうに眺めていたのを思い出せば、あれも部屋に風を呼んでいたのだと今なら良くわかる。

秋の草花と素朴なな竹籠は古人達がこよなく好んで来た取合わせで、もう少し丈の高い薄や晩秋の枯草には一部ひび割れたような豪快な古壺が最適だ。

ここでもイタリアバロックの「アルビノーニのアダージョ」などの愁いを帯びたヴァイオリンの音色が秋意を誘う。

若い家人が教えてくれたカルミニョーラの演奏は、20世紀のバロックヴァイオリンが陳腐に聴こえるほどの妙技と音質で驚いた。


国文学者の亡父の専門が江戸俳諧だったので、上の写真を撮る前に彼岸の仏前にこの「猿蓑」等を花と一緒に御供えした。

父ならこの芭蕉の初版本にいかほどの値を付けただろうかと想像すると、今の日本と我が身の貧しさが情けなくなる。


©️甲士三郎



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