鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

285 文机の梅一枝

2023-02-23 13:10:00 | 日記

ようやく我家の梅も咲き揃い、先々週にやった古画の梅花書屋の気分を満喫している。

早速紅白の枝を古器に入れて眺めているところだ。


我が荒庭の梅と椿は数本づつ色の違う木があり、咲き競う花々には朝な夕な春の鳥達が訪れてくれる。



(黒唐津大徳利 幕末〜明治 句集古鏡 初版 水原秋桜子)

木の屋号入りで安物雑器扱いだった昔の大徳利には、荒庭に咲いた鄙びた梅が良く似合う。

江戸時代の文人達はこんな感じの自由闊達で創意工夫を凝らした花を好んだようだ。

彼らは既成の作法や名物の茶器花器などを最も嫌っていて、その煎茶会は礼法も決まり事も無い砕けた雰囲気だったらしい。

よって隠者も一応古流の作法技法の知識だけはあるが、茶も花も己が美意識のみの独楽自娯でやっている。

そもそも古器雑器の花など諸流派ではほとんどやらないだろう。

秋桜子の句集の日焼した朽木色も梅に合っている。


古器に梅一枝さえ挿せば、たちまち昔の文人の机辺を幻視出来よう。



(文机 明治時代 小鹿田焼油壺 大正時代 益子焼湯呑宝瓶 大正昭和初期)

本は室生犀星の詩集「抒情小曲集」。

室生犀星は作庭の本まで出すような庭好きで、当然寒中三友の松竹梅は必ず植えていた。

また鏑木清方などは気に入った古梅と生涯を共にすべく、引越し先にも持って行くほどに梅を友として遇している。

古人達は厳しい寒さに耐えて春を待つ分、春告花が咲いた時には現代人より遥かに嬉しかった事だろう。

きっと取って置きの花器に一枝を入れて文机に飾ったに違いない。

隠者も日々の暮しに古書とお茶と花は欠かせず、花入は一生飽きないような量を確保してある。


寒椿に続いて斑入りの春咲き椿も咲き出した。



(信楽小壺 桃山時代)

この可愛らしい椿は隠者の掌中の玉である古信楽の、いわゆる蹲(うずくまる)壺にその名の通り蹲るような花姿で入れてみた。

焼焦げ歪み自然釉の垂れた小宇宙のような幽玄な景色が、古詩に言う「壺中日月長」を観想させる。

更には焦げ色が戦禍の焦土にも見えて、そこに咲く鮮烈可憐な命がより愛おしくなる。

元は種壺だった物で上の写真3点共に花入では無く、雑器からの転用と言う辺りが遊戯(ゆげ)の文人好みたる由縁だ。


ーーー梅の精椿の精と暮したる 花入遺る夢跡の家ーーー

幽陰の友である庭木を歌った一首は、その木に宿る花精にこそ詠んで聞かせたい。


©️甲士三郎


284 早春の古丹波

2023-02-16 13:00:00 | 日記

春の野の花には素朴な古丹波の花入が良く似合う。

古丹波と言っても六古窯時代の物ではなく、江戸後期〜明治頃に焼かれた壺や徳利が野の花を入れるのにぴったりなのだ。


可愛らしい土色の小壺にちょっと菜の花でも投入れれば、この花入が生まれた時代の美しき丹波篠山の田園田家も目に浮かんで来よう。



(古丹波双耳小壺 傘徳利3種 江戸後期)

暖かき春の日は野辺に座して花と戯れ家に帰っては古陶と遊び、美しき夢のような時はあっという間に過ぎて行く。

古丹波は一昔前までは日用雑器扱いでかなり安く購入出来たので多様な色形の物が結構集まっていて、この花にはどの花器が合いそうだとか悩む時間もまた楽しい

そんな時間のBGMはどう足掻いても洋楽は丹波には似合わないので、近年驚異的な進化を遂げた中国のミュージックシーンで老師と敬される林志炫(Telly Lin)のアルバム「One take」にしよう。

この人の音楽は現代的ながら中国江南のノスタルジックな田園風景を喚起させる物があり、明治大正頃までの日本の農村のイメージにも通じる良さがある。


古丹波はまた閑寂な文人画や俳書とも相性が良い。



(直筆句軸 富安風生 古丹波瓢箪徳利と柿右衛門香炉 江戸時代)

富安風生の句はたわい無い茶飯事の中に滋味を感じる物が多い。

「早春や狭庭なれども梅椿」風生

平凡な上に季重なりのとぼけた句だが、我家の早春の情景にはぴったりだ。

それに合わせて花器もひょうげた瓢箪形の徳利を選んだ。

これが和歌短歌だともう少し高雅端正な花器でないと合わないだろう。


花入類も長年の間にだいぶ増えて置き場所に困り、次第に大きな物は庭にはみ出して行った。



(古丹波古備前など 本は柳宗悦著 丹波の古陶 初版)

大甕には蓮が植えてあるが、他の壺や大徳利は使う時だけ屋内に入れ替える。

こんな荒んだ景も半分草に埋もれて来ると、柳宗悦が語っていた丹波の古窯跡のような趣きが出て今は結構隠者好みの景色だ。

春の八千草の中に据わる破れ壺には野武士のように居直った貫禄がある。

近年は各地の美術館記念館などが地元の古窯の調査や展示を盛んに行ない、昨年には東京と京都で柳宗悦と民藝展を大規模に開催したために、古民芸の価格も上がり隠者にはもはや手が届かなくなってきた。

我が荒庭の古陶たちはもうこれ以上増える事も無く、このまま草に埋もれて行く定めだ。


ーーー草萌に埋まる壺の口ぽかんーーー


©️甲士三郎


283 浄界の梅花書屋

2023-02-09 12:59:00 | 日記

我家の梅が咲くのはまだ少し先だが、谷戸の日当たりの良い場所の梅はだいぶ咲き出した。

梅は桜より一段と古風な趣きがあり、梅の咲く家は江戸時代の文人の草庵を想わせる。


古の文人達の理想の暮しは深山幽谷に隠棲して、花や古書画を飾り茶を喫し詩書画に耽る事だ。

そしてこの絵のような梅渓の書屋こそ江戸の文人教養人の欣求した清浄界だった。



(梅花書屋図部分 浦上春琴 江戸時代)

浄域と言えば中国人なら神仙境や桃源郷を想い浮かべるところを、日本では梅渓の幽居のイメージが定着していた。

清浄なる山中で超俗の精神生活を営むのが文人高士達の究極の目的で、彼等は職業人として詩書画の業績を高めるよりも、生活人として日常茶飯事の心境を深める事を優先していたようだ。

俗世で高名を得て多忙な日々を送るよりも、隠棲して高雅な人生を過ごすが楽しいに決まっている。


梅花書屋の画題は江戸から明治にかけて数多く描かれていて、市井の読書人も喜んでこの手の絵を飾り離俗隠棲を夢見ていたものだ。



(梅渓書屋 木内直秋 明治時代)

直秋は田能村直入の弟子で田能村竹田の孫弟子にあたる。

竹田の時代の梅花書屋よりもさらに幽境に遊ぶ感が強まっていて、より強く夢幻の浄界を描こうとした頃だ。

この後の昭和時代はあらゆる文化の大衆化により、文芸は現実的な私小説が流行り絵画は即物的リアリズムが主流となって行き、胸中の理想郷を描く山水画は徐々に廃れてしまう。


大正昭和初期には深山幽谷から田園田家の絵に人気が移る。



(田家早春図 林文塘 昭和初期)

この頃には文人的な理想郷のイメージに地方から上京して来た人々の望郷の思いなどが相まって、四季の田家の絵がかなり増えて来る。

隠者は夢幻界の住人だから当然古い時代のファンタジックな理想郷の方に憧れるが、この戦前昭和の田園の景でも現代の実景と比べれば余程美しいとは思う。

そして戦後に至ると理想も哲学も宗教性も捨てた、現実的で写真のような風景画に変わって来る。


文人達の心の故園を描いた梅花書屋の古画は、画中の世界へ移転し得る者に取っては奇跡の聖遺物だ。

これらの絵が伝える離俗高雅な暮しが、未来の日本人の夢の中にだけでも存続する事を祈ろう。


©️甲士三郎


282 立春の賀

2023-02-02 13:11:00 | 日記

ーーーまだ何も芽生えては来ぬ鎌倉の 古びし土に浸みる春の陽ーーー

今週末はようやく隠者の待ち望んだ立春だ。

今年はアジア圏の春節が早く来て先週から各国の祝賀イベントがネットに流れていたので、日本の立春が尚更待ち遠しかった。


我国では立春の行事は何も無く各地の寺社の豆撒きも中止だが、隠者はひとり密かに迎春の賀を楽しみたい。



鎌倉で最も早く咲く荏柄天神の梅が、ほぼ例年通り他に先駆けて咲いている。

近年の天変地異、疫病、不況などの禍事を経験して来ると、何事も無く普通に花が咲くだけで幸福だと思うようになる。

また今年の立春には社殿の左右にある紅白の梅が同時に咲き揃ったのも瑞兆だ。

天神は元来雷の祟り神なのに今ではすっかり受験の神へとその身を窶し、この12月が最繁期でテント張りの絵馬書き用テーブルが境内を占めている。

梅の花だけが本来の主人を忘れず歳々の春を告げていて、もうここは天神より梅が主人で良い気がする。


鎌倉が誇る鏑木清方の新春の美人画を飾れば、我が侘び住まいも春らしく華やいだ気分になる。



(若松引き 鏑木清方)

清方の絵は市井の暮しを描いた淡彩の親しみ易い物が多いが、これは平安時代の春の宮中行事を岩絵具で描いた品位ある作品だ。

現代はちょっとその辺で若松引きとは行かないが、我が谷戸で芹や若菜を摘むくらいは出来る。

自然から離れた都会人は心底春を祝う気持ちにはなり難いだろうが、鎌倉では梅が咲きだし鵯や鶯の笹鳴きが聴こえると自ずと人の心も明るく浮き立って来る。


隠者流では旧暦正月に祝ぎ歌を詠み和歌の女神に献歌する秘儀がある。



(衣通姫絵姿 室町時代 九谷梅図徳利 昭和)

九谷の梅模様の瓶に松竹、根来朱杯に御酒で玉津島の衣通姫をお祀りした。

ーーー春立つや階高き舞殿に 顎上げて荒東風の巫女ーーー

儀式の祝ぎ歌は言霊を込めるために和語(やまとことば)を使う。

(きざはし)、舞殿(まひどの)、顎(おとがひ)、荒東風(あらごち)

儀式と言っても立春当日に神前でこの歌を詠むだけだ。

それでもこれで十分新春の清雅な気持ちになれるから立派な物だ。

この儀式の後は近所の蕾や芽の膨らみゆく様を見るにつけ日々楽しみが増してくる。


他のアジア諸国ではニューイヤーとは別に春節正月があり家中町中が飾り立てられ、瑞鳥花精の舞踏音曲が催され、親族知人が粧い集う宴に心から春の訪れを喜ぶ。

東洋で日本人だけが寒明け立春を盛大に祝えないのは民族の重大な損失だろう。

諸賢も新暦の新年の何がめでたいのか判らない祝賀とは別に、旧暦の新春迎春の宴を是非にも復活させて頂きたい。


©️甲士三郎