ようやく我家の梅も咲き揃い、先々週にやった古画の梅花書屋の気分を満喫している。
早速紅白の枝を古器に入れて眺めているところだ。
我が荒庭の梅と椿は数本づつ色の違う木があり、咲き競う花々には朝な夕な春の鳥達が訪れてくれる。
(黒唐津大徳利 幕末〜明治 句集古鏡 初版 水原秋桜子)
○木の屋号入りで安物雑器扱いだった昔の大徳利には、荒庭に咲いた鄙びた梅が良く似合う。
江戸時代の文人達はこんな感じの自由闊達で創意工夫を凝らした花を好んだようだ。
彼らは既成の作法や名物の茶器花器などを最も嫌っていて、その煎茶会は礼法も決まり事も無い砕けた雰囲気だったらしい。
よって隠者も一応古流の作法技法の知識だけはあるが、茶も花も己が美意識のみの独楽自娯でやっている。
そもそも古器雑器の花など諸流派ではほとんどやらないだろう。
秋桜子の句集の日焼した朽木色も梅に合っている。
古器に梅一枝さえ挿せば、たちまち昔の文人の机辺を幻視出来よう。
(文机 明治時代 小鹿田焼油壺 大正時代 益子焼湯呑宝瓶 大正昭和初期)
本は室生犀星の詩集「抒情小曲集」。
室生犀星は作庭の本まで出すような庭好きで、当然寒中三友の松竹梅は必ず植えていた。
また鏑木清方などは気に入った古梅と生涯を共にすべく、引越し先にも持って行くほどに梅を友として遇している。
古人達は厳しい寒さに耐えて春を待つ分、春告花が咲いた時には現代人より遥かに嬉しかった事だろう。
きっと取って置きの花器に一枝を入れて文机に飾ったに違いない。
隠者も日々の暮しに古書とお茶と花は欠かせず、花入は一生飽きないような量を確保してある。
寒椿に続いて斑入りの春咲き椿も咲き出した。
(信楽小壺 桃山時代)
この可愛らしい椿は隠者の掌中の玉である古信楽の、いわゆる蹲(うずくまる)壺にその名の通り蹲るような花姿で入れてみた。
焼焦げ歪み自然釉の垂れた小宇宙のような幽玄な景色が、古詩に言う「壺中日月長」を観想させる。
更には焦げ色が戦禍の焦土にも見えて、そこに咲く鮮烈可憐な命がより愛おしくなる。
元は種壺だった物で上の写真3点共に花入では無く、雑器からの転用と言う辺りが遊戯(ゆげ)の文人好みたる由縁だ。
ーーー梅の精椿の精と暮したる 花入遺る夢跡の家ーーー
幽陰の友である庭木を歌った一首は、その木に宿る花精にこそ詠んで聞かせたい。
©️甲士三郎