先頃全面公開となりました名古屋城本丸御殿を見に行ってきました。
2日前までの天気予報では雨でした、浜松を出る時には小雨も降っていましたが、妻が岡崎の実家に行くので名鉄本宿駅まで乗せて行ってもらいますと愛知県に入るとすっかり雨は止み晴れてきました。晴れ男コヤチンの本領発揮といったところでしょう。
名鉄の急行を途中の新安城で特急に乗り換えて名古屋に地下鉄で市役所前で下車。
ここから名古屋城正門に向かって歩きました。
正門近くにこの程オープンしました「金シャチ横丁」なる通りができていました。こちら正門近くは「義直ゾーン」と呼ばれています。
金シャチ横丁直義ゾーン、お昼時でしたのでかなり賑わっていました。
さて正門から入ってみましょう。5月6日で天守閣への入場ができなくなりましたが、入れ替わりに「本丸御殿」が完成して人気を博しています。
正門です。昭和34年天守閣と同時に再建されました。
金のしゃちほこのレプリカが置かれていました。
最初に目にするのは西南隅櫓で重要文化財に指定されています。
未申櫓ともいわれ、屋根 2 層・内部 3 階の櫓。西、南両面には、軍事用の「石落し」を張り出して屋根を付けています。2014年に改修が終了しています。
向うに見える天守閣の石垣にはもう足場が組まれています。
西南隅櫓から本丸方面に向かう門は「表二之門」といいます。こちらも重要文化財の指定を受けています。古くは南二之門といわれ、門柱・冠木とも鉄板張りとし用材は木割りが太く堅固に造られています。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。
表二之門の右側に建っているのが「東南隅櫓」でこちらも重要文化財です。辰巳櫓ともいわれています。
そしてこの後待望の本丸御殿が現れます。かなり並ぶのを覚悟していましたがすんなりと入場できました。この本丸御殿は写真撮影はフラッシュを使わなければできます。荷物等は貸ロッカーもありますので使用した方がいいかもしれません。(コヤチンは利用したので本丸御殿内スムーズに歩けました)
玄関です。本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ場所です。
襖や壁は金地の障壁画「竹林豹虎図」が飾られ、虎之間とも称されました。
次に表書院です。
三之間と上段之間。
慶長創建時には、最大かつ最高格式の殿舎だった場所です。
次に向かうのは対面所です。
上段之間 帳台構
藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた殿舎です。
廊下の飾りも手が込んで作られています。
この後が上洛殿です。
1634年(寛永11年)の三代将軍家光の上洛に合わせ新築した建物です。家光の御座所となった上段之間をはじめ、一之間、二之間、三之間、松之間、納戸之間と続きます。
まだまだお伝えしたいものは沢山ありましたが沢山あり過ぎて書ききれないし覚えきれないので割愛させていただきます。
外に出ます。
木造の天守閣に生まれ変わるために間もなく解体されてしまいます。木造天守閣にエレベーターを付けるかどうか揉めていたようですが、設置しない方向になったようです。
外から本丸御殿。
御深井丸に向かう不明門。空襲で焼失再建されました。
天守閣の礎石ですが、焼失後礎石をこちらに移設したものです。
御深井丸エリアを奥に入って行くと「西北隅櫓」があります。こちらも重要文化財に指定されています。
このエリアに「乃木倉庫」といわれる建物があります。
明治7年弾薬庫として建設されました。第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)5月14日、名古屋空襲により天守閣、本丸御殿等は焼失してしまいましたが、この倉庫のみは無事で、空襲が始まる前から避難させてあった障壁画の一部は現在まで残っています。
もう一度本丸エリアに戻ります。
快晴の中凛々しい姿で建っています。
名古屋城名物金のしゃちほこをズームしてみました。再建される天守閣にもこの金のしゃちほこが輝く事でしょう。
ちょっとディープなスポットに行ってみます。
「清正石」と呼ばれています。
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。
旧二之丸東二之門。重要文化財です。
古くは冠木門(かぶきもん)といわれ、二ノ丸の東門で三の丸からの入口にあたっていました。
さてもう一度二の丸御殿に戻って「湯殿書院」「黒木書院」の見学に行きます。こちらは15~20人程度1組で案内される方が付いて2つの書院を見せてくれます。
一般の本丸御殿の奥にありますが行く人は少ないようです。先程コヤチンが本丸御殿に入る時の列は短かったのですが、かなり長くなっていました。
この2つの書院は受付後20分程でスタートです。
まずは湯殿書院。
将軍専用の浴室です。風呂と言っても現在のように湯船はなく、外にある釜で湯を沸かし湯気を内部に引き込むサウナ式蒸風呂でした。
入浴後くつろぐ部屋です。一之間と二之間があります。
黒木書院です。玄関や表書院と比べ、落ち着いた風情のある黒木書院は、清州城内にあった家康の宿舎を移築した殿舎とも伝えられています。
これで本丸御殿見学は終了しました。
贅を尽くして作られた本丸御殿ですがこれを再建するのも大変だったでしょうね。
出来立ての本丸御殿ですが檜の香りが強かったです。
この後は東門に向かって歩いて行きます。
東南隅櫓と天守閣。
加藤清正石曳の像。
「南蛮たたき鉄砲狭間」円形の狭間跡が見られます。
この後東門を出て名古屋城の見学を終えました。
東門を出たところにある愛知県体育館。来月はここで名古屋場所が行われます。
子供が幼稚園の時鼓笛の発表会がここで行われました。
金シャチ横丁の宗春ゾーン。こちらも大盛況でした。
以前もご紹介しましたが名古屋市役所と愛知県庁どちらも重要文化財です。
テクテクと栄方面に向かって歩いて行きました。
錦のヨコイで久しぶりにあんかけスパゲティーを食べてもうすぐ無くなってしまう建物を見に行きました。
まずは栄交差点の角に建つ「中日ビル」です。
来年3月閉館して立て直しです。栄に建つ名古屋の顔の一つでしたが老朽化と耐震性能の問題から立て直しとなったようです。コヤチンが大学入学で初めて名古屋に来た時から印象に残る建物だっただけに寂しい思いはあります。
もう一つ名古屋から消えてしまう「丸栄百貨店」も見てきました。
老舗百貨店として名古屋に君臨した丸栄でしたが、去年6月いっぱいでの閉店が発表されました。ここもコヤチンにとって何度も買い物に来た事のある百貨店ですので思い出深い物があります。
あと半月頑張って下さい。
この後は広小路通りを名古屋駅に向かって歩いて行きました。
この通りは何度も車で通ったし歩いた事もある通りです。色々な思い出が思い起こされます。
堀川に架かる「納屋橋」をちょっとしみじみと見ていました。
納屋橋から堀川を眺めます。
さて目指す名駅まではあと少しです。
笹島の交差点を渡り右に歩くとこちらも名古屋名物「ナナちゃん人形」が立っています。
時季折々の姿で楽しませてくれますが、これは何だろうと思ういでたちでした。
何とも暑苦しそう。
名古屋駅に着いて帰途につきましたが、気温は高かったのですが湿度は低かったようです。こちらも名古屋名物のじめっとした気候じゃなくて良かった。
疲れたけど色々なものを見て回って楽しめた一日でした。