コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
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北条の里を歩いていました。

2022-10-15 20:52:40 | タウンウォーク
今日は沼津にいます。このところ滅多にない晴れ渡った日です。しかしこの時期にしては暑い!!
以前歩きましたが伊豆国市の北条ゆかりの地を歩いてみました。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を放送中ですのでゆかりの地を訪ねる人は多かったです。
調べましたら以前この辺を歩いたのは7年半ほど前でした。もうそんなになるのですね。

守山の登り口の駐車場に車を停めてここから歩き始めました。以前はここから守山に登りましたが今日は史跡のある方に向かいます。

ここから歩いてすぐの所にあるのが北条氏邸跡です。北条氏の本拠地です。
鎌倉幕府滅亡後は北条一族は鎌倉から伊豆に移ります。室町時代初期に北条氏滅亡後一族の円成尼が中心となって一族の冥福を祈ってこの地に円成寺を建てました。江戸時代以降廃寺となりました。
現在国指定史跡となっています。




北条氏邸跡から細い道を歩いて行きます。
北条政子の産湯の井戸は以前見ましたので今回は省きました。

次に見に行ったのは「成福寺」です。
ここは鎌倉幕府8代執権北条時宗の子正宗が一族の菩提を弔うためにつくりました。

「光照寺」



頼朝の伊豆の館は光照寺の南側にあったとされています。鎌倉二代将軍頼家ゆかりの「病相の面」が収められていますが非公開です。


「願成就院」
北条の里で一番人気のあるお寺で参拝者が多くやって来ます。
頼朝の奥州征伐の戦勝祈願のため北条時政が建立した古刹です。運慶作の5体の仏像が収められています。
先週奈良で多くの国宝仏像を見てきましたので国宝仏に麻痺してしまっていますが、県内では貴重な国宝です。
阿弥陀如来坐像の光背と台座が今年3月に甦りましたので眩しいくらいの金が輝いていました。



大御堂、この中に国宝仏が安置されています。
この裏に宝物館があります。寺宝が展示されています。



小さいですが庭園もあります。


現在の本堂は茅葺き屋根です。


大御堂の前にお寺で飼っているワンちゃんでしょうか、陽気がいいのでお休み中でした。


北条時政の墓です。
結構見応えのあるお寺でした。以前は外観だけでしたが国宝の仏像は先週に続いて癒されました。

願成就院のすぐ隣に「守山八幡宮」があります。
こちらは以前来た時は父が亡くなった後で喪中でしたので外から見ただけでしたが今日は境内に入って行きます。

こちらはかなり長い歴史がある八幡様で647年大山祗神を祭神として創建、907年宇佐八幡宮の八幡神が勧請されて合祀されたと伝えられています。
1180年に源頼朝が挙兵を挙げた地でもあります。

鳥居から階段を昇った所に舞台があります、舞殿とでもいうのでしょうか。


その裏にとっても長い階段があります。


階段を半分昇ったところ、まだ先に見えます。


ようやく八幡宮様に到着。
この後気をつけて階段を降りて行きました。

ここから江間地区に向かって歩いていきます。


「八坂神社」韮山四日町地区の鎮守社です。

松原橋で狩野川を渡って江間地区に入ります。この辺は北条義時ゆかりの地が多いようです。

北条ゆかりの地ではないのですが1930年北伊豆地震の揺れが魚雷の表面に偶然記録された「地震動の擦痕(さっこん)」(国指定天然記念物)が残されています。

江間公園の片隅に展示されています。

その隣に北条義時館跡の碑があります。


そこから少し歩いた所に「北条寺」があります。
二代執権義時ゆかりの地です。義時の嫡子である安千代丸が大蛇に襲われ命を失った時、北條寺を墓所として七堂伽藍を建立し、仏殿の本尊を慶派の仏師に命じて作らせたとされています。北条義時は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では小栗旬さんが演じています。このドラマの主演です。



こちらにも静岡県指定文化財の仏像が収められています。

境内の階段を昇った所に義時夫妻の墓があります。


北条寺を出て最後のスポット「豆塚神社」に行きます。
歩いて5分ほどで到着。

資料によりますと『延喜式神名帳』にある「石徳高神社」に比定される式内社です。
創祀年代は不詳ですが、かつては、当社の南にある男山(雄徳山)山頂に鎮座していたといいます。 北条義時が小池堀丸山(現伊豆縦貫道料金所付近)から現在の場所へと移したことが、江戸時代の板銘に記されています。
小さい神社ですが由緒はある神社のようです。

20分ほど歩いて車に戻り帰りました。
今日は季節外れの暑さでかなり疲れましたが大河ドラマを見ていてますが、理解が深まったような気がしました。


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