Burnt Norton T.S.Elliot
Ⅴ[ll.8-12]
Not the stillness of the violin, while the note lasts,
Not that only, but the co-existence,
Or say that the end prededes the beginning,
And the end and the beginning were always there
Before the beginning and after the end.
バーント・ノートン T・S・エリオット
Ⅳ[8-12行目]
ヴィオロンの音はとどまらず 書き記しは永らえ
のみならず けれど共に在る
あるいは果てははじまりに先だち
果てとはじめはつねに在る
はじめに先だつところに 果てののちのところに
※8~9行目やや訳に自信なし。何となく意味は分かる…ような気はするのですが。音楽と絵画は対極にある芸術ジャンルですよね。音は世界の一部。「描く」は対象を外から眺める。
あらゆる表現者は「絵描きタイプ」と「歌い手タイプ」に二分できる……ような気がします。エリオットは極端に「絵描きタイプ」でしょう。ただもう見ている。同化しない。交響曲第九番の某巨匠なども「80%絵描きタイプの作曲家」という感じがします。何か矛盾している気もしますが。
Ⅴ[ll.8-12]
Not the stillness of the violin, while the note lasts,
Not that only, but the co-existence,
Or say that the end prededes the beginning,
And the end and the beginning were always there
Before the beginning and after the end.
バーント・ノートン T・S・エリオット
Ⅳ[8-12行目]
ヴィオロンの音はとどまらず 書き記しは永らえ
のみならず けれど共に在る
あるいは果てははじまりに先だち
果てとはじめはつねに在る
はじめに先だつところに 果てののちのところに
※8~9行目やや訳に自信なし。何となく意味は分かる…ような気はするのですが。音楽と絵画は対極にある芸術ジャンルですよね。音は世界の一部。「描く」は対象を外から眺める。
あらゆる表現者は「絵描きタイプ」と「歌い手タイプ」に二分できる……ような気がします。エリオットは極端に「絵描きタイプ」でしょう。ただもう見ている。同化しない。交響曲第九番の某巨匠なども「80%絵描きタイプの作曲家」という感じがします。何か矛盾している気もしますが。
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