無 謬
一昨日の新聞によりますと、個人情報不正流出問題にからみNTT西社長が引責辞任すると報じられていました。子会社の元派遣社員が約10年間にわたり業務受託先の個人情報928万件を持ち出し、外部に流出させました。この責任をとったものです。
20240301朝日新聞
この記事の中に「無謬(むびゅう)性」という言葉がありました。
こうした子会社の対応に
ついて調査報告書は、NT
T西グループの組織文化に
「無謬性への執着が根強く
存在している」と指摘。
「前例踏襲」の風土や「現
場任せの風潮」があるとし
て改善を求めた。
「無謬」、あまり聞くことのない言葉です。
広辞苑初版、三省堂新明解国語辞典には載っていませんでしたが、広辞苑七版、岩波国語辞典には「無謬:理論、判断などに誤りのないこと。誤りがないこと」などと掲載されていました。
「無謬性への執着」とは間違いは起こりえない、起こっていてもあえて起こっていないと思い込むことでしょう。正常性バイアスと同じことです。
顧客からの指摘への対応の遅れ、ログの改竄の事実など故意と言われても仕方がない事態の収拾策をとったことを執着と表現したのだと思います。
「無謬性への執着」、人間も年齢を重ねると自分の考えばかりに固執し、正当性を主張し、融通が利かなくなると言われます。人間も企業も同じようなものだと、新聞を見てふと感じました。