般若心経

写経
四国八十八ヶ所

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2022-08-30 | Weblog

 石鎚山

 8月28日、石鎚山へ行ってきました。
伊予西条駅から麓のロープウェイの駅まではバスで行くことができます。約1時間の距離、日曜日とあって途中で乗り降りする人はなく、10人ほどの登山客専用です。

石鎚山ゆかりの役行者
 麓までマイカーで来る人が多いようで20分おきのロープウェイは満員でした。
ロープウェイの窓から入り込む風は涼しく、半袖でよかったかなと思いましたが、その心配は当たらず すぐに汗をかき始めました。

 小学生を入れた家族連れ、学生を始め若い男女のグループ、大勢の人が登っています。
行き交う人と「こんにちは」、ひと休みして「どちらから?」この一言二言に元気がでます。

くさり場、私は迂回路へ

迂回路

対岸の中国地方が見えます。

頂上社 御朱印をもらえます。

 天狗岳 左側は雲です。下から上ってきて、すぐに消えます。

 つまづいたり、踏み外したり ・・・ 無事定刻に下山することができました。

 坂出でおみやげにうどんを買って帰宅。



 楽しい一日でした。

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2022-08-28 | Weblog

 三日見ぬ間のオクラ

 オクラは原産地アフリカの植物です。真夏の暑さにもかかわらず、毎日毎日きれいな花を咲かせ実を付けます。
実は成長が早く、すぐに大きくなります。



大きくなりすぎても柔らかければ美味しく食べることができます。



 今日はこれから石鎚山へ行ってきます。

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2022-08-26 | Weblog

 かぶれ

 都会に住まわれている方はあまり関係はないでしょうが、こちらではこの時季毎年のことです。かぶれです。
草刈りをしていると腕がかぶれます。小さな木も刈り取りますので木かもしれません。
 草刈りの後、腕を洗っても、翌日にはぷちぷちと発疹が数粒、となるともう手遅れ。数日の後には両腕に広がり、蚊に刺された時のかゆみとは違う、掻くと心地よいかゆみを感じます。
皮膚科に行くと副腎皮質ホルモン剤なる薬を処方してくれます。
薬を塗っても急に治ることはなく2~3週間かかります。発疹が引き、表面の極薄い皮膚が剥がれると治ります。
 日焼けした皮膚が剥がれるので、発疹の箇所が白くまだらになるのかと思いきや、全体的に黒いままです。少し安心。
 この皮膚が一皮むけると夏の終わりを感じます。

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2022-08-24 | Weblog

 また交通信号機

 交通信号機のLEDの数を数えてみました。

  11周 330個  1 6 12 18 24 30 36 42 48 54 59
  10周 264個  1 6 12 17 23 29 35 41 47 53
  9周 192個  1 6 12 16 21 26 31 36 43
  7周 108個  1 6 11 15 20 25 30 
   (同心円の数  LED総個数   各円周に並んだLEDの個数)

 気づいたこと
・ LED総個数が全て ‟3の倍数„である
・10周の信号機の配列は11周の信号機の配列の10周以下の配列とは異なる
  11周  1 6 12 18 24 30 36 42 48 54 59
  10周  1 6 12 17 23 29 35 41 47 53
10周と9周、9周と7周 も同じ
なぜか。

 この大きな円の中に小さな穴が開いている形状は、駅・銀行・郵便局の窓口さらには刑事ドラマで見る拘置所の接見窓口にも見ることができます。
これらの比較研究、夏休みの自由研究にどうでしょうか。
拘置所は直接にはちょっと無理ですが。

 話は変わりますが、「自由研究」といえば、この19日「チコちゃんに叱られる」に自由研究の話がありました。
その中で小学生の自由研究が紹介されました。
そのひとつ小学4年生の研究テーマが「宿題をさいごの日まで残しておいた時の家族と自分の反応」です。あえて宿題を最終日まで手をつけなかったらどうなるかという斬新な研究です。
結果は誰もが想像するとおりです。
経過と最終日に於ける心情が細かく分析されています。
「過去に戻りたい」 誰もが一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
キャスターのコメント
「参考にしようと思っている小学生のみなさん、まねするときは覚悟が必要なようです」
すばらしい、おもしろかった。

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2022-08-22 | Weblog

 交通信号機

  一昨日の‟今日のクイズ„は交通信号機の問題でした。
第2問は
「信号機の赤、青、黄のライトは明るさに違いがあります。一番明るい色は何色でしょうか?」という問題でした。


答えは
「黄色」
黄、赤、青の順に黄色が一番明るく、黄色は赤の2倍明るいそうです。

 ところで信号機に付けられているLEDの数、いったいいくつでしょうか。
ネットを見てみました。いろいろな方が数えられています。
その中のひとつ
によりますと一般的に9周192個が多いようです。
(周 : 同心円状に並べられた円の数)

近所の信号機を見てみました。



 7周108個でした。
 どうも新しくなるほど個数が少なくなるようで、この信号機が取り換えられた工事を憶えています。そんなに昔ではありません。信号機の厚さもずいぶん薄くなっています。
最近のものは6周92個のものがあるそうです。
 LED信号機は交通量の多い道路から取り換えられているのでしょうから、LEDの個数を見れば、その道路の交通量、即ちその地域の活性度が分かるかもしれません。



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2022-08-20 | Weblog

 「きけわだつみのこえ」
  日本戦歿学生の手記
   (日本戦歿学生手記編集委員会 東京大学出版会 1952/2/29 P.300)




 「授業は予定より進んでいますので、今日は少し別の話をします」
もう60年ほど前のことになります。
私が高等学校のときの電気理論の時間でした。
M先生が手にしていたのは黒い表紙の分厚い本、表題は「きけわだつみのこえ」でした。(上掲写真のものとは異なります)
「わだ」は「わた」すなわち海、「つ」は「の」に当たる雅語の助詞、「み」は「神」、から「わだつみ」は「海の神、海神」を意味します。
先の第二次世界大戦末期に20歳以上の学生が戦闘要員として戦地に送り込まれました。この本は戦歿した学徒兵76名の遺書、手記、日記、和歌、俳句、手紙を集めた遺稿集です。
 先生は1時間ずっと立ったままで本を読まれました。
今、考えるとM先生は手記に書かれた学生と同年輩です。
先生は椅子に座って読むに忍びなかったのではないかと思います。
みんな真剣に聞き入っていました。

「みなさんより少し上の年齢だった方の話です。
 みなさん、今の世の平和を感じませんか。
 お父さん、お母さんのありがたさを感じませんか。
 一日一日の大切さを感じませんか」
         と先生は結ばれました。

 いつもとは違う授業を終えた教室内には、いつもにはない静けさがただよっていました。


本書巻頭 感想 から
※※※※※
本書のいかなる頁にも、自然死では勿論なく、自殺でもない死、他殺死を自らもとめるやうに、またこれを「散華」と思ふやうに、訓練され、教育された若い魂が、――若い――不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思ひ、不自然を自然と考へねばならぬやうに強ひられ、縛りつけられ、追ひこまれた時に、發した叫び聲が聞かれるのである。  (渡邊 一夫)
※※※※※
散華《さんげ》: 花と散ること 戦死を美化した表現

初頭の一編
※※※※※
上原 良司
慶應大學學生。昭和二十年五月十一日陸軍特別攻撃隊員として沖縄嘉手納灣の米國機動部隊に突入戰死。二十二歳。
    遺 書
 生を享けてより二十數年何一つ不自由なく育てられた私は幸福でした。溫き御兩親の愛の下、良き兄妹の勉勵に依り、私は樂しい日を送ることができました。そして稍もすれば我儘になりつゝあった事もありました。この間御兩親様に心配をお掛けした事は兄妹中で私が一番でした。それが何の恩返しもせぬ中に先立つことは心苦しくてなりません。
 空中勤務者としての私は毎日々々が死を前提としての生活を送りました。一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。高空に於いては、死は決して恐怖の的ではないのです。この儘突込むで果たして死ぬだろうか、否、どうしても死ぬとは思へませんでした。そして、何か斯う突込むで見たい衝動に駆られたこともありました。私は決して死を恐れては居ません。寧ろ嬉しく感じます。何故ならば、懐かしい龍兄さんに會へると信ずるからです。
 天國に於ける再會こそ私の最も希ましき事です。
 私は明確にいへば自由主義に憧れてゐました。日本が眞に永久に續く爲には自由主義が必要であると思つたからです。之は馬鹿なことに見えるかもしれません。それは現在日本か全體主義的な氣分に包まれてゐるからです。併し、眞に大きな眼を開き、人間の本性を考へた時、自由主義こそ合理的になる主義だと思ひます。
 戰爭に於いて勝敗をえんとすればその國の主義を見れば事前に於いて判明すると思ひます。人間の本性に合った自然な主義を持つた國の勝戰は火を見るより明らかであると思ひます。
 私の理想は空しく敗れました。人間にとつて一國の興亡は實に重大なことでありますが、宇宙全體から考へた時は實に些細な事です。
 離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。開かなかつたら左の引出しを開けて釘を抜いて出してください。
 ではくれぐれも御自愛の程を祈ります。
 大きい兄さん淸子始め皆さんに宜しく、
 ではさやうなら、御機嫌良く、さらば永遠に。
                         良 司
  御兩親様
※※※※※
(お断り 旧字体が入っていますので、デバイスによっては表示されない、あるいは脱字になっている箇所があるかもしれません)



 M先生は無線関係の多くの参考書を著されています。先生の本は分かりやすく評判がよく、中でも「航法無線機器」という本は当時無線通信士、無線技術士を目指す全国の高校生、大学生のバイブルでした。

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2022-08-18 | Weblog

 雑 草

昨日の朝日新聞折々の言葉から
※※※※※
緑は猛威をふるうのだ。だから人間は、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながら暮らしてきた。 (原 研哉)
※※※※※
原 研哉さんは岡山県岡山市出身のグラフィックデザイナーです。

 毎年のことになりますが、この時季、この緑に悩まされます。脅威です。庭、畑、駐車場からお墓まで。「元気がいいのは雑草だけ」ご近所で交わされる毎年恒例になった挨拶です。
ぐんぐんと緑の茎を伸ばし、葉を広げる雑草、乾燥した大地から根はどのようにしてあれだけの水分を取り込むのだろうか、神秘としか思えません。
雑草はどのような土地にも生えます。住宅が取り壊されて更地になっても2カ月すれば草が生えだし、2年もたてばこんもりとした草むらになります。
 何万本とある草を一本一本抜いていくことは根気のいる仕事です。暑いさなかの修行とさえ思えます。それだけにやり遂げたときのうれしさ、達成感は言葉では言い尽くされません。
 思い起こすと、草刈り、草取り、昔はやぎを借りてきて草を食べさせていました。やぎはロープでつながれた範囲内の草を一日中食べてきれいにしてくれていました。今ではもう見ることのできない光景です。
しかし、そのうちAIを搭載した草取りロボットが開発され、スイッチを入れさえすれば、自動的に敷地内をぐるぐる廻って草を抜いてくれるかもしれません。その名は‟ロンバ„です。
(草を食べるロバとルンバを掛けました・・?)


今日もがんばります。

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2022-08-16 | Weblog

 イエテボリテクニック

 イエテボリテクニックをご存じですか。
スウェーデンのイエテボリ大学で考案された歯磨きの方法です。この方法を取り入れたスウェーデンではむし歯になる人の割合が激減し、スウェーデンは歯の先進国と言われています。
方法はむずかしくはなく、フッ素入り歯磨きを使い、歯磨きの後、口をゆすがないだけというものです。
 2019年ガッテンで紹介されました。
ゲストで登場した東京医科歯科大学の眞木教授は「現地でこの方法を知ったとき、よい方法だとは思ったが、日本人には無理だと思って、帰国後日本国内には紹介しなかった」と話されています。そうですよね。歯磨き後にゆすがないと歯垢や雑菌が口内に残ってしまう感じがします。
しかし、歯磨きの後1回ゆすぐとフッ素濃度は約1/3、2回では1/5に低下していまいます。せっかくフッ素入り歯磨きを使っても全く無駄にしているのです。眞木先生は「ゆすがないときに、残った菌が歯を侵すリスクよりも、フッ素が歯質を強くする効果の方が大きい」と話されています。
 この放送を見てから私もイエテボリテクニックをやっています。
ただ、やはり口内に残った歯垢や雑菌が気になります。そこで歯磨きを2回に分けています。最初40秒間、普通の歯磨きをします。そして口をゆすぎます。次に20秒間再度軽く歯磨きをします。今度は口に溜まったものを吐き出すだけで、ゆすぎません。
(電動歯ブラシを使用しているため時間は短めにしています)
 この方法を始めて3年ほどが経過しています。先日歯医者さんで定期ケアを受けました。いまのところ調子が良いようです。

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2022-08-14 | Weblog

 お 盆

 8月に入り、町でお坊さんがバイクに乗っている姿をよく見ます。わが家にもお盆のお勤めに来られました。昔はご住職が来られていましたが、今は若いお坊さんが来られるようになりました。聞くとお盆の間だけ応援に来られているそうです。
多い時には一日50軒を回ることがあるとか。暑いさなか大変なことです。ごくろうさまです。









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2022-08-12 | Weblog

 お 墓

 お盆を前にお墓の掃除をしました。春のお彼岸に掃除した後お参りにも行っていなかったので草が伸び、落ち葉が積もっていました。
我が家のお墓はきれいに区画整理され、管理者のいる墓地とは異なり、山腹に並んでいる広い共同墓地です。
コロナの前は毎年お盆の前に地区の人たちが総出で掃除していました。今は各戸自主的に掃除をすることになり、ちょっとさびしい気がします。
 庶民がお墓を作るようになったのは、江戸後期からだと言われています。以前にアップしたことがありますが、立ち並ぶ墓石の中には古くは安永(1772)と彫られた墓石をみることができます。もう誰もお参りとか掃除をした形跡はなく、中には傾いたままになっている墓石もあり、土砂に埋もれてしまっているものもあります。
 この墓地では改葬され更地になった区画が目立つようになりました。もともと50年経つと墓じまいといって遺骨をまとめて祀っていたそうですが、最近は高齢になり、お参りに来られないために改葬するという方もおられるそうです。
我が家のお墓の隣も更地になり、きれいに整地された跡地には「この区画に関する一切の権利を放棄します」と書かれた立て札が立っていました。
 最近分譲墓地の売れ行きが良くないそうです。反面、樹木葬、散骨とかお寺の納骨堂などあまり手間がかからない方法が増えてきているとのこと。自然の成り行きかもしれません。
また既存の遠隔地にあるお墓は、掃除や供花を業者に委託し、写真やビデオを送ってもらって済ませることもあるとか。
納骨堂も進化し、大きなビルのような納骨堂では、カードをいれるだけで自動的にお骨が祭壇まで運ばれてくるようになっているそうです。
次第に近代的な墓参になってくるのでしょう。
そのうちに納骨堂も遠隔にていつでも操作できるようになり、家庭のテレビやプロジェクタによるリモート参拝が普通になるかもしれません。