「きけわだつみのこえ」
日本戦歿学生の手記
(日本戦歿学生手記編集委員会 東京大学出版会 1952/2/29 P.300)
「授業は予定より進んでいますので、今日は少し別の話をします」
もう60年ほど前のことになります。
私が高等学校のときの電気理論の時間でした。
M先生が手にしていたのは黒い表紙の分厚い本、表題は「きけわだつみのこえ」でした。(上掲写真のものとは異なります)
「わだ」は「わた」すなわち海、「つ」は「の」に当たる雅語の助詞、「み」は「神」、から「わだつみ」は「海の神、海神」を意味します。
先の第二次世界大戦末期に20歳以上の学生が戦闘要員として戦地に送り込まれました。この本は戦歿した学徒兵76名の遺書、手記、日記、和歌、俳句、手紙を集めた遺稿集です。
先生は1時間ずっと立ったままで本を読まれました。
今、考えるとM先生は手記に書かれた学生と同年輩です。
先生は椅子に座って読むに忍びなかったのではないかと思います。
みんな真剣に聞き入っていました。
「みなさんより少し上の年齢だった方の話です。
みなさん、今の世の平和を感じませんか。
お父さん、お母さんのありがたさを感じませんか。
一日一日の大切さを感じませんか」
と先生は結ばれました。
いつもとは違う授業を終えた教室内には、いつもにはない静けさがただよっていました。
本書巻頭 感想 から
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本書のいかなる頁にも、自然死では勿論なく、自殺でもない死、他殺死を自らもとめるやうに、またこれを「散華」と思ふやうに、訓練され、教育された若い魂が、――若い――不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思ひ、不自然を自然と考へねばならぬやうに強ひられ、縛りつけられ、追ひこまれた時に、發した叫び聲が聞かれるのである。 (渡邊 一夫)
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散華《さんげ》: 花と散ること 戦死を美化した表現
初頭の一編
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上原 良司
慶應大學學生。昭和二十年五月十一日陸軍特別攻撃隊員として沖縄嘉手納灣の米國機動部隊に突入戰死。二十二歳。
遺 書
生を享けてより二十數年何一つ不自由なく育てられた私は幸福でした。溫き御兩親の愛の下、良き兄妹の勉勵に依り、私は樂しい日を送ることができました。そして稍もすれば我儘になりつゝあった事もありました。この間御兩親様に心配をお掛けした事は兄妹中で私が一番でした。それが何の恩返しもせぬ中に先立つことは心苦しくてなりません。
空中勤務者としての私は毎日々々が死を前提としての生活を送りました。一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。高空に於いては、死は決して恐怖の的ではないのです。この儘突込むで果たして死ぬだろうか、否、どうしても死ぬとは思へませんでした。そして、何か斯う突込むで見たい衝動に駆られたこともありました。私は決して死を恐れては居ません。寧ろ嬉しく感じます。何故ならば、懐かしい龍兄さんに會へると信ずるからです。
天國に於ける再會こそ私の最も希ましき事です。
私は明確にいへば自由主義に憧れてゐました。日本が眞に永久に續く爲には自由主義が必要であると思つたからです。之は馬鹿なことに見えるかもしれません。それは現在日本か全體主義的な氣分に包まれてゐるからです。併し、眞に大きな眼を開き、人間の本性を考へた時、自由主義こそ合理的になる主義だと思ひます。
戰爭に於いて勝敗をえんとすればその國の主義を見れば事前に於いて判明すると思ひます。人間の本性に合った自然な主義を持つた國の勝戰は火を見るより明らかであると思ひます。
私の理想は空しく敗れました。人間にとつて一國の興亡は實に重大なことでありますが、宇宙全體から考へた時は實に些細な事です。
離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。開かなかつたら左の引出しを開けて釘を抜いて出してください。
ではくれぐれも御自愛の程を祈ります。
大きい兄さん淸子始め皆さんに宜しく、
ではさやうなら、御機嫌良く、さらば永遠に。
良 司
御兩親様
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(お断り 旧字体が入っていますので、デバイスによっては表示されない、あるいは脱字になっている箇所があるかもしれません)
M先生は無線関係の多くの参考書を著されています。先生の本は分かりやすく評判がよく、中でも「航法無線機器」という本は当時無線通信士、無線技術士を目指す全国の高校生、大学生のバイブルでした。