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般若心経

写経
四国八十八ヶ所

ご心配をおかけしました

2021-01-21 | Weblog
今の時期ですから、ひょっとして・・・と思われたかもしれません。
新型コロナウィルス感染症による入院ではありません。皆様にご不安を抱かせることになり、申し訳ございません。

では何をしているのか?
後日ご報告させていただきます。

般若心経

2021-01-19 | Weblog
 ラップ

 歌ではありません。電子レンジに入れるときに使うラップの方です。
 3年ほど前にディスカウントショップで業務用のラップを買いました。必要があった訳ではなく、いくらだったかは忘れましたが、特売のPOPがついていてずいぶん安いと思って買ったものです。
 幅が30センチで普通の器に使用するときにはいいのですが、小鉢やコップなどに使用するときには幅が30センチではもったいないと思い、半分に切りました。



幅15センチにすると小さな器にちょうどよく、昨日で半分を使い切りました。あと半分残っています。100メートル巻きですので、15センチとして600回以上使えます。あと3年分?
 なお先日スーパーで見ると15センチのラップも製品として売られていました。わざわざ切る必要はありません。


2月7日までブログをお休みします。


般若心経

2021-01-17 | Weblog

 「捨てられる宗教」
     (島田 裕巳/著 SBクリエイティブ p.244)

 昨年10月新聞に書評が掲載されていましたので、図書館で借りてみました。





 昭和の時代、仏教、神道、その他の宗教共に信者数を増やしてきた。その数が平成に入り急激に減少している。世界的な宗教離れである。(書評より)

目次
1章 終活さえもめんどうくさい  宗教が用済みになった社会
2章 なぜ宗教は捨てられたのか
3章 スケジュール化された終わりなき人生
4章 いまだ”死のある世界”で生きる人たち
5章 “死のない時代”の生き方・死に方

 本書では長寿命化における死生観の変化をもとになぜ宗教が捨てられるのかひも解く。明治時代42歳であった平均寿命が、戦後50歳になり、令和に入り80歳を超えることになる。今や100歳を超える人もめずらしくない時代である。ここ数十年の間に寿命は倍になったのである。有史以来人類が初めて経験することである。
私たちが若かったころの先輩たちは現役を退いてしばらくして亡くなっていた。みなそのことを念頭に人生設計を行っていた。それが今では退職後の生活が今だかってない長さになり、先輩たちの生き方に倣うわけにはならなくなった。
 昨年の四国遍路は例年に比べて2%となり、壊滅的状態と聞く。バスツァーによる団体参拝が軒並み中止になったことが大きな原因である。初詣も密集を避け暮れから分散参拝が呼びかけられたものの結果として参拝を控えた人が多かったようである。遍路や初詣は信仰心からだけとは限らない。しかし包括的な宗教離れの一端を窺い知る思いである。
 昨年後半から葬儀も三密を避けるため家族葬、密葬、直葬など簡略化が瞬く間に広がった。もともと費用の高額化が懸念されていたこともあり、元の状態に戻ることはむずかしいのではないだろうか。それまでは世間体を気にしてある程度の費用を葬儀にかけることが強いられていたが、いまや葬儀に費用をかけなくとも、また都会では葬儀自体をなくしても周囲に気兼ねをすることはなくなった。田舎ではが主体になっていた葬儀の施行が葬儀業者に主体を移ようになり、隣近所の手を煩わせることが少なくなった。葬儀に続く四十九日、百箇日、一周忌 ・ ・ ・の法要も会食人数が抑制されているため参列人数を絞っているようだ。葬儀、法要の規模縮小は宗教意識の低下につながる。
 江戸の昔、寺は子供たちの教育の場を兼ね、地域の集会の場所、また檀家制度による地域社会の要でもあった。しかし現代の寺はその役目はなくなり、一部の寺院を除き、もっぱら葬儀と法要のみの場所、葬式仏教と云われるまでになってしまった。寺はお布施のみでは維持できず、住職は他の仕事を兼務する事例が多くなっているようである。
 仏教に限らず、他の宗教についてもその教えから学ぶことは多く奥深い。
教えを乞うて集い来る民を待つではなく、宗教者自らが教えを広め発信していかなければ、この著者のいう「捨てられる宗教」そのとおりになってしまうのではないかと感じた。








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2021-01-15 | Weblog

 早朝ウォーキング

 週2回、朝のゴミ出しに併せて近くの山までウォーキングをしています。
いつも5時過ぎに家を出て商店街を抜け、山頂をめざし、帰りに中腹の観音堂に寄ります。
お堂では朝が明るい時期には近くの人たちが寄り集まり、世間話に花を咲かせています。
しかし、冬、日の出が遅くなるにつれてみなさん お参りが遅くなっているようです。
 江戸の昔は日の出、日の入を基準とした不定時法だったそうで、観音堂にお参りする多くの人はこの不定時法によっているようです。照明の不自由であった時代、いやもっと以前、人類誕生のころからの人間本来の最も自然な生き方なのでしょう。
 ところが、小学校に入って以来、仕事をリタイヤするまでずっと定時法に縛られて行動していた私はいまだにその習性が抜けきらず、太陽光の恩恵を頑なまでに無視しています。少しのんびりとした生活にそろそろ移ってもいい年ではないかとも思うときもありますが、目覚まし時計の設定は年中変わることはありません。
 私と同じような考えの人も数人いまして、暗い山道で出会います。同じ定時法を愛する仲間、お会いすると挨拶程度の話しかしませんが、何か親しみを感じます。

 今日はよい天気で春先の陽気でした。
これから日の出の時刻が次第に早くなってきます。


 今日のミラクル
水道の検針票が入っていました。



前期と今期の料金がぴったり同じでした。

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2021-01-13 | Weblog

 新型コロナウィルス災禍の中で
  「津山中央病院の皆様 大切な命のためにありがとうございます」

 9日の朝日新聞地方版に掲載された記事です。


画像をクリックすると記事にリンクします

 考え、企画したのは生徒?教職員?いずれにしてもこのようなメッセージを発出できる教育環境はすばらしいですね。
一向に収まる気配のない新型コロナウィルス災禍の中で 懸命に戦い続けている病院関係者の感動が伝わってくるような気がしました。

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2021-01-11 | Weblog

 初こんぴら

 昨日1月10日は四国金刀比羅宮の初こんぴらでした。
毎月十日の日にこんぴらさんにお参りすると特別な功徳、ご利益があると言われ、特に年初めの1月10日は初十日祭り、初こんぴらといわれ大勢の人がお参りにやってきます。毎年この日、善通寺からこんぴら象頭山に連なる大麻山に登り奥社から本宮へお参り。本宮横の広場では接待所が設けられ、甘酒、ぜんざい、紅白長寿餅のお接待があります。毎年 20人ほどの保育園児が登って来ます。渡り廊下したの石段に並んで腰をかけお接待を受けています。毎年ちょうど私と同じ時間に到着するようでメンバーは代わっているのでしょうが、会うだけで楽しくなります。




昨年の写真です

 今年は3連休の中日の日曜日でしたので、本来ならば大勢の人でにぎわったことでしょう。しかし新型コロナウィルスのため首都圏のみならず、不要不急の往来を控えるように要請がなされています。年初めの楽しみにしていたのですが、今年の参拝は中止にしました。コロナが治まればいつでも行くことはできます。そのときを楽しみにしておきます。

 話は変わりますが、毎年こんぴら参詣みやげに鏑矢《かぶらや》を一本買っています。以前は前年の鏑矢をお返しして、新しい鏑矢を求めていたのですが、今は返さずに床の間に飾っています。その矢が昨年でちょうど12本になり、矢立がいっぱいになりました。もう一段矢立を作らなければならないと思っていたところです。



思えば、一段分があっという間に過ぎたような気がします。新たに二段の矢立を作ると24年になります。一段でいいかな、それとも二段にしようかな、いっそのこと三段にしようか。時間はまだたっぷりあります。ゆっくり考えます。

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2021-01-09 | Weblog

 お線香

 仏壇の下に長い間使われることなく箱に入ったままのお線香がありました。長さが24センチもあり、そのまま香炉に立てると少し傾いただけで灰が香炉の外に落ちてしまいそうです。長すぎてお寺参りやお墓に持って行く訳にはなりません。桐の箱に入った高級そうなお線香です。


手前が普通のお線香です

 どのように使うのか昔、仏具屋さんに聞いたことがあります。そのとき仏具屋さんの云うには「2つに折って使えばいい」という返事でした。しかし、折って使うのであれば、わざわざ長い線香を作ることもないだろう、長いには長い理由が別にあるのではないか、と失礼にも素人の私がプロの話を信じませんでした。今であれば、インターネットで調べればすぐに分かるのですが、その当時はそれきりでなすすべもなく、そのまま仏壇の奥に眠ったままになっていました。
 暮れに仏壇の掃除をしているとき、ふと思い出してインターネットで調べてみました。するとこの長い線香は長時間燃焼するためふつうお寺で使われる、もし家庭で使用するときは、折って使うとよいと説明がありました。仏具屋さんの云われた通りです。線香を折ることは別に作法に反していることではなく、宗派によっては折って使うこともあるようです。
また1本の燃焼時間が30分以上あり、瞑想、阿字観の際の時間の目安としても使用されるそうです。
 試しに使ってみました。香炉の真ん中にまっすぐ立てると灰が外に落ちることもありません。
数十年ぶりに箱から出され、火を灯された線香は細く薄い煙とともにいい香りを部屋の中に漂わせました。

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2021-01-07 | Weblog
 毎年のことですが

 今朝は強風注意報が出ていました。山々の木々は葉をすっかり落として、生体活動を.停止しているようかのようです。しかし目を下に向けると地上にはすでに春に向けて雑草の小さな芽がいっぱい出てきています。畑の畝には栄養をたっぷり取り込んだ青々とした雑草が本来の作物を越える勢いで伸びています


通路の雑草


細い葉はニンニク。他は雑草です。


 毎年、大きな雑草は引き抜き、小さな芽は指先でつまんで取っていたのですが、気の遠くなるような作業です。今年は近くの畑で作業していたおじさんから捩じりガマなるものを教えてもらって買ってきました。これは先が刃になっている小さな鍬のようなもので雑草を削り取ります。(上の写真)通路などの小さい芽には非常に効率がよく作業が捗ります。
 昨日はタマネギの畝の雑草を取りました。
 毎年、草を取りながら「今年は雑草が今までで一番よく伸びている」と同じことを思います。実際よく伸びているのでしょうか。それとも毎年昨年のことは忘れてしまっているのでしょうか。それとも年々気力が弱っているのでしょうか。
毎年、スケールを入れた写真を撮っておけばはっきりするのでしょうけれど、別にはっきりさせる必要もないことでもあります。

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2021-01-05 | Weblog
 飾り結び




 落とし物対策として首に掛ける紐に蝶のような結びをつけています。これは吉兆結びと言います。蝶々結びのようにみえますが、少し違い簡単にはほどけません。
記録を見ると2009年4月のことです。高野山大師教会で東京の尼さんが飾り結びの展示会を開いていました。ちょっと覗いてみようと立ち寄ったところ、私のカメラにつけた紐の吉兆結びをみて、いろいろと話をしてくださいました。飾り結びにはそれぞれ意味があり、吉兆結びは邪気を払い、魔を寄せつけないと言われていると教えてくれました。旅、巡拝などの際、飾り結びを身につけていると道中の安全を守ってくれるそうです。
 なぜこの話を思い出したかといいますと、昨日の朝日新聞「天声人語」にシトラスリボンが取り上げられていました。シトラスリボンはコロナ禍で生まれた差別、偏見をなくそうと愛媛の有志がつくったプロジェクトのシンボルリボンです。このシトラスリボンの紐バージョンが図らずも吉兆結びだったのです。ときどきテレビで見かけ、なにだろうかと思っていたリボンです。




シトラスリボンホームページより

リボンで表現する3つの輪は、地域と家庭と職場(もしくは学校)を表します。地域、家庭、職場と学校で「ただいま」「おかえり」と言いあえる環境をつくろう、「ただいま」「おかえり」と言いあえるまちなら、安心してコロナの検査を受けることができ、ひいては感染拡大を防ぐことにつながると紹介されています。
リボンを考案した人は、吉兆結びの「邪気を払い、魔を寄せつけない」をも考慮し、新型コロナの収束をも願う気持ちをも持たれていたのではないかと思いました。
「今年は偏見や誤解が消え、世の中からこのリボンがなくなるのが願いです」プロジェクト運動を支える人たちの願いです。



高野山でお話を聞い.て作ってみました

少し形がくずれましたが


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2021-01-03 | Weblog

 初 詣
   倉敷市由加山

旧参道




由加山蓮台寺






由加神社


密を避け、遙拝


真田幸村公頌徳碑



江戸時代由加参詣みやげとして真田紐が売られ全国に広がりました。真田紐は真田幸村が考案した紐であり、由加の地、今の児島の繊維産業の礎となりました。

あんころ餅


ゆが名物



峠道から


少し霞んでいますが、瀬戸大橋


こんぴら、由加両参りの鳥居



江戸時代から讃岐「こんぴらさん」と備前「ゆがさん」の二つの大権現をお参りすることで、御利益があると言われています。
この鳥居扁額のこちら側には「瑜伽大権現」反対側には「金毘羅大権現」と書かれています。