般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2021-11-29 | Weblog

 五岳山

11月27日
JRみの~五岳山~善通寺~JR善通寺






 朝方 雲がかかっていた空も晴れ、週末とあって多くの人と出会いました。
・ 火上山から中山へ向かう途中、藪の中から突然男子高校生2人が出てきました。道を間違えたそうです。やはり若さ、さっさと追い抜かれる。善通寺まで行くとのこと。
・ 奥の院、十数人の中年の男女が休憩中、地元のグループ、縦走。
・ 我拝師山山頂、ポニーテールの背の高い若い女性一人、やはり縦走。続く中年の女性二人も縦走。
・ 我拝師山下りで、今週土曜日に開催されるウォーキング大会の準備のためコースを確認、整備しに来たガイドの人たち。今年の参加は香川県内在住の人に限定、来年は是非参加させてもらいたいとお願いした。
・高知から毎月一回お参りに来ているというNさん。
「高知にも多くのお寺があるが、なぜか出釈迦寺に心を惹かれる。長い坂道を登ってお参りに来られる人たち、参道をいつもきれいに掃除している人、ご住職がいつも笑顔で話しかけてくれる。今日で149回目、300回を目指している」と話されていた。 再会を約束。
 




筆の山に かき登りても見つるかな 苔の下なる岩の氣色を
西行法師




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2021-11-27 | Weblog
 岡山後楽園

 昨日、紅葉が見ごろとのニュースを聞き、後楽園へ行ってきました。














右に見えるビルのような建物は改修中の岡山城天守閣です
写真では分かりませんが、金のしゃちほこは確認できます












街はもう暮れ、クリスマスモードです。






 後楽園に入ったのは実に21年ぶりです。
1999年12月31日は大晦日のテレビ中継を担当していました。折しもこの日はY2K、ミレニアム問題(インフラに使用しているコンピュータの停止により世界中が大混乱になるおそれがあるといわれた)の日でした。事前の検討によりその恐れはないとは分かってはいましたが、万が一の対策として、翌日テレビ中継が終了するまで現場に張り付きました。幸い無事に中継は終了し、仮眠ののち帰宅に向かった街は世紀の切り替わりの余韻がまだ残っており、同僚とともに後楽園に向かいました。祝い酒をいただき、芝生に飛び立つ丹頂を見てやっとほっとし、新世紀に入ったという思いがした覚えがあります。

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2021-11-25 | Weblog

 サプリメント
   ビタミンD

 今月初め受講した市の大学講座で先生は「骨折予防のためのビタミンDはサプリメントの摂取も勧める」と話されていました。また先日のテレビ「所さん!大変ですよ」でビタミンDは「認知症の予防にも効果がある」と放送されていました。
 自分では気づかない認知症、骨折と共にそろそろ考えねばならない年ごろです。ドラッグストアーでビタミンDを買ってきました。
最初に行った店ではカルシウムと一緒になったものしかなく、二軒目でビタミンD単体のものを見つけ購入しました。90日分で670円です。
別のドラッグストアーで見ると770円、アマゾンでは680円、大学の先生は800円位と言われていましたので、おそらくこのサプリだと思います。
 サプリメントの効果の判定は、骨折しなければ、認知症にならなければ効果があるということなのでしょう。ということはそれまでは分からないということ。普通に生活ができていれば、効果ありということでしょうか。効果がなかったという日が来ないことを期待しています。






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2021-11-23 | Weblog
 ことさら取りあげることでもないのですが
   魚の目・・初めて経験しました

 7月の初め、右足小指の付け根に少し痛みを覚えました。そのうちに治るだろうと放っておいたのですが、次第に痛みが強くなってきました。特に坂道を下るときにズキン、ズキンと痛むようになってきました。痛みをかばうように歩くため普段使わない筋肉を使うのでしょう、脚がすぐに疲れるようになってきました。
 ネットで【足 小指付け根 痛み】と検索すると「内反小趾」がヒットしました。小指が親指の方向に内側に曲がって痛みを生じているらしいのですが、特に曲がっている様子もありません。
 9月中旬、近所のお医者さんで健康診断を受けたときに、診てもらうと魚の目だそうです。指付け根の横の皮膚が固く円錐状に盛り上がっています。径3ミリほどの小さなものですが、内部にも皮膚が固く入り込んで神経や骨を圧迫しているそうです。ありふれたものらしく、メスで盛り上がったところを削り、皮膚より下はレーザで焼きました。焼くというとやけどとか焼き魚の焦げつきをイメージしますが、レーザーの特性でしょう、垂直方向にのみ皮膚が煙になっていき、組織が固くなっているためか熱くも痛くもありません。焼いた跡はちくわの穴のようなエッジの丸くきれいな穴が開いています。意外なことに消毒するとか薬を塗るとかもしません。その後1週間ごとに2回焼いてもらったところ、今ではすっかり良くなりました。
 都合2ヶ月ほど脚の痛みを経験しました。その間、脚が痛くて歩けない方の気持ちがよく分かりました。また今では普通に歩くことのできるありがたさと喜びをつくづくと感じています。

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2021-11-21 | Weblog
 栗林公園夜間ライトアップ

 昨日20日土曜日、高松栗林公園へ行ってきました。19日から夜間のライトアップが始まったそうです。公園に夕6時半頃到着したのですが、すごい人出です。香川県内のコロナが沈静化したこともあったのだと思います。チケットを買うまでに100人以上の行列、その間に検温、連絡先の登録をしました。
園内は広く全部は回り切れないため、南側の半分を回りました。










 公園を出たのが8時すぎ。さて、うどんを食べて帰ろうと思ったのですが、うどんやさんはすべて終了。しかたなく駅近くのラーメン屋さんに入って骨付き鳥とラーメンを食べて帰宅。讃岐のラーメンも美味しかったです。

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2021-11-19 | Weblog

 「eスポーツはじめて事典1 eスポーツって、なに?」

   (筧 誠一郎著 文溪堂 2020/10/1 p.47)




 著者筧 誠一郎さんは中央大学教授、東京都eスポーツ連合会長、日本eスポーツ学会理事長です。
 最近 eスポーツという言葉をよく聞きます。
先日テレビで来春、岡山の専門学校に中四国で初めてのeスポーツ専門学科が開設されると放送していました。このニュースによるとeスポーツ競技人口は世界で1億人を超え、国内では260人のプロ選手が活躍しているそうです。来年9月、中国・杭州で開催される第19回アジア競技大会では、eスポーツが初めて正式種目として実施されることが決定、世界規模のスポーツ大会で、eスポーツが当たり前になる日も近いと報じていました。
 eスポーツといえば、20年ほど前の現役時代のこと、広島で中国地方の各支店が集まりeスポーツの大会が催されました。その頃はeスポーツという言葉自体耳にすることはなく、テレビゲームを大画面でやるものとの認識しかなく、なんと物好きなことをやるものだと思っていました。
しかし、eスポーツは今や遊びの域をこえて、課題の発見、問題解決能力を育て、豊かな人間関係を築くことのできるまさにスポーツそのものとして確固たる地位を占めており、世界の成長産業としても注目されています。今になって昔、eスポーツの競技大会を開催した当時の上層部の見識に敬意をはらう思いです。
 私はテレビゲームはスーパーマリオの時代までは、手にしていましたが、その後はたまにパソコンに組み込まれているぷよぷよとかテトリス、トランプを並べるソリティアなどをした覚えがあるだけです。
 現在では当時とは比べものにならない高度なゲームになっています。社会の流れについていこうと図書館で本を借りてみました。
eスポーツの歴史、競技、ツールなどについて紹介しています。
 ところでeスポーツはテレビゲームに始まります。このテレビゲームのクラシック版というか原始版がアメリカの大学生が考案したピンポンゲームです。テレビの画面で玉を打ち合うという単純なものです。
40年以上前のことになりますが、このゲームを作りました。物置を探してみるとありました。



 任天堂スイッチに比べればなんと大きいこと、これでも当時は子供たちが夢中になって遊んでいました。
時代の急激な変化を感じますが、これが今の普通の流れかもしれません。

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2021-11-17 | Weblog
 長谷寺・談山神社

 10月18日、NHK「趣味どきっ! アイドルと旅する仏像の世界」にて長谷寺が放送されていましたので、バスツァーに申し込み、昨日、長谷寺と談山≪だんざん≫神社へ行ってきました。
長谷寺は西国三十三所のひとつ、またボタン、アジサイの花の寺です。















 現在本尊十一面観音の特別拝観期間中で、観音像の真下まで入り像の足に直接触れることができます。ここの観音様は右手に錫杖(杖)を持っています。下から見上げる高さ10メートルほどの観音様の顔と姿には圧倒されます。
残念ながら像は撮影禁止でした。

談山神社は中大兄皇子、中臣鎌足による大化の改新ゆかりの神社です。
神社ホームページより
https://www.tanzan.or.jp/about.html#origin










 コロナが終息に向かっているとはいえ、まだまだ安心はできないようです。バスの乗車時には検温し、その都度手の消毒を行い、座席は透明アクリル板で囲まれています。、ホテルの食事会場でも検温し、テーブルの上はアクリル板仕切られています。みやげもの店、神社、お寺の受付には消毒液が置かれ、ビニルシートのパーテーションが吊り下げられており、当然どこに行っても全員マスクを着用しています。これからインフルエンザの流行期を迎えます。コロナ対策はそのままインフルエンザ対策として当分の間、引き継がれるのではないでしょうか。
 朝は少し肌寒かったですが、良い天気で楽しい一日でした。








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2021-11-15 | Weblog

 カムカムエヴリバディとジーンズストリート

 11月より新しいNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が始まりました。



 親子三世代をつなぐ100年の物語です。
 舞台は昭和初期の岡山、和菓子屋の娘 安子は繊維会社の跡取りで商科大学に通う稔に心を寄せる。ラジオ放送が始まりラジオ英語講座と出会う。ドラマの始まりです。
 岡山は学生服の生産が日本一、国産ジーンズ発祥の地でもあります。
ドラマの開始に関連して先週NHKで
11/10(水) 「ロコだけが知っている」
11/11(木) 「日本人のおなまえ」
が放送されました。
いずれも全国放送で倉敷市児島の繊維産業やジーンズストリートが紹介されました。



 昨日、ジーンズストリートに行ってみました。テレビの影響でしょう 今まで閑散としていた通りにジーンズを着用した多くの観光客の姿を見ました。Gotoキャンペーンも復活する話を聞きます。やはり商店街には人通りが似合います。




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2021-11-13 | Weblog
 箸蔵寺秋季大祭
   11月12日
   JR讃岐財田~箸蔵街道~箸蔵寺~JR箸蔵

 コロナのため令和2年4月以降お祭りが中止になり、2年ぶりのお参り。福餅投げは中止です。

讃岐財田駅、駅前の大きな木はくすの木です。




線路沿いに琴平方向に戻り、右折、踏切を渡ります。
左方向は琴平から続く四国の道「たけのこ山の道」です。




四国の道の案内標識に沿って進みます。




百丁石、ここから箸蔵寺まで百丁、10.8km です。




九十九丁、九十八丁・・・と続くはずなのですが、元の箸蔵街道は百丁石の少し先から左に折れ、東側の尾根つたいに上っていました。このルートは現在では道がくずれ、通行が非常に困難になっています。
百丁石から展望台の少し先まで整備された四国の道を進みます。
砂防ダムの手前を右に上ります。登坂の始まりです。






霧か雲か、湿度は高いのでしょうけれども、じめじめした感じは全くありません。








中腹、左少し入ったところに展望台があります。休憩。




石仏、ルートで一番高いところ。
阿讃山脈縦走コースとの交差点です。








二軒茶屋・・茶屋、宿屋の跡です。




???
ずいぶん前からある案内板です。倒れても倒れても補修されています。
なぜ「く」の字が反転しているのでしょうか。いつも疑問に感じていました。間違いに気がついていない? 昨日ふと思いました。ひょっとして「く」⇒「苦」、「苦」の反転⇒「楽」を表しているのではないでしょうか。縁起担ぎ。多分そうなのでは。



4.12/2013



馬除《うまよけ》




箸蔵寺へ二十三丁、 もうすぐです。




到着








ぼけ封じ観音 コロナ感染防止のため水かけ柄杓はありません。










山門とロープウェイ
場所とシャッターチャンスを逃しました。




さぬきや
きつねうどん @490 生うどん @108




JR箸蔵駅




 前にアップしたことがありますが、箸蔵街道は昭和3年、猪鼻トンネルができるまで古くから阿波池田と讃岐の地を結ぶ主要街道でした。
途中には茶屋や旅篭があり多くの人でにぎわっていました。昭和4年には国道に並行して鉄道の猪鼻トンネルが開通し、両地間の交通はいっそう便利になりました。
現在、この箸蔵街道は四国の道として整備され、ウォーキングを楽しむ人たちが登ってきます。
 昨年12月には旧猪鼻トンネルに並行して新猪鼻トンネルが開通し、自動車での移動fはさらに便利になりました。

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2021-11-11 | Weblog
 「もう二十若かったら」

 近くの山の中腹にある観音堂へ、毎朝お参りされている今年92歳のお年寄りがおられます。5時過ぎにお堂に入り灯明お線香をお供えし、お経を唱えています。
「もう二十若かったら」・・・お年寄りがつぶやかれました。それは参道脇の街灯に覆いかぶさるように茂ってしまった木々のことです。街灯の周りの木が大きくなり、街灯の高さを越え、法面から伸びた木はトンネルのように参道を覆ってしまっていました。日の出が遅くなり街灯は点灯していてもその役目を果たさなくなっています。
・・・「切るのだけれど」と続きました。お年寄りの口惜しさが滲み感じられました。
私もそのうち同じような年になるのだろう、そして「もう二十若かったら」と考えるようになるのだろうか。お年寄りと話していてふと思いました。
 私は今七十代、お年寄りの言われる「二十若い年」です。将来、あの時やっておけばよかったと禍根を残さないためにも今、木を切ろう。今であれば木に登ることもできます。
午後の散歩のとき、少しずつ伐採しました。ものは考えようでタイムスリップして二十年先から帰って来たと思うと、木を切っている間はもちろん、一日の他の時間も楽しくなり、一日が大変貴重な一日に感じられました。長く伸びた木は電線を抱き込んでいましたので、思いの外、手間がかかり、ひと月ほどを要して完了しました。
街灯の光は参道を照らし、昼間は気持ちいい青空を見ることができます。あと十年くらいは伐採の心配はしなくていいでしょう。
 それはそれとして、木を切っていて驚いたことがありました。足場を確保するため、下草を刈っていると草むらの中からバレーボールくらいの白いプラスチックのボトルが転がり出てきました。見覚えがあります。
それは40年以上前のことです。小さかった息子とこの参道脇の桜の木に取り付けた巣箱です。当時流行っていた大きなプラスチックボトルに穴を開け、スプレーで茶色に塗っていた巣箱です。



 10年ほどの後桜の木が枯れて倒れ、どなたかが別の桜の木に移してくれていました。その後その木も倒れて巣箱はわからなくなっていました。
 今回、飛び出してきたのは間違いなくその巣箱です。
劣化して割れてはいますが、私を待っていたかのように突然草の中から飛び出してきました。巣箱を前にしばらくの間、取付けたときのことをなつかしく思い出しました。
 未来から若返ってきたと思っていたところ、過去からの思いもかけないプレゼントでした。なにかのご縁でしょうか。