般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2022-01-30 | Weblog

 キンカン この差は?

 料理をされている方にとっては、常識的なことなのでしょうけれど、やっと分かりました。
毎年この時期、キンカンの甘露煮を作ります。



出来上がった甘露煮の半分くらいが、まるで梅干しのようにシワシワになります。(写真左の3つぶ)
まん丸く出来上がったものに比べてやや硬く、干した果物のようになっています。
販売する訳でもなし、誰かに差し上げる訳でもなく、栄養価は変わらないのでしょうからと、長いこと別に気にすることもなく、食べていました。探求心のなさに恥じ入るばかりです。
 同じ木から採ったもので、色づきや大きさはどれも同じくらいで、同じ鍋で煮たものです。
先日、なぜだろうかとよく見ると丸くできあがったものは、へたをとるときに皮が一緒に取れたものと、下茹でした時、皮がにひびが入ったものでした。
 ネットを見るとたくさんのレシピがあり、どれも皮に切り込みを入れるとか穴を開けるとか書いています。
(※ ネットから引用)
※ まず、金柑は洗ってヘタを除きます。次に6〜7㎜幅くらいの間隔で、縦に浅く切り込みを1周入れます
※ 金柑を流水で洗い、ヘタを取り、縦に浅く1周切れ込みを入れます。
※ 浸けた金柑はへたを取り、縦に4~5ヶ所位切込みを入れます。
※ 金柑はヘタを取り除き、爪楊枝で10ヶ所程に穴を開けます。
どうも皮に切込みを入れることがポイントのようです。
試しにやってみると切れ込みや穴を開けると、皴にはなりません。
数十年目の発見でした。
 さらに新しい発見です。
ネットでは切れ込みを1周または4~5ヶ所入れる、あるいは、爪楊枝で10ヶ所程に穴とか、紹介されていますが、“縦に1ヶ所切れ目を入れるだけ”で十分です。100パーセント皴になりません。
 でもこれも私がネットを十分に閲覧していないだけで、常識的なものかも、恥の上塗りになっているかもしれません。

しわしわになったものも濃厚な味がして、美味しくいただけます。

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2022-01-28 | Weblog
 切り干し大根

 “大きめに切ることで大根のうまみが凝縮され、煮たときによりジューシーな味わいを楽しむことができます” とネットで紹介されていましたので、やってみました。


初めてです。
さてどうなるでしょうか。


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2022-01-26 | Weblog

 龍王山 頭が下がります

 近所にある龍王山という標高200メートルほどの里山があります。山頂からは瀬戸内海や四国の山並みを望むことができ、休日には県内外遠くからも訪ねてきます。
この山に中腹から山頂、稜線を通り1時間ほどで回ることのできる周回路があります。周回路の両側には背丈を越える笹が生えており、毎年夏の終わりには人がやっと通れるくらいの道幅になってしまいます。
 毎年10月頃から翌年の1月にかけて、この道を整備されている方がおられます。私が会うのはいつも同じ人ですので、おそらく一人でやっているのではないかと思います。
草刈り機で笹を幅1間(1.8m)くらいに刈り取り、はみだしたり倒れた木を切り取っています。そのうえ箒で落ち葉まできれいに掃いています。総延長にすれば2kmは超えるのではないかと思われる距離です。今年は登りにくいところにブロックで階段を作ってくれました。
 誰かに頼まれたわけでもないでしょうし、ほんとうに頭の下がることです。

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2022-01-24 | Weblog

 加湿器

 ご覧になられた方おられると思いますが、先週TBSと日テレで加湿器肺炎のニュースを放送していました。
今、加湿器による肺炎が急増しているそうです。コロナ、インフルエンザウイルス感染防止のために置いている加湿器内に細菌やカビが繁殖し、室内に放出されたそれらを吸い込むことにより肺に炎症を起こします。
 たまたまテレビに映し出された加湿器が、先月取り換えたわが家の加湿器と同じタイプでした。毎回、水を補給する際に洗っていましたし、抗菌処理がなされているということなので大丈夫だと思っていたのですが、念のため水槽をよく見ると、すでにうすくピンク色のカビが発生していました。新しくても丁寧な清掃は必要です。
 
 タンクの中にもカビは発生します。水槽へ水が補給される際に水槽に発生したカビがタンクの中に入り込むようです。メーカは忘れましたが、以前に使っていた加湿器はタンクの中に手を入れて洗うことができるように大きな蓋になっていました。タンク、水槽や吹き出し口にはまんべんなくカビが発生しますので、もし、これから購入される方は、構造は出来るだけシンプルなもの、凸凹の少ないもの、洗うことを考えて選ばれた方がいいようです。

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2022-01-22 | Weblog

 一年が経過しました

 昨年の1月21日、生まれて初めての手術を受け、入院しました。
世の中が今年と同じく新型コロナウィルスに恐々としていたときです。
手術は頸動脈狭窄症、頸動脈が狭くなっていました。症状があったわけでもなく、将来脳梗塞のおそれがあるための予防措置でした。手術にはリスクが伴い、将来のリスクと天秤にかけ手術を選択しました。
 退院する2月5日までの16日間、ただただ単にベッドに拘束された毎日、手術による傷跡の痛みはまったくなく、ときどき見るテレビ、まとめて差し入れてくれる新聞 、前から読もうと思っていた般若心経秘鍵の本3冊に明け暮れ過ごした日々でした。
 この16日間で人生観といいますか、生活に対する考えがずいぶん変わりました。
一昨年と昨年のお正月、高校時代からの友の訃報が続き涙しました。
周りの病室に垣間見る寝たきりの人たち、朝早くからリハビリのために廊下を一歩、一歩と確かめるように歩いている人たちを見るに、無事に手術を終え、いま生あるをありがたく、一日の時のありがたさに感謝する毎日でした。
 死ねば終わり、それまでの生を大切にしよう。楽しまなくてどうする。過去の不条理、理不尽なことがらすべてをそのまま受け入れよう、それでいい。人は人、我は我、競い合う気がなくなりました。物欲、金銭に対する執着がなくなりました。
 テレビ、新聞、携帯もなく世間との接触を断ち修行するお坊さんも同じことかもしれません。違うかな? 病床だからだったのでしょうか?静かなあの2週間は、考えれば本当に贅沢な時間だったと思います。
 もう少し、年をとれば山奥の静かな温泉、または海に面した小さな宿に2週間ほどゆっくりと逗留したいと思います。
今コロナウイルス濃厚接触者の隔離期間が2週間と言われていますが、これはかんべん願いたいことです。

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2022-01-20 | Weblog

 「いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経」
   (伊藤 比呂美著  朝日新聞出版  2021/11/30   p.269 CD付 )

 昨年11月20日のNHK「こころの時代」は「わたしの言葉で語るお経 ~詩人  伊藤 比呂美」でした。

伊藤 比呂美さん1955年東京都生まれ、詩人、アメリカで20年以上を過ごし、3年前帰国、早稲田大学教授を務める。
お経は詩であるといいます。

伊藤さんの著書「いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経」を図書館で借りました。

 

「お経の現代語訳をやっています。よっぽど信心があるんじゃないかと、ときどき人に聞かれますが、ありません」
本書の書き出しです。
「どのお経も芝居がかった構成で、語り物として、聞いておもしろいように作ってある」と著者はいいます。
特定の宗派のお経ではなく、いろいろな宗派のお経をとりあげています。。

開経偈《かいきょうげ》
三帰依文《さんきえもん》
三宝礼《さんぼうらい》
般若心経《はんにゃしんぎょう》
二河白道《にがびゃくどう》
源信の白骨観《げんしんのはっこつかん》
九相詩《くそうし》
源氏物語表白《げんじものがたりひょうびゃく》
風信帖《ふうしんじょう》
法華経薬草喩品偈《ほけきょうやくそうゆほんげ》
阿弥陀経《あみだきょう》
四誓偈《しせいげ》
本誓偈《ほんせいげ》
聞名得益偈《もんみょうとくやくげ》
法華経従地涌出品偈《ほけきょうじゅうじゆじゅつほんげ》(部分)
法華経方便品《ほけきょうほうべんぼん》(部分)
法華経如来寿量品偈《ほけきょうにょらいじゅりょうほんげ》(自我偈)
一切精霊偈《いっさいしょうりょうげ》
発願文《ほつがんもん》
摂益文《しょうやくもん》
仏遺教経《ぶつゆいきょうぎょう》

総回向偈《そうえこうげ》
 願以此功徳 平等施一切
 同発菩提心 往生安楽国

 どうかこの恵みが
 わたしに
 わたしたちに
 もろもろのいのちたちに
 あまねくひとしくゆきわたり
 目ざめたいという心をおこさせて
 あのやすらかな国へいくことでできますように。

総願偈《そうがんげ》
 衆生無辺誓願度 煩悩無辺誓願断
 法門無尽誓願知 無上菩提誓願証
 自他法界同利益 共生極楽成仏道

 ひとびとはかぎりなくいます
 みんな救います
 ぼんのうはかきりなくあります
 かならず離れます
 おしえはかぎりなくあります
 つねに学びます
 このうえない目ざめに
 きっと行きつきます
 ブッダのめぐみをわかちあい
 ともに極楽にうまれてブッダのみちをあるいてゆきます

お経の現代語訳の間にエッセイが挟まれており、さりげなく父、母、夫の死が折り込まれています。

「白骨」と「九相詩」から
人間は、かならず年取る。という事実。
人間は、かならず死ぬ。という事実。
ところが若い人相手には、命数を見ようという気にならない。あと五十年などと思うと、それは無限とほとんど同義語だ。本当は無限じゃないのに、なんと能天気なことだろう。

詩人の文章、リズムがあるのでしょうか、すらすらと読むことができます。

注釈から
四諦 諦は「あきらかにする」「まこと」という意味。 「あきらめる」と読むのは日本読み。あきらめたらいけません。試合終了になっちゃいますからね。
苦諦 生きることは苦だという真理
集諦《じったい》 もとめる欲望や感情がある(だから苦がある)という真理
滅諦 欲望や感情は滅くせる(だから苦は滅くせる)という真理
道諦 苦を滅くすために道があるという真理


本書には掲載されていませんでしたが、テレビで紹介されていました。
伊藤さんがお経と向き合うきっかけとなった懺悔文です。

懺悔文《さんげもん》
 我昔所造諸悪業 
 皆由無始貪瞋痴
 従身語意之所生 
 一切我今皆懺悔

 わたしが 
 これまでに 
 なしてきた
 いろんなあやまちは
 はるかなむかしから 
 みゃく 
 みゃく 
 とつながる
 むさぼる心・いかりの心・おろかな心
 をもとにして
 からだ・ことば・いしき
 をとおして
 あらわれて
 きたものだ
 わたしはいま
 きっぱりとこここにちかう。
 そのすべてを
 ひとつ
 ひとつ
 心をきりぎさむようにして
 悔いて
 いきます









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2022-01-18 | Weblog

 護摩祈祷とコロナとワクチン

 昨日は旧暦の12月15日、四国八十八ヶ所出釈迦寺奥の院の護摩祈祷の日でした。毎月お参りしていたのですが、コロナのため令和2年は2回、令和3年は5回にとどまりました。昨年夏を過ぎ感染が下火になり、これから毎月出かけることができると思っていたところ、このお正月を過ぎての思いもかけない感染拡大、残念ながら昨日は中止しました。

 奥の院は山の中腹にあり、少々人出が多くても感染の恐れはないと思います。しかし、往復のJRの電車がちょうど通学、通勤時間帯に当たります。リュックを背負ってストックを持っていれば、やむを得ず混雑する電車に乗らなければならない人から見れば、この惨禍の中でなんと無神経なおじさんと思われ兼ねません。
 ちょうど昨日、市から「新型コロナウイルスワクチン接種券」が送られてきました。
今朝、近所で話を聞くとすでに予約をしたという人もいますし、今日お医者に行って直接予約をするという人もいました。
前回のワクチン接種の時はそれほど急がなくてもいいのではないか、と数日たってから、パソコンを見るとすでにかなりの予約が詰まっていました。今回は遅れをとってはならないとさっそく予約をしました。



今日は満月です。




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2022-01-16 | Weblog

 オクラ

 季節外れですが、オクラの話です。オクラを冷凍しています。




生のオクラをスライスして冷凍しています。スライスするとかさばらず、水にしばらく入れておくと生の時と同じように粘りが出てきます。
ネットで見ると保存期間は一ヶ月となっていますが、毎年春先まで使っても大丈夫のようです。
すまし汁やみそ汁に入れて食感を味わうことができます。また凍ったものをスライスすると粉々になり、うどんやそばののつけ汁に入れて使っています。









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2022-01-14 | Weblog

 漢方薬

 先週のNHK「きょうの健康」は「いま注目!東洋医学のチカラ」でした。鍼灸、漢方薬などの東洋医学、いまその効果が科学的に明らかにされ、医療現場でも導入が進んでいます。その中で病院で処方される機会が増えている漢方薬の話です。漢方薬はここ20年ほど生産量が増え続けているそうです。
 漢方薬は内科系の薬と思われそうですが、今では認知症、産婦人科の病気から外科の手術までいろいろな症状に使われています。薬局に行けば市販薬としても売っていますが、その服用には体質とタイミングを見分ける必要があり、中には副作用を伴う薬もあるので注意が必要だそうです。
 漢方薬で思い出すことがあります。私が就職したばかりの頃、当時の課長が「風邪には葛根湯がよい」と勧めてくれました。病院へ行くとなれば一日がかりという街から離れた田舎の山の上に職場はありましたので、風邪程度であればいつも市販薬で済ませていました。ところがこの葛根湯は私には適していなかったのか、あまり効き目はなく、漢方とはこの程度のものかという印象が根強く残ってしまいました。その後テレビのCMを見て風邪気味の時は龍角散を服用するようになりました。熱が出るとか、風邪にかかってしまった場合には無理ですが、喉が痛いとか咳が出る程度の症状には効果てきめん。体質に会っているのでしょう。その後何十年とそばに置いています。タンスの薬入れ、リュックの中、机の上にはいつもあります。
 講演会、講習会、今ではバスや電車に乗る前、咳が憚れるようなときには予め小さな匙に少しとって飲んでいます。昔テレビで「ゴホンといえば龍角散」と言ってお年寄りが口に入れていたCMがありました。あわせて戦争の思い出「壕に入っても全く湿っけていなかったなぁ、うれしかったなぁ」と言っていました。私もそのような年になったかと龍角散を口にする都度思っていました。
数カ月前、新聞に龍角散ダイレクトの広告が出ていました。粉ではなく顆粒状になっていてスティックに入っています。試しに買って来てみると飲みやすく、きれいなスティックですので、人前で飲んでも気後れするようなことはありません。
外出用には今までの缶がスティックに変わりました。少し若返ったような気になりました。







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2022-01-12 | Weblog

 「マンガ歎異抄をひらく」
   (脚本 和田 清人 漫画 太田 寿 解説 伊藤 健太郎  1万年堂出版 2021.3.3 p.301)



 昨年の6月頃、「歎異抄をひらく」と共に新聞広告に数回連続して掲載されていました。「マンガ・・」であれば分かりやすいのではないかと、図書館に借用を申し込みました。このとき借用順位は35位、暮れにやっと順番が回ってきました。

目次より
第1章 悪人こそが救われる
第2章 人の力では、どうにもならない
第3章 親鸞さまの教えを聞きたい
第4章 葬式など、しなくていいよ
第5章 弥陀の誓願不思議に助けられ
解説
「歎異抄」原文と意訳
仏教と「歎異抄」をもっと詳しく学びたい方へ

*ピックアップ*
・ 「歎異抄」・・・「異《こと》なるを嘆《なげ》く」親鸞聖人の教えが正しく伝わることを願って書かれた
・ 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
・ 念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし
・ 平生業成《へいぜいごうなり》(生きている時に、最も大事な人生の目的が完成すること)
・ 親鸞は父母≪ふも≫の孝養のためとて、念仏、一返にても申したることいまだ候わず(念仏を称えても、亡くなった者を救うことはできない)
・ 人間は死ぬまで煩悩から離れきれない悪人である
・ この弥陀の誓願に救われたならば、どんな波風が押し寄せても、びくともしない大きな船に乗せられたような心になります。行き先が極楽浄土とハッキリしていますから、安心して旅を楽しめるのです。この絶対の幸福になることこそ、人生の目的。親鸞聖人が九十年の生涯、教えられたことは、これ以外ありませんでした。

 親鸞といえば、50数年前、吉川英治の「親鸞」を読みました。この機会にもう一度読んでみようと段ボール箱に入れられていた本を探してみました。



 本はありましたが、取り出した50数年前の本を見て唖然! 活字がびっくりするほど小さいのです。当時は難なく読めた文字が今では目に疲れを誘います。
いつかもう一度読んでみたいと取って置いた他の本も同じです。そういえば今では新聞、雑誌なども昔にくらべてずいぶん活字が大きくなっています。
目の老化だけではなく、最近の活字の大きさに慣れてしまっているのでしょう。
総ページ数488 の分厚い本を前にして、50年の時を感じました。
百均だったかロフトだったかシート状の拡大鏡を売っていました。こんど買ってこようか。しかし、今では青空文庫などの電子書籍があります。これであれば自由に字の大きさを変えることができます。さっそくダウンロードしました。