毎年夏になると我が家の庭や周辺では、ツユクサの花が多く見られるが
この家に越してきた夏に、初めて見る上の写真の様な珍しいツユクサ?
の花を見つけた。
普通のツユクサに比べると花びらが大きく、白い縁取りの中に夏の青空
を映した様な、澄んだ青色のとても綺麗な花が咲くので毎年楽しみにし
ている。
繁殖力もけっこう旺盛で、庭のあちこちから勝手にこぼれ種で生えてきて、
楽しませてくれている。
何年もの間この植物の名前がわからず、植物図鑑等調べてもなかなか
載っていなくて分からなかったのだが、昨年インターネットを調べて、よう
やくこの花がメガネツユクサと言う名前だと分かった。
(見たまんま、白い縁取りがメガネの様にみえる)
今は何か分からない事があっても、直ぐにインターネットで調べるとほと
んどの事が分かってしまう、便利な時代になったものだとつくずく思う。
他では見かけない花なので、毎年大事に守って行きたいと思っている。
今日は24節気の立秋、とは云うものの関東地方はまだまだ夏本番の
うだるような暑さが続き、夜も熱帯夜が続いて寝苦しく立秋と言われて
も今一つ実感が湧かない。
それでも北側の窓を開けて寝ていると、今朝は窓から涼しい風が入り
心地よかった、夏の盛の猛暑の中でも空の雲や吹き渡る風に、少しず
つ季節の変化を感じ始める頃である。
今年は八月に入ってから、連日うんざりする様な猛暑が続いており、
庭の鉢植えの植物達も日中は厳しい暑さと、直射日光で参ってしまい
ぐったりと、葉をしおれさせてしまったりするが、水遣りをすると翌朝に
はまたシャンとして元気になっている。
そんな中でも猛暑にも負けず、我が家の夏の庭を黄色に染めて元気
一杯、今を盛りと咲き誇っているのがルドベキアの花である。
今の時期、夕方庭の水遣りをしたあとで夕涼みを兼ねてデッキに出て、
庭の花や植物達と過ごす時間が、自分にとっては憩いの一時である。
8月に入り文字通り盛夏の頃となった、西の方では台風の影響等で
大雨が続いたりしているが、ここ横浜地方ではほとんど雨も降らず、
毎日夏らしいピーカン照りが続いて、庭の水遣りが欠かせない。
こう暑いと日中出歩くのもしんどいので、出来るだけ外出は控えて
家の中で過ごしている、1Fのリビングはクーラーが効くので過ごし
やすいが、2Fの寝室はクーラーが無いので夜は窓を開け放して
扇風機を掛けて寝ている。
このところ連日熱帯夜が続いているが、まだそんなに寝苦しいほど
の暑さは感じない、この暑さに体の方がある程度順応したのかも
知れない?
これも街中ではなく、裏山の森をひかえた閑静な住環境の我が家
ならではのことで、エコな生活を実践出来てありがたいと思っている。
今の時期は朝夜明けと共に、4時半過ぎ頃から裏山の蝉が一斉に
鳴き出して目覚まし替わりになっている、蝉の合唱を聞きながら布団
の中でうつらうつらとするのも、この時期ならではの楽しみである。
この裏山の森おかげで、夏は午後3時頃を過ぎると西日が遮られ大分
楽になる、冬場は逆に日陰で寒くなるので良いことばかりではないが、
夏場は日陰になると、人も庭の植物もホッとする。
あと半月くらいしてお盆も過ぎる頃になれば、暑さも盛りを過ぎて朝夕は
大分涼しくなって来ると思われるが、もうしばらくはこの暑さが続くので、
夏は暑いの当たり前!の精神で暑さを凌ぐ工夫をして、暑さを楽しむくら
いの心構えでこの夏を乗り切りたい。
昭和30年代は、まだクーラーも冷蔵庫もなく扇風機と団扇の時代だった、
時々鐘を鳴らしながら自転車の荷台にアイスボックスを付けて廻ってくる、
アイスキャンデー売りのおじさんから、1本5円か10円のアイスキャンデー
を買って食べるのも楽しみだった。
あとはマクワウリやスイカを、裏の井戸で冷やして食べるのも夏の楽しみで、
ウリは実家の畑で作っていたので採りに行くのが楽しみで、畑で食べ頃に
熟れるとツルのヘタがポコッと抜けるので、それを待ちきれず引っ張っては
確かめてみていたものである。
スイカなどはたまにしか食べられず、母がスイカ栽培をしている農家へ手伝
いに行った帰りに、一個か二個担いで持ってきてくれるのが楽しみであった。
それから夜は部屋に蚊帳を吊って寝たが、蚊帳の中はまるで異次元の別
世界のような気がして、そこに入って寝るのも楽しかった、当時は夏はハエ
や蚊やアブなどが飛び回るのが当たり前の世界で、食卓の側にハエ捕り紙
を吊していたのも懐かしい思い出である。
あと夏休みの小遣い稼ぎとしては、当時田んぼには刈り取った稲を自然
乾燥させる為の、稲掛け用のはさを作るためのはさ木が植えられていて、
このはさ木にイボタという白い寄生虫?のような苔状のものが付くのでこ
れをはさ木に登って採取すると、このイボタから油が採れるので売って
小遣いにする事が出来た。
今ではコンバインで刈り取った稲は乾燥機で人工乾燥させる為、このはさ
木もすっかり用済みとなり、全て伐採されてしまった。
田んぼの農道にはさ木の並んだ、懐かしい田園風景も見られなくなって、
遠い日の思い出の風景となってしまった。