仕事を始めるようになって、金曜日が好きになりました。
園児たちを帰りのバスに乗せて4往復して戻ると
明日は休みだ!と小躍りしたくなるほど。
仕事を始めて劇的に変わったことはないのですが、
まず、たっぷり取れていた睡眠時間が取れなくなり
好きなジム通いが思うように行けなくなり
妊娠中以来の便秘にも苦しむことになりました。
仕事にようやく慣れ始め、
園児たちが思った以上に可愛くて
この仕事、向いてる!と思ったのですが
連休明け、持病の「咳優位型喘息が出てしまいました。
ジムをはじめたことでそこそこ体力をつけていて
ウォーキングでも15~16キロは平気で歩いていたし
ジムを始めたことでまず、持病の「咳優位型喘息」が
出なくなった。
私はここ4年、この病気で病院へかかっていなかったのです。
おそらく7つ以上の花粉症という
悲しいほどのアレルギー体質にかかわらず、
喘息が出ていないのは、
ただ体力がついたというだけではなく、
精神的にも落ち着いて、タフになっているのは間違いない。
ジムで汗を出すと、汗と一緒に「体の毒素」を出しているようで
運動の疲れ以上に、体が軽くなっていくのがわかり
それが快感だし、
ジムでは人間関係も楽だ。皆明るく前向きで
いろんな年代の人と話ができるも楽しい。
私より5歳年下の30代後半の女性とは
時々長いメールのやり取りをしている。
ジムで彼女に会えるのも楽しみの一つになっている。
そんなわけで
私のここ数年の生活は、時間を自由に使え
何不自由ない精神衛生の良いものだった。
それでも、私は欲が深い。
今私ができていないことを考えたとき
いつも、自分の中に悶々とあるのは
「仕事」をしたいという気持ち。
人は私を「馬鹿」だという。
働かずしても食べていけるんでしょ、
わざわざ苦労しなくても、今の気楽な生活を
満喫すればいいじゃないと。
看護士だった私は、早い結婚と同時に
その職業で働くことを諦めざる得なかった。
結婚してからのわたしの20代は
子育てと会社の従業員の世話とで大変だった。
(多いときで5人が我が家に居候をしていた時期もある)
兄弟の多いオットの小姑たちのもずいぶん悩まされた。
体力的に若かったからできたのだが
それ以上に、融通が利かず頑張ってしまう性格が
災いしてしまい、
肉体的にも精神的にも疲れ果てしまった私は
24歳の冬に入院することになってしまう。
当時の私の体重は32キロ。
つけられた病名は「やせ」
過労で倒れたわけではない。
このままでは倒れるか、もしくは壊れてしまう
と思った友人たち(看護士)が
病院のドクターと相談して、強引に入院させたのだった。
続く
園児たちを帰りのバスに乗せて4往復して戻ると
明日は休みだ!と小躍りしたくなるほど。
仕事を始めて劇的に変わったことはないのですが、
まず、たっぷり取れていた睡眠時間が取れなくなり
好きなジム通いが思うように行けなくなり
妊娠中以来の便秘にも苦しむことになりました。
仕事にようやく慣れ始め、
園児たちが思った以上に可愛くて
この仕事、向いてる!と思ったのですが
連休明け、持病の「咳優位型喘息が出てしまいました。
ジムをはじめたことでそこそこ体力をつけていて
ウォーキングでも15~16キロは平気で歩いていたし
ジムを始めたことでまず、持病の「咳優位型喘息」が
出なくなった。
私はここ4年、この病気で病院へかかっていなかったのです。
おそらく7つ以上の花粉症という
悲しいほどのアレルギー体質にかかわらず、
喘息が出ていないのは、
ただ体力がついたというだけではなく、
精神的にも落ち着いて、タフになっているのは間違いない。
ジムで汗を出すと、汗と一緒に「体の毒素」を出しているようで
運動の疲れ以上に、体が軽くなっていくのがわかり
それが快感だし、
ジムでは人間関係も楽だ。皆明るく前向きで
いろんな年代の人と話ができるも楽しい。
私より5歳年下の30代後半の女性とは
時々長いメールのやり取りをしている。
ジムで彼女に会えるのも楽しみの一つになっている。
そんなわけで
私のここ数年の生活は、時間を自由に使え
何不自由ない精神衛生の良いものだった。
それでも、私は欲が深い。
今私ができていないことを考えたとき
いつも、自分の中に悶々とあるのは
「仕事」をしたいという気持ち。
人は私を「馬鹿」だという。
働かずしても食べていけるんでしょ、
わざわざ苦労しなくても、今の気楽な生活を
満喫すればいいじゃないと。
看護士だった私は、早い結婚と同時に
その職業で働くことを諦めざる得なかった。
結婚してからのわたしの20代は
子育てと会社の従業員の世話とで大変だった。
(多いときで5人が我が家に居候をしていた時期もある)
兄弟の多いオットの小姑たちのもずいぶん悩まされた。
体力的に若かったからできたのだが
それ以上に、融通が利かず頑張ってしまう性格が
災いしてしまい、
肉体的にも精神的にも疲れ果てしまった私は
24歳の冬に入院することになってしまう。
当時の私の体重は32キロ。
つけられた病名は「やせ」
過労で倒れたわけではない。
このままでは倒れるか、もしくは壊れてしまう
と思った友人たち(看護士)が
病院のドクターと相談して、強引に入院させたのだった。
続く