1997年の3月末、
泣くよね、12歳だもの。
小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
わたしがパソコンを始めた訳
~第2章~
「400枚の涙のFAX」
長男の留学当初、
毎月くる電話代に脅え、請求書をみては卒倒していた私。
でもお金にはかえられない。
わたしはもっぱらファックスを利用した。
自筆のお手紙だ。
私はほぼ毎日手紙を書いた。夕方近くになると、夕飯の準備をしながらその合間にせっせと手紙を書いた。
涙をぼたぼた落として文字がにじんだ・・・・・・。
ファックスのやり取りは約半年間で、枚数にするとA4サイズ400枚に及んだ。
4半世紀前のファックスのやり取り
感熱紙の文字が薄くなり読むのも難しくなっている。
処分できずにいる。
日に日に英語が増えていく息子のファックス
半年たっても、つらくて仕方がなかった。
ほんとうに良く泣いた。
いつになったら、このつらい気持ちは楽になるんだろう?
息子のホームシックは、いつなくなるんだろう?
私自身、ふさぎ込みがちになっていった。
夫へ散々八つ当たりをした。オットにしがみついて泣いた。
下の子を連れて、わたしは向こうで暮らしたい
夫がひとりで日本に残ればいいんじゃないの?
どっちが大事かって?
子供にきまってるじゃなの!
大人のあなたにわたしがついて、
なんで子供のあの子がひとりなんだ?
あの子の年令のとき、あなたはなにしてた?
親元を30手前まで離れた事ない人になにがわかる?
夫は、反論することもなくいつもだまって聞いていた。
母親の気持ちは痛いほど分かっていたのだろう。
母子の絆は強い。
息子がつらいとわたしもつらい。
体がちぎれそうだ。
ちぎって体を二つにしたい……。
あの子の顔が見たい。
声がききたい。
当時の日記です。
あの頃の辛さは今思い出しても涙が溢れます。
息子には、日記をつけるようにと、一冊のノートを渡しました。
1ページ目に、
私はこう書いてありました。
Dear My Toshi
自分自身の1日の行動を反省したり整理したり、
自分自身を見つめ直すために日記を付けて見てください。
辛い事、腹が立ったこと、嬉しかったことや悲しかった事など毎日一行でもいいから。
From My mother
日記の一番前に、私が一番始めに書いていて送った航空郵便と、こんなメモ書きみたいのが挟んでありました
4月16日水曜日=お話パパと
4月17日木曜日=〃パパと
4月18日金曜日=
寿司を食べたパパと
4月19日金曜日=
SEGAWORLDパパと
4月20日土曜日=
WONDERLANDパパと
DINNER,Korea foodパパと
4月21日月曜日=
公文へ行ったパパと
DINNER,Korea foodパパと
最終日泣いた。
3月末、シドニーまで一緒に行ったのは母親の私。
1週間滞在し帰国。
4月には主人が行ったんですね。
泣くよね、12歳だもの。
~続く