第15回学校祭のプログラムが出てきた。
パソコンの無い時代、この表紙、絵も文字もすべて手書き、すごい力作や。
教室展示内容、電気通信部。
いずれも当時の「初歩のラジオ」などの電子雑誌に回路図が掲載されてたような気がする。
電子アンマ器・・・いまの低周波治療器みたいなものかな。
磁気ワイヤレス・・・いまの非接触充電のような原理で磁気を使って音を伝えようとする仕組みかな。
おばQリレー・・・何かな、分からない。
この1年後か2年後、乾電池で高電圧を発生させて、金属部分(五円硬貨)に触るとピリピリする電子おもちゃを作って、文化祭で公開したことがある。
「こんなん危ないで」と言われた。
それから、当時、すでに、送信機のコイルにパンの切れ端を入れると、温かくなることはアマチュア無線家の間で知られていた。
電子レンジと原理は同じ。
一般団体に「伊藤花子先生のヨーロッパ旅行記」がある。
伊藤花子先生からは地理の授業を受けた。
その伊藤花子先生の夫は、伊東静雄という昭和を代表する詩人で、
そのことは、当時の一部の登美高生の間では知られてた。
伊東静雄がうたった「燈台の光を見つつ」を刻んだ石碑が旧堺灯台のそばにある。
旧堺灯台と伊東静雄
どこかの数学の先生が言ってた
「数学の理論は数十年経っても変わらないけど、地理経済は刻々と変化するから地理の先生は常に勉強や」
私の時も電池は006Pだったと思います。
日本橋に部品を買いに行って、作りました。
アルミ板の上に5円硬貨を固定して、触るとピリピリする仕掛けです。
学校祭のプログラム、学校で保存してくれてると嬉しいのですが。