暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

諏訪神社(江南町)

2018-10-17 21:20:40 | 神社仏閣・その他
今回は、旧江南町にある諏訪神社です。

訪問日は2018年08月11日です。

諏訪神社は、旧江南町の上新田地区にあります。

最近、本殿が市の文化財に指定されました。

本殿の装飾が非常に優れているとされ、妻沼の聖天堂を造営にかかわった三ヶ尻村の内田清八郎が棟梁となって

作られたものだということです。

尤も、本殿は外部からは見ることが出来ません。

これは、拝殿です。





解説板には本殿のことが書かれています。





地味にすごい神社です。

山崎城(滑川町)③

2018-10-16 18:56:08 | 城館跡探訪
さて、稜線に沿って、東西を横切っていた土塁・空堀は南に曲がって斜面を下ります。












東西に走っていた土塁・空堀よりも、やや浅くなっています。

斜面の起伏もあるので、空堀の中は結構歩きにくいです。













下の写真の辺りで、土塁と空堀が小さな方形の郭状の遺構を作っているらしいのですが、

夏場でもあり、やぶのようになっています。





空堀内の歩行も困難になったので、梅園内に上がります。













梅園内の写真を見ると分かるように、城内はかなり傾斜があります。





城内を東西を隔てるように小さな沢があります。







城内から東西に走る土塁を見ると、こんなに高いのです。



山崎城は、土塁・空堀などの遺構が広範囲にわたって広がっており、それ自体は見ごたえがありますが、

虎口のような防御施設などの遺構が無いようで、何となくアクセントに欠けます。

上杉氏系の陣城なのでしょうか?

忙しい中で回ったとはいえ、山田城・山崎城とも今回は調査の戦略に失敗したような気がします。

やはり、山城・平山城の調査は冬がいいようですね。

山埼城(滑川町)②

2018-10-15 20:23:24 | 城館跡探訪
さて、山崎城跡のある庭園入り口に到達すると、そこには土塁と空堀とはっきりわかる遺構があります。



かつては、わかりにくいやぶの中にあって遺構の規模もはっきりしなかったのですが、

非常に見学が容易になったわけです。



山田城と同じく、空堀の中を歩きながら、東に向かって見ていきたいと思います。







これだけのものが山林の中にあるのを発見したならば、きっと感激するんだろうなあ・・・などと思いながら歩きます。

両側が高く盛り上がっています。右側が城の内側になっており、かなり急な斜面にもなっているので、

二重土塁のような感じがします。

フィルムという枚数制限がないため、写真を撮りまくっていますが、単に枚数のせいだけではなく、

実際かなり長い空堀です。











東端の角の部分を目指して歩きます。











とにかく長い空堀です。





ようやく、東端に到着到達しました。







まだ先があるようにもみえますが・・・。

ここから南に向って、空堀が斜面を下って行きます。




山埼城(滑川町)①

2018-10-14 16:58:30 | 城館跡探訪
今日は、滑川町の国営武蔵丘陵森林公園内にある城跡の一つ、山埼城について

書きたいと思います。

調査日は2018年08月18日 です。

山崎城は、山田城とともに森林公園内にある城です。山田城と同じく

南口近くにあります。

規模は山田城よりもはるかに大きく、鎌倉街道沿いの南斜面の広範囲にわたって

土塁と空堀を残しています。

現在は、梅園として整備されたために、遺構の確認が容易になっています。

山田城下の旧鎌倉街道を進むと解説板が現れます。



舗装されていない旧鎌倉街道遺構を歩きます。



オリエンテーリングのポイントがありますが、ここに山崎城の土塁と空堀が現れます。







下の写真は空堀であることがはっきりとわかります。



西側はかなりやぶが深い上に、土塁の向こう側が大きく落ち込んでいるので、踏み込むのは止めて、

梅園になっているのは、東半分に向います。





再び鎌倉街道を進みます。







突然目の前が開いて庭園風に整備された場所に出ます。



早くも空堀と土塁が現れました。





右側(西側)は下のような状態です。
















須賀広陣屋跡 1987年(旧江南町)

2018-10-13 20:01:35 | 城館跡探訪
須賀広陣屋は田村陣屋とも呼ばれ、田村氏の居館であったといわれています。

須賀広陣屋跡は、現在でも比較的遺構がよく残されています。

さて、ここに紹介する写真は1987年の写真です。

須賀広陣屋の池とつながった水堀は須賀広陣屋のシンボルと言っていい存在です。中に小島があります。




下の写真は須賀広陣屋内の社の周囲の水堀を撮影したものです。









須賀広陣屋の水堀はなかなか規模が大きく、印象的だと思います。