暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

霊山院(都幾川村)

2018-10-12 18:31:49 | 神社仏閣・その他
都幾川村にある霊山院は、慈光寺のある山の奥にあります。

建久8年(1197年)創建の、東日本最古の禅寺とされ、慈光寺の塔頭です。

霊山院は庭が見事です。

訪問日は2018年08月01日です。

庭師さんが手入れの真っ最中でした。境内は非常に静かで、はさみの音だけが聞こえてきます。





















文化財に指定されている石塔婆です。










境内の外にある駐車場の脇にあった祠です。



ハチがうるさくて、危険なので近づけませんでしたが。

永田城 1988年(秩父市)

2018-10-11 21:01:51 | 城館跡探訪
秩父札所22番永福寺の境内にある城跡が永田城跡です。

荒川本流と支流の沢の合流点にできる舌状の河岸段丘を水堀で切り離す築城方法は、

黒沢民部城とよく似ています。

永田城は新年に父と一緒に訪問しました。



永福寺前にある有名な水堀の水は少なくなって、中には冬枯れの葦が茂っていました。



荏原氏館跡(深谷市)

2018-10-10 13:48:44 | 城館跡探訪
30数年ぶりに荏原氏館跡に行ってまいりました。

訪問日は2018年08月13日です。

荏原氏は猪俣党の支族で、この館跡は鎌倉期につくられたものとされていますが、

現状では、遺構は無いと伝えられています。

土塁が利根川堤防の一部として利用されたと伝えられていますが、いつの話なのか不明で、

他に石田堤に利用されたとかいう口伝もあるそうですが、正直、意味の分からないものです。

むしろ備前堀などの開削との関連などを疑った方がいいのではないかという気がします。

まあ、こんなことを考えられるのも、いまPCの前にいるからで、訪問日当日は少ない時間に

気を使いながら、しかも、重い熱気に耐えながらの訪問ですから、周辺を調査する気もありませんでした。

江原氏館跡の摩利支天神社は戦の神です。私が最初に訪ねた時には、かなり流行っていない神社でしたが、

現在の方がむしろ信仰を集めるようになっている様子で、不思議な気がします。








同好の方のブログを拝見すると、ピンク色の、田舎のカラオケスナックのような社務所が衝撃を与えますが、

現在は落ち着いた感じの社務所になっています。

本殿も、近年の活況が反映されて、手入れが行き届いているようです。









神社を1周すれば、霊場が回れるということです。






江原氏館と言えば、そのシンボルは下の小祠とエノキの古木です。







荏原氏一族の子孫は現在でも残っており、各地に散った一族が、摩利支天神社に参拝しに来ているようです。

直近の妻沼は地方農村としては元々文化的水準が高く、江戸期、寺門静軒が滞在した地として知られていますが、

下のような句碑を建立するような人物を輩出してもいるんですね。




念のため、境内裏の土地を見てみますが、特に遺構らしきものはありません。

やはり周囲を歩いてみないと何とも言えないようです。






ここには、一族の方々によって建てられた小さな碑もありましたが、あまりにもはっきりと

個人情報が書かれているので、載せられません。


遺構があるかないかは、実際に歩いてみないと分からないというのが正直なところで、

土塁が、現在の利根川の堤防の一部になったというのは、かなり眉唾ではないかと思います。

この、辺りを手掛かりにして、すこし、付近の確認をしてみたいと思います。




天神山城 1986年(長瀞町)

2018-10-09 16:29:45 | 城館跡探訪
秩父線に乗って三峰口に向う。

波久礼から断崖絶壁を張りつくように電車が走る。眼下にブルーの玉淀湖。

家も少なく、見通しの良い車窓には長瀞から続く荒川の瀞場が見える。

そして、対岸の山上に立つ小さな白い天守閣。



40年前の天神山城は、秩父線沿線のシンボル的存在でした。

あそこが、実は観光用の隅櫓であり、実在した天神山城の建築物の再現ですらないと知って

受けたショックはかなりのものでした。


さて、天神山城は野上駅を降りて対岸の白鳥神社背後の山上にあります。



谷川健一先生の『青銅の神の足跡』、『白鳥伝説』などによれば、「白鳥」という地名は

古代金属加工に関連する地名とされており、なるほど、たしかにこの辺りは、結晶片岩由来の

黄銅鉱産地としても知られています。少量ですが金も産出する様です。


さて、私は、例によって自転車で天神山城を尋ねました。白鳥神社の背後ある山道を直登するのが、

良いとされていましたが、私が訪問したのはちょうど5月の暑くなり始めたころで、

当時は、ものすごい羊歯が生い茂った険しいやぶの山道をみて、即座に断念しました。

たしか、大手口が別の場所にあり、そこからならば車で登れると聞いていたので

そちらに回り込みました。



天神山城大手口には、桜の老木がありましたが、肝心の車道が潰れてしまっているのかわかりません。

どうも、この部分は所有権の関係で入れ無いようでした。

結局、白鳥神社の背後以外登る場所がないということで、初めて惨敗を喫しました。

まあ、正直、中学校時代のバカ丸出し、運だけを頼りにした無装備のむちゃくちゃな崖登り、

崖降り歴からみれば、冬ならばあっさり登って行けたでしょうけど、蛾の幼虫などが苦手な私には、

やはり夏場の城館跡探訪はきびしいと思わされました。

今は、体力的にきついですけど(笑)、でも、行かんことにはちょっと納得できませんね。

べんがら庚申塔(旧川本町本田)

2018-10-08 16:17:39 | 神社仏閣・その他
旧川本町の本田地区には、真っ赤に塗られた奇妙な庚申様があります。



俗に、ベンガラ庚申塔と呼ばれているようです。

地方に行くと仏像や地蔵をわざと汚して、雨乞い、豊作祈願、厄除けをする風習がありますが、

ベンガラ庚申塔もその仲間なのでしょうか。





ベンガラを塗ったばかりのようで、一部の隙も無く真っ赤です。




ベンガラ庚申塔の隣の庚申様は文化財に指定されています。







旧川本町には庚申様が多いそうです。

私も、時間ができたら訪ね歩いてみたいです。

2018年08月11日