人生いろいろ、たぶん大丈夫だ?

40代の中年おじさんです。「四十にして迷わず」うーん、迷える中年羊を誰か救いたまえ。

伯父様のこと

2010年06月01日 23時07分18秒 | 
親戚つきあいというのは、多種多様であると思います。時には親戚同士で仲が悪くなり、絶縁という話も聞いたことがあります。
幸いにも、私の一族の関係は良好です。
私も年をとるにつれ、親戚のおじさまおばさまたちも当然お年を召してきます。そんな私の親戚の伯父様のお話です。

私は地方の都市に生まれ育っていますので、歴史の教科書に書いている現代史はほとんどのことは東京の出来事だと思っておりました。

その伯父様は、土木技師として全国のダムの建設に関わり、70歳を過ぎてもう現役から退き、悠々自適な生活を送っているころから、おつきあいさせていただきました。
70をすぎてからワープロを習い、その後パソコンが世に出てからはパソコンでメールもできるようになりました。私も時々、電話でパソコンの操作でわからないことなどを教えていました。
親戚の伯父様の中でも、技術者の雰囲気がでていらっしゃって、文系の私にはとても興味深いエピソードをお持ちでした。

そのようなおつきあいをして伯父様が90歳代になったとき、体調を崩されて入退院を繰り返すことが多くなりました。その時も病床にお見舞いに出かけたりして、伯父様との時間を過ごしました。
そんな病床でのあるとき、今まで聞いたことがなかった話題になりました。それは伯父様の子供の頃からの経験でした。そのお話を聞いたとき、私は「自分の身近に歴史の生き証人がいた」ということがわかり、日本の現代史が身近に感じられるようになりました。

伯父様から伺ったお話は3つ。
関東大震災で焼け出されたときの様子。
226事件の時、内務省の建物の中で働いており、窓から反乱軍の様子を見ていたこと。
東京大空襲の夜の出来事。

この3つの大事件を生き抜いていたと言うことを知って、驚きと畏敬の念が湧いてきました。
技師として働いていた間も決して順風満帆ではなかったと言うことは後で叔母様から伺いました。
いろいろなご苦労があったのでしょうが、私のような若い者とのおつきあいも苦にせず、新しいことに挑戦していた伯父様。
2009年5月、旅立ってしまいました。最後にお見舞いに行ったとき、もう最期であるとわかっていたので、私は「ありがとうございました」と感謝の念を伝えて来ました。

お話を伺いたいのに、もうできない。人間には寿命があります。もっと身近な年長者のお話を聞くのは、今しかないのだと気がつかされました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 手軽な気分転換 | トップ | 足首が・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事