最近はあまりテレビを見ていないのですが、テレビ番組に地図で見つけた山の中にある一軒家を訪ねて、住んでいる人の事情をご披露するというものがあります。もともと地図を見るのが好きなので、こういうのも番組になるのだと、着眼点に感心しました。
さて、番組ではデレクターが地図(主にGoogleマップ)写真の中から、どう見ても交通不便な主に山中の一軒家に、人馬未踏の道をかき分けてたどり着き、そこに住んでいる人の生業などを本人に語ってもらっています。住んでいる理由はご先祖様から引き続きという人が多いのかなと思います。ご先祖の生業の関係で便利な場所として、またはテレビでは語ることができない理由もあるのかもしれません。わかりやすく言うと、外界のみんなと暮らしたくない、とか理由があって追いやられたとかです。集団の中でいきていくより、個を選びしかも地理的にも離れたところに居を構えたのです。でもこれはあくまでの私の想像でしかありません。この状態を地球規模で見たら、日本国だって「ぽつんと一国」状態ではないかと思いました。
話は人類がアフリカで誕生したという時代まで遡ります。現代ではホモ・サピエンス、つまりわたしたちが地球のあらゆるところで生活しています。アフリカ大陸を出るまで千年単位の時間がかかっているそうです。そして、今で言うヨーロッパ、中東、アジアまで大陸伝に人類は何かを求めて歩き続けたのです。
「何か」とは何でしょう。生命の安全を確保して安心して暮らせる場所、ではないでしょうか?そのためには、食料の確保が良い場所、気候や自然環境が適している場所など主に地球が提供する自然環境をもとに探し回ったのでしょう。その移動のためには単独ではなくみんなの協力が必要な場面があったはずです。そして小さなコミュニティが生まれ更に大きな集団となり、安住の地を見つければ定住して更に大きな社会的な集団ができ、国というものになっていきました。
さて、日本人の祖先はベーリング海沿いに来た民族、今の中国大陸から来た民族、南方の島伝いに来た民族だそうです。彼らは何を求めてこの島に渡ってきたのでしょう。きっと、彼らの理想とする安住の地を求めてのことでしょう。その要件の中に「他の集団とは暮らせない」という判断もあったはずです。例えば、大陸で他の集団と接して暮らしていても、食料やいろいろなものを求めて争いがあれば「こんな場所にはいたくない。海の向こうに渡れば向こうも来ないだろう」そう思った日本人のご先祖様たちが命がけでわたってきて作り上げた国が今の「日本国」だと思っています。今風に言えば日本人とは「ちょっと変わった孤立主義の集団」と言えます。日本の歴史をみると、明治の開港まで、ほとんど海外との交流がなかったのも事実です。鎖国という状態で独自の社会制度、文化、風習、価値観を築き上げてきたのです。
さて、感の良い読者ならそろそろ私が何を言いたいのか気がついた方もいるとおもいます。現代の日本国は人口が減少して、それに伴い労働人口の減少、経済の停滞、社会機能の運用が難しくなるなの社会問題が顕在しました。これを解消するために、「外国人の移民を(労働力として)受け入れる」論議が盛んになりました。現実として、日本のある地域では特定の国のコミュニティができるくらいまで外国人が多く暮らしています。そして、日本人と間に軋轢が生まれ、トラブルになっています。それを理由として海外移民の受け入れに反対の立場を取る人も多いです。
私はこの考えに一定の理解を示します。その理由は、そもそも日本人とは孤立主義の集団にほかならないと思っているからです。言葉を選ばなければ「排他的」です。数千年前の誰も検証できない理由をグローバルな時代の日本に当てはめて良いのだろうかという意見もあるでしょう。今を生きる日本人として、肌で感じるのは日本の文化や価値観の中に古来からのそれは流れ続けていると思います。
その一方で、日本の文化価値観を共有する人々には理解を示すのも日本的かなと思います。姿形が違っていても、日本という価値観の中でいきてくれる人は受け入れています。
労働力の不足を補うためと称して外国人を受け入れるのは、日本人の悪い面(排他的なこと)を世界に示してしまうので、受け入れ側としてよく考えなければなりません。過去に起こった悲劇の繰り返しになります。
労働人口の減少、経済の縮小でかつての鎖国時代の日本の経済規模になるというのであれば、日本国は世界経済の表舞台から消えていく運命でしかありません。でも、小さな経済の中で国民が豊かで幸せな暮らしができる国ができるのであれば、歓迎したいです。