楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅹ

2013-11-04 07:38:01 | Weblog
  富者が保存してしまうため市中から交換に必要な貨幣が、現在の社会では時間と共に不足してしまう。(新AEの関係参照(そこでは一人が貨幣を次の交換に回さなかったら、全体の交換が終わり不況になる))

 そのような状況を防ぐ手は無いのか、歴史の中で経済学者と為政者はその防ぐ方法を考え出した。原因は市中に交換財(貨幣)が不足するからそのような状況となる、では交換財となる貨幣を市中に戻せば良い。その方法が現在の社会を見たとき間違えていたということになる。
 原因は貝殻の貨幣であればトラックで運ばなくてはならないのだが、紙に印刷した貨幣であれば家に積み上げて置くことができるし、銀行に預ければ帳面にゼロという数字の羅列を印刷させればよい。

 次の文章で明らかにするがそれを防ぐ手立てとして、今までの歴史の中で考え出され幾度と無く繰り返されてきた。その結果富者はより富者になり貧者はより貧者になる。最近では非正規社員の子供達は社会に出たとき非正規社員になると言われている。なぜなら親が充分な教育を受けさせる余裕が無いから。そこで為政者も富者の味方をしてしまう。

 その方法とは富者が保存している貨幣を借りるという方法になる。ただそこでは何らかの利子をつけなくては、貯める事に執着している富者は決して財布の紐を緩めることはない。富者が保存している貨幣を国が利子をつけて借り上げる。

 ただ不足している貨幣をそのまま市中に戻したのでは市中の貨幣はある時期だぶついてしまう。つまりインフレの芽を残したことになる。そこで考え出されたのが、市中と切り離されたかたちの貨幣と言うことになる。それが国の借金であり、即市中に流通させないかたちの、貨幣とは違う国債という紙に印刷された証書であり、市場で二者間の取引の中で貨幣として市中で流通させることができる。

 だが貨幣の機能は自然が人間に与えたものであり、この先の貨幣に対する取り組み方こそ人間の浅知恵で作り出したものでしかないと言える。そこには未来を窺うことができない罠が隠されていたとしか言いようがない。その罠は貨幣というかたちで交換財として人間社会に発生したときから、欲を持てばこうなるという既に内在したものであり、人はそれに気が付かなかったにしか過ぎない。

 ある時期それは有効に働いた、交換財として市中に不足した貨幣を富者から利子をつけて(国債)借り上げ市中に戻すという方法。初期のうちは一時的に経済を活性化させるには素晴らしい方法だった。だが罠は国債の増加と共に少しずつ広がってきた。

 市中に交換財としている貨幣に利子を付けていけば一部の人間に、より保存の機会を多く与えたことになる。交換財(お金)が市中から不足する問題点は一部の人間が市中の貨幣を保存してしまうことではなかったか。その問題点に気が付く事無く今まで一部の富者の利益となる国債(国の借金)を積み上げてしまったのが現在の日本も入れた世界の現状ではないのか。

 ここで問う。不況の原因を作っているのは誰なのか。その不況によって多くの人達が貧困にあえいでいる。