本日も雑感として。
不況を作り出す責任は誰にと言うタイトルの答にやっとたどり付いたのだが、その答は自分なりに最初から予期していたわけではなかった。やはり基礎となっているものは「AEの関係」もしくは新AEの関係と言う一文が最初に思い浮かんだことからの出発だった。
それがなかったら最後の答までたどり着けなかったと感じる。そこには現実に何気なく使っているお金が単なる交換財としての意味しかなかったと言うことでは私なりに不思議さを感じた。おそらく今まで生まれたときからお金と言う物を使ってき、その使い方に馴れ親しんできた人たちにはなかなか理解しづらいのではないかと感じる。
ましてはその先に「不況を作り出す責任はだれに」と言う設問に「AEの関係」を基礎にした答として、億万長者としてアメリカンドリームを飾っている人達が、市中の交換財としてのお金を、現在社会では合法の元にではあるが大量に所有していってしまう。そのことから市中での交換財不足を来たし、不況になると言う回答にたどり着いてしまった。
それは事実であるのか?そこには大きな問題があることから長い時間を掛けて検証する必要もある。
そしてその先に進んだのが今の貨幣経済は本物の貨幣経済ではないということからやはり貨幣を主体とした社会が人間にとって必要と考え、今までの格差を生み出してしまった擬似貨幣経済を捨てて真の貨幣経済(AEの関係)から来る社会が未来社会であると考えたのが今までのいきさつであると言える。
そこで今までの最高に積み上げてしまった国の借金、国債を無かった物にし、また銀行(世界を入れて)に預金しているお金も、貨幣の保存機能に制限を持たせるためにも無いものとして捨ててしまう。その代わり新しい貨幣を全ての人達に平等に分け新しいAEの関係に沿った社会を創っていく。
長者番付に乗ることを誇りとしている人たちには、当然受け入れられることではないと断言できるし、また多くの抵抗があるとも言える、なぜなら長者になること、お金を貯めることは決して悪いことではないと、頑固に信念と言える物を持っている人たちには当然受け入れられるものではないと私にも理解できる。そのいい例として富裕税では相当な反対があったことだし、お金を溜め多大な資産を持ち、その一部を寄付と言うスタイルで社会に貢献していると自負している人たちには当然のこと受け入れられる代物ではないといえる。
不況を作り出す責任は誰にと言うタイトルの答にやっとたどり付いたのだが、その答は自分なりに最初から予期していたわけではなかった。やはり基礎となっているものは「AEの関係」もしくは新AEの関係と言う一文が最初に思い浮かんだことからの出発だった。
それがなかったら最後の答までたどり着けなかったと感じる。そこには現実に何気なく使っているお金が単なる交換財としての意味しかなかったと言うことでは私なりに不思議さを感じた。おそらく今まで生まれたときからお金と言う物を使ってき、その使い方に馴れ親しんできた人たちにはなかなか理解しづらいのではないかと感じる。
ましてはその先に「不況を作り出す責任はだれに」と言う設問に「AEの関係」を基礎にした答として、億万長者としてアメリカンドリームを飾っている人達が、市中の交換財としてのお金を、現在社会では合法の元にではあるが大量に所有していってしまう。そのことから市中での交換財不足を来たし、不況になると言う回答にたどり着いてしまった。
それは事実であるのか?そこには大きな問題があることから長い時間を掛けて検証する必要もある。
そしてその先に進んだのが今の貨幣経済は本物の貨幣経済ではないということからやはり貨幣を主体とした社会が人間にとって必要と考え、今までの格差を生み出してしまった擬似貨幣経済を捨てて真の貨幣経済(AEの関係)から来る社会が未来社会であると考えたのが今までのいきさつであると言える。
そこで今までの最高に積み上げてしまった国の借金、国債を無かった物にし、また銀行(世界を入れて)に預金しているお金も、貨幣の保存機能に制限を持たせるためにも無いものとして捨ててしまう。その代わり新しい貨幣を全ての人達に平等に分け新しいAEの関係に沿った社会を創っていく。
長者番付に乗ることを誇りとしている人たちには、当然受け入れられることではないと断言できるし、また多くの抵抗があるとも言える、なぜなら長者になること、お金を貯めることは決して悪いことではないと、頑固に信念と言える物を持っている人たちには当然受け入れられるものではないと私にも理解できる。そのいい例として富裕税では相当な反対があったことだし、お金を溜め多大な資産を持ち、その一部を寄付と言うスタイルで社会に貢献していると自負している人たちには当然のこと受け入れられる代物ではないといえる。