楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

不況を作り出す責任は誰に Ⅱ

2013-11-12 07:17:30 | Weblog
  不況を作り出す責任は誰にとタイトルで書いたように以前も同じように書いたことがありますが「AEの関係」を例にとって書いて見ます。そこではA~EのうちのBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉をAに販売し千円を得ますがBはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入しませんでした。本来購入すれば最初の千円はCに渡りますがBは貯金をしときたいということで、今日は味噌・醤油は間に合っているから買わなくてもいいやと言うことで、Aから渡された千円を自分でしまってしまう、つまり貨幣の保存です、このような状態になるといきなりその市中では交換財としてのお金(貨幣)が無くなるわけです。結果商品を作ったが売れない、そしてお金が入ってこないため物を買うことができない。そこには失業と生活苦と言う二重の労苦に陥ります。

 これは小さなAEと言う社会で起こった例として書いたわけですが。現在の多くの人達が生活し複雑化した社会では不況の原因を突き止めることはなかなかできなかったわけです。だがもしAEと言う関係の中で考えれば誰かが貨幣を保存してしまうと市中の交換財としての貨幣が無くなってしまう。当然そのような状態では交換財不足による経済自体が止まってしまう。

 このような状態を文字で書けば簡単ですが、我々が生活をしている社会としてみれば、物を作っても売れない、物が作れなければ交換財としての貨幣も入らない。人を雇っていたところでは給料も払えない、従業員も辞めてもらわねばならない。でも何とか生き残るためには従業員も減らしコストをどこまで下げられるかの競走を始めるわけです。

 他店にまたは、他社に負けない価格をつけなくてはこの競争に生き残れない、雇用主自体が自己の取り分を抑え、できるだけ商品価格を抑えていく。つまりこの状態がデフレです。またこの状態が起こることによって買い手側としては商品がまだまだ下がるだろうと予測して買うのを控えてしまう。そして先行きの不安を感じることによって、より財布の紐を締めてしまう、これがデフレスパイラルです。

 このままの状態が続けば雇用が極端に減少し失業率が高くなり社会不安が増加するわけです。この状態を作り出す根本にある原因は何かと言うことになります。AEの関係では市中の交換財としてAEの間を回っていたおカネをBが保存して(次に回さなかった)ことが原因ですが、何億、何十億と人が生活している社会では一部の人が交換財としての貨幣を儲けとして持っていってしまう。

 歴史を遡ってみたときそのような行為は現在の社会でも合法性という形で守られている行為ですが、市中からカネを奪っていき不況を作り出す現況と考えたとき、人間社会においては悪であり、充分罪にあたるのではないかと考えます。

 最近の考え方でこのようなことが少しずつ理解されてきたようで、富裕層から富裕税としての名目で税金を頂くと言うことが世界の常識となってきましたが。なかなか抵抗があるようです。

 その例を少し。
フランス
10月24日(ブルームバーグ):フランスのプロサッカーリーグに所属するクラブは、オランド大統領が推進した高額所得者に対する課税が来年から開始されることに抗議し、11月29日から12月2日に予定されている試合をキャンセルすると発表した。

アメリカ
オバマは富裕層減税恩恵の撤回だけでなく低い税率恩恵を享受してきた金融資本家の税負担も増やす計画だ。投資所得に対し通常15%未満の資本所得税率の適用を受けてきたヘッジファンドと資産運用会社に最高39.6%の所得税率が適用されるものと見られる。

ドイツ
ドイツで富裕税論議が高まる。ドイツでは私たちの国と同様、福祉が破綻しそうになっていますが、「発展途上国の前例から、財政の破綻は緊縮策では改善できず、大企業や資本家たちへの増税によってのみ解決することができる」と関係者は述べています。「ツケを後の世代に残すのも問題だが、壊れた学校や閉鎖された図書館を残すのも問題だ」と書かれています。

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不況を作り出す責任は誰に Ⅰ

2013-11-10 06:07:21 | Weblog
  今まで書いてきた私の文章、読む人によっては難しすぎると言う声を頂きましたので、できるだけ若い人に読んでもらいたいと言う気持ちから再度解り易く書くつもりです。

  AEの関係を解り易く
 私が今まで書いてきた文章の中で基本となっている考え方が「新AEの関係」と言う文です。これを理解し発展させれば、おのずと日ごろ何気なく使っているお金とは何かと言うことがわかるのではないかと考え再度ここへ省略したかたちで転載します。

 「新AEの関係」で書かれた文章自体は簡単な例として書きましたが現実の社会ではこのようなわけにはいきません、なぜならそこには何億人と言う人々の生活が日々展開されているわけです。学校の先生があり、裁判官があり、警察官があり、消防署員があり交通機関に従事している人、人々が病気にかかったとき治療をしてくれる医師や看護師さん、また我々の食料を輸入と言うかたちで世界各国から集めてくる人、それを市場(いちば)を通して我々の身近の小売店に従事している人達から我々に供給される。そして新たなビルや工場の建設に従事している人、また食事や飲食(飲み屋さん等)を提供してくれる人達、数え上げたらきりが無いほどの職業が今の社会には溢れています。しかしその元となっている職業が新EAの関係の職業といっても過言ではないでしょう。つまり人が日々三度の食事ができるのも食糧生産に従事している人達がいて、初めて今の社会が成り立っているわけです。

 つまり人間の社会が原始時代からこのような労働があったのではなく、最初期の人々は狩猟・採集という形の社会で食料を得、家族と共に人生を送っていたわけです。そして、やがて人は自然の恵みを貰うだけではなく、自然に働きかけ効率のよい方法で食べる物を増産(農耕の発生)してきたわけです。そこで当然のこと余剰生産物(食べ物が余る)が発生し、そこから食物生産に従事しないで、あまり出した食べ物を食べ、別の仕事をする人が出てきたわけです(分業の始まり)ここから少し飛ばします。

 そこから、よりあまり出した生産品を他の物と交換する形態の物々交換というかたちの交易に発展したわけです。やがてそこから交換しやすいかたちの特定のものが貨幣の原型になったわけです。

 「新AEの関係」を省略した文章に直し貨幣を理解するうえで必要と考え再度掲載します。

  この『新A・Eの関係』という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。
 今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。

 そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。

 このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。

 ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。

 これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまで、この五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。

 追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。

 現段階で書きました文章は貨幣(お金)が持つ交換機能を主体として書いた文章です。お金の使い方としてはあくまでも理想にすぎません。ここから原始の時代に近い時代、交換に必要な余剰生産物が保存機能を有していたわけです。つまり保存が利くものとして、それがもう1つの貨幣の機能としての保存機能の原型になるわけです。

 次回は貨幣が持つ保存機能が社会にどのような影響を持つのかを書いていきます。




日本版アラブの春は来るのだろうか 11

2013-11-07 06:29:11 | Weblog
>不況の原因を作っているのは誰なのか。その不況によって多くの人達が貧困にあえいでいる。

 前の文章の中でこのように書いたが。このブログを読んでくれた人には既に解ったかと思う。その答は市中での交換財(お金)は、人の労働によって造りだされた物(商品)と他の人の労働で作った物(商品)の交換を仲介するものであり(他には商品を作らない労働(公務員等)もあるが)自己の労働で貨幣を得、それを交換財として使う。

 労働と労働の交換財としての貨幣が、偏った所持をされてしまえば。あくまでも貨幣の本来の目的からはずれてしまう。

 少数の人によって保存されてしまうとき、人々が幸せな人生を送るために必要とするものが貨幣の役割と言うとき、偏った所持は人間社会の目的から反した行為といえる。

 当然仲介をする貨幣が市中から消えてしまえば、もしくは不足してしまえばその社会での商品の交換は減少、もしくは途切れてしまうことになる。それが経済活動の停滞、不況と言うことになる。その前段階として市中の貨幣不足は交換財不足によるデフレと言う現象を最初作り出す。そこで政治に携わる政治家は国債を発行し市中の経済活動を活性化させようと腐心する。その新しい国債と交換され世の中に送り出された貨幣は、現在のような使い方をされれば苦しんでいる失業者等の手には渡らず、結果的にはその国債と交換された貨幣は大企業を太らせることに使われる。

 現在では企業が利益を上げれば従業員はそのお裾分けで潤い、その人達が買いもの(貨幣を使えば)をすれば順繰りにお金が人々に行き渡り波及効果が出るという理論らしい。それまでは辛抱してくれと言うことなのか。しかし今現在潤沢な紙幣は円安誘導に使われ輸入品の値上がりから、各商店及び小売業者は買い入れるものが値上がりしてもお客に買ってもらう商品の値上げができず、自己が作り出す製品・商品のコストを下げざるを得ない。ますますデフレ状態は続いている。

 円高の時期多くの中小企業が大企業と共に安い労働力を求め国外に製造拠点を移してしまった。そして円安になれば国外に出た企業がまた戻ってくると言う話、しかしそれは神話でしかなかった。企業はさらにコストを下げるべくより労働力の安い国に製造を移していく。その結果国内の企業は大手を含めやむなく国内工場を閉鎖するしかないのが現状と言える。そこに待ち受けているのがリストラと言う失業者の群れを社会に送り出すことでしかない。

 現在1千兆円を越える国の借金で作り出されているものは、大手企業が絡んだインフラ整備の名の元に建設業と住宅関連、そして景気が良くなるという仮説の元にこれも大手企業が作り出す自動車などでしかない。1千兆円の国の借金、景気浮揚でバラ撒いたカネはやがて市中からそれらの企業と関連する人たちの利益となり時間と共に市中から消えていく。そのスピードは今までに無く速いと言える。

 はたして社会全体が1千兆円を超える借金を作り出した効果を味合うことができるのか。日本から製造業が消えていく日、それは構造不況という名の元に中小製造業がこの国から消えていく日でもある。

 原因はどこにあるのか、答は誰かが市中の貨幣をより多く保存してしまうことでしかない。それは国を超えた世界的な問題でもある。
 
 




日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅹ

2013-11-04 07:38:01 | Weblog
  富者が保存してしまうため市中から交換に必要な貨幣が、現在の社会では時間と共に不足してしまう。(新AEの関係参照(そこでは一人が貨幣を次の交換に回さなかったら、全体の交換が終わり不況になる))

 そのような状況を防ぐ手は無いのか、歴史の中で経済学者と為政者はその防ぐ方法を考え出した。原因は市中に交換財(貨幣)が不足するからそのような状況となる、では交換財となる貨幣を市中に戻せば良い。その方法が現在の社会を見たとき間違えていたということになる。
 原因は貝殻の貨幣であればトラックで運ばなくてはならないのだが、紙に印刷した貨幣であれば家に積み上げて置くことができるし、銀行に預ければ帳面にゼロという数字の羅列を印刷させればよい。

 次の文章で明らかにするがそれを防ぐ手立てとして、今までの歴史の中で考え出され幾度と無く繰り返されてきた。その結果富者はより富者になり貧者はより貧者になる。最近では非正規社員の子供達は社会に出たとき非正規社員になると言われている。なぜなら親が充分な教育を受けさせる余裕が無いから。そこで為政者も富者の味方をしてしまう。

 その方法とは富者が保存している貨幣を借りるという方法になる。ただそこでは何らかの利子をつけなくては、貯める事に執着している富者は決して財布の紐を緩めることはない。富者が保存している貨幣を国が利子をつけて借り上げる。

 ただ不足している貨幣をそのまま市中に戻したのでは市中の貨幣はある時期だぶついてしまう。つまりインフレの芽を残したことになる。そこで考え出されたのが、市中と切り離されたかたちの貨幣と言うことになる。それが国の借金であり、即市中に流通させないかたちの、貨幣とは違う国債という紙に印刷された証書であり、市場で二者間の取引の中で貨幣として市中で流通させることができる。

 だが貨幣の機能は自然が人間に与えたものであり、この先の貨幣に対する取り組み方こそ人間の浅知恵で作り出したものでしかないと言える。そこには未来を窺うことができない罠が隠されていたとしか言いようがない。その罠は貨幣というかたちで交換財として人間社会に発生したときから、欲を持てばこうなるという既に内在したものであり、人はそれに気が付かなかったにしか過ぎない。

 ある時期それは有効に働いた、交換財として市中に不足した貨幣を富者から利子をつけて(国債)借り上げ市中に戻すという方法。初期のうちは一時的に経済を活性化させるには素晴らしい方法だった。だが罠は国債の増加と共に少しずつ広がってきた。

 市中に交換財としている貨幣に利子を付けていけば一部の人間に、より保存の機会を多く与えたことになる。交換財(お金)が市中から不足する問題点は一部の人間が市中の貨幣を保存してしまうことではなかったか。その問題点に気が付く事無く今まで一部の富者の利益となる国債(国の借金)を積み上げてしまったのが現在の日本も入れた世界の現状ではないのか。

 ここで問う。不況の原因を作っているのは誰なのか。その不況によって多くの人達が貧困にあえいでいる。

日本版アラブの春は来るのだろうか Ⅸ

2013-11-02 06:26:16 | Weblog
 人はこの世に生まれたときから成長していく過程の中でお金について認識していく。最初は身近な父・母からであり、やがて周りにいる兄弟親戚からでもある。お金は大事な物、使えば手元から離れ消えていくもの、そしてお金は大切なもの。お金さえあればいつでも物を買うことができる。言い換えればお金は自分の欲しいものといつでも交換できることでもある。しかしそこには「なぜ」という疑問を抱くことはなかった。

 それはこの世に生を受けたときから何も意識せず、呼吸つまり空気中にある酸素を取り入れているのとなんら変わらない。自己の生が終わるまで意識することも無く最後まで続く。お金もやはり疑うことを知らなければ、ありのままを受け入れてしまうものだろう。
それ等は教えられたことで、ある時はどのようにして得ることができるのか、そしてどのように使えばいいのかをやがて理解させられていく。

 それは人が持つ宗教心と同じものだとも言える。無神論という人でも心理的に追い詰められたとき、神が存在し、この窮地から救ってくれることを心の中で願ってしまう。やがて少年から青年になり多くの本を読み、その中には当然哲学書も読む。そして疑うことを理解し神から距離を置いてゆく。

 だがお金(貨幣)は宗教ともまた違っていた。日本においてそれは顕著だ。生まれたときから宗教が決まっていたわけではない。正月には神道があり神社に参拝に行く。クリスマスを祝い。やがてこの世の終わりには仏教によって葬られる。だから一部の人を除いては宗教によってマインドコントロールはされない。

 だがお金に対しては宗教と同じようにマインドコントロールされているとも言える。

 手に持った硬貨や紙幣そこには長い時間と歴史があるということも気が付かずに。そのことが一部の富者の利益になり、その反対に貧者はますます貧者になっていく。

 なぜ今まで人間は疑問を抱かなかったのだろう、例えばの話、貝殻から発生した貨幣、現在はその貝殻が紙幣に化けているのだということを

 そして貝殻であれば富者はその貨幣をトラックで運ばなくてはならない。だが印刷された紙幣では何億という数字の紙幣でも家に積み上げて置くことができる。いやそれにもまして銀行に預金すれば通帳に多くの0(ゼロ)を印刷しそれが富者の証明ともなる。

 ただそれだけでは話しは終わらないのが貨幣という性質である。一人の人間が多くの貨幣を所有すれば市中に貨幣が不足する、当然交換財が不足すればその社会は不況という経済状態に陥り多くの失業者が巷に溢れる。やがて人々は住む家をも失い、また家族も離散させられてしまう。人々は食べ物を求めて街をさまよい仕事をくれ、仕事が欲しい、仕事さえあれば食にありつけると、心の中で叫びながら求人広告で仕事を探す。だが年齢が上がると職業を得ることもできずやがて力尽きてしまう。

 そのような状態になれば大きな社会不安になり、やがては江戸時代の百姓一揆のように暴動へと発展していくことを政治に携わる者は理解している。
 だが富者はなんらその状態を省みることも無く、そのことによって突き進むところまで突き進んでしまうだろう。世界的に国の借金が多くなっていることがその証明でもある。