オヤジのひとり言

好奇心一杯のオヤジ田舎暮し蕎麦打ち陶芸からヨットレース情報マデお役立ち情報や業界の裏話も有 最近ロードバイクにハマッテ枡

どーも、久し振りに「星のソムリエ」七夕編

2009年07月04日 | Weblog
今日もやります。

「星空のソムリエ」part 38 七夕編

町の彼方此方で七夕の笹かざりを見かけるようになりました。

あっ、
此処は小さな子供が居る家だなぁと言うことが解かります。
幼稚園や小学校でも作っているようですね。

今回はその七夕について・・

旧暦の七夕・と月遅れの七夕

7月7日の七夕は梅雨の真っ最中で、
めったに晴れてくれません。
その上、
七夕の星たちはマダ東の空低く、
見えやすい位置でもありません。
こんな不適切な時期に、
なぜわざわざ星まつりを行なうようになったのか?

それは、
明治六年に行なわれた改歴の所為なのです。

古来、
七夕は旧暦で行なわれていたわけですが、
旧暦の立春の頃を正月としています。
新暦を使うようになって年初が1ヶ月ほど早まり、
日付がその分だけずれてしまい、
旧暦7月7日は、
新暦では8月12日頃を中心とした夏休み期間中になります。

この頃なら暑い盛りで天候もよく、
そして七夕の星たちも、
ちゃんと見頃の位置に昇って来るのです。

しかし、
旧暦を使って七夕祭りを行なうことにすると、
毎年、
お祭りの日付けが違ってきてしまいます。
これはこれで、
社会のシステムからすれば都合が悪いことには違いない。

そこて新たに「 月遅れ 」という考えかたが生み出されました。
旧暦が約1ヶ月遅れていることから、
新暦の8月7日に固定して七夕祭りを行なおうというわけです。
有名な「 仙台の七夕祭り 」などがこの例でしょうね。

・・・・・元・科学少年のオヤジ・

コンチキチンの「祇園祭」と神幸祭・還幸祭

2009年07月04日 | Weblog
祇園祭に観光客がどっと押し寄せるのは、
鉾や山が飾られお囃子が始まる、
7月14日から17日あたり、
宵々山、宵山そして山鉾巡行の三日間ですが、
お祭が始まるのは7月1日から、
そして終わるのは7月の31日で1ヵ月かけて祭は続いていきます。

でも、
6月の半ばには巡行の先頭を切る長刀鉾のお稚児さんが決まり、
準備の儀式はすでに始まっています、
山鉾の保存会の人たちの会議、
そしてお囃子の練習は一年を通じて行われています。


たとえば、
四条烏丸の角を西に入った北側にある函谷鉾のお会所があるビル
(京都産業会館前)では、
毎週土曜日の夕方七時ごろからお囃子の練習が続けられていて、
寒い冬のさなかでもコンチキチンを聞くことができます。
熱心に練習をしている姿を日常的に見ていると、
お祭のときにも応援したい気持ちがわいてきます。

また、
祇園祭というと山鉾が主役のようですが、
町衆の「祭事」である山鉾が巡行した後に、
八坂神社からきらびやかなお神輿が三基出て町中を練ります。
このお神輿は17日の神幸祭(おいで)と
24日の還幸祭(おかえり)の二度、
夕方から深夜まで町なかの通りを担がれていきます。
このお神輿を担ぐ神輿会の人々も、
毎月のように練習を重ねておられます。
八坂神社、
山鉾町
そして三つの神輿会のある町では、
7月を待ちながら
一年中ずっと祭に携わって暮らしているといっても過言ではありません。
日本三大祭の一つ、
京都でも最も大きな祭の一つを担っているという誇り、
そしてそれぞれの山鉾や神輿への畏怖の念が、
町の人々の心に今でもしっかりと根付いています。

続いて欲しいですね、ずっと

じゃッ・・・

今日はやけに神妙な・・・本来の真面目なオヤジ