オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

スペインのカミノ古道巡礼から戻ったリンダ

2024年10月29日 20時21分54秒 | 日本社会

今日のハイライトは、ボート友達のリンダが2か月のカミノ古道の旅行からオーストラリアに帰ってきて、トレーニングの後の夕食会に旦那さんのアンディ、娘さんのエイバと一緒に参加したことです。

フランスからスペインのサンチアゴまでの780キロを歩くカミノ古道の巡礼の徒歩旅行は、四国のお遍路さんの様な感じだと思われます。20キロか30キロ間隔で寮のような簡易宿泊所で夕食と朝食を食べて泊る事ができるようです。ただ、宿泊所によっては2段ベッドの男女共同部屋で十数人が一つの大部屋で寝ることになるので、、、いびきやおならの音が凄いことになり、、、一晩中うるさくて、あまり寝られないようです。

度の途中でリンダはいびきの音で寝不足になったそうで、、、できるだけ個室がある宿泊所を探したそうです。

ヨーロッパの多くの村や町がそうである様に、カミノ古道の途中にある村や町は中世の古い町並みを残していて、数百年前にタイムスリップしたようだと言っていました。

そして、何が良かったかと言えば、色々な人達と一緒に歩いて友達に慣れたことだそうです。特に英語圏(オーストラリア人やアメリカ人)の人達と友達になれて、一番近くの人はメルボルンから50キロ程の近くに住んでいる人と友達になったそうです。

ただ、僕がこの巡礼の徒歩旅行をしたいかと聞かれたら、、、まず、リンダの様に、いびきの音で寝不足にならないか不安です。それにヨーロッパは物価が高いそうですから、食事代と宿泊代で毎日1万円はかかりそうですから、飛行機代を入れると100万円では収まらないでしょうし、お金がかかりそうなのが、不安の2番目で、、、最後に2か月近く毎日思い荷物を背負って20キロも歩くのは辛そうです。

一人でテントを担いで静かな場所でテントを張って寝られるのなら、良く寝られそうですから興味はありますが、、、リンダによると、テントを張れそうな所は無かったと言っていました。この徒歩旅行では宿泊所で他人のいびきを我慢することも、巡礼旅の醍醐味なのでしょう。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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今年最後のアルバイト終了

2024年10月21日 20時01分52秒 | 日本社会

今朝は6時頃に目覚ましをセットしてあったのですが、5時には目が覚めてしまって、2度寝が出来ませんでした。

宿の朝食は7時からとなっていましたが、7時では遅いので、3キロほど行ったトララゴンの町にあるカフェに6時半に行きました。

サラミやチーズを挟んだトーストがあったので注文、(但し、コレステロールが高そうなチーズ抜きにして貰い、豆乳を暖めて貰って、代金は16豪ドル(千六百円)でした。

サラミにも植物性脂肪が多く含まれていますから、コレステロール値が高くなりそうですが、、、他にバターが多量に使われているクロワッサンなどよりはコレステロール値は低そうです。

食事代は会社が後で払い戻してくれますから、良いのですが、、、そうでなかったら、家からオーツ麦を持って来て、自分で朝食を作ったと思います。そして、次回は是非、朝食を持って来ようと思います。やはり自分の朝食はお店で買う朝食に比べて遥かに体に良いと思いますから。昼ご飯は家から持ってきたお弁当(キーマカレーライス)でした。

早めに出発したので、アルバイトの現場に着いたのは7時20分頃。仕事の開始時間は8時、他の人が来たのは8時近くでしたから、、、一人で車の中で40分くらい待っていました。

今回も少し早く来過ぎた気はしますが、、、初めて来る場所ですし、、、グーグルマップがあるとは言っても、途中で車が故障してしまう可能性だってないわけではないですから、、、早めに来ると安心できます。

それに、別に宿に居てもすることもないですし、、、早く現場に着いて正解でした。

さて、、、臨時のアルバイトも今年は今日限りですから、、、来年のこの時期まで、仕事は全くなさそうです。もちろん、探せばアルバイトは見つかるのでしょうが、、、木曜日か金曜日の1日だけという仕事は、あまりないと思います。

僕は冬の間はスキーが最優先ですから、、、ほぼ毎週、日曜日からスキーに行って、水曜日、又は木曜日にメルボルンに帰って来るというのが最良のパターンだと思います。というのは、金曜日と土曜日にロッジに泊るのは割高で、しかもロッジもスキー場も混んでいますから、出来るだけ週末は避けて、平日のみに滑りたいです。

来年、2月に日本旅行から帰ってからは、何か新しいことを始めたいとも思いますが、、、その何かが、まだ分かりません。

新しいスポーツか、趣味か、仕事(アルバイト)か、それとも、学びか?

ただ、毎日散歩や筋トレで体を動かすことは、最重要課題としてやっていこうと思います。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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アルバイトのホテル泊

2024年10月20日 18時55分23秒 | 日本社会

今日は午前中にソラマメとレタス、ネギに水やりをしてから、家でゴロゴロしていましたが、昼食後の2時頃から妻とウオーキングと筋トレに出掛けました。

今日の筋トレも前回同様に、、、

懸垂    10回 X 4セット  (計40回)

ディップス 10回 X 4セット  (計40回)

腹筋    20回 X 4セット  (計80回)

と、それぞれ1セットずつ余分に出来ました。妻は筋トレには興味がなく、携帯でパズルのゲームをしていました。

今回も少しでも軽くするために、靴と帽子を脱いで懸垂やディップスをしました。ディップスとは、下の絵のように、腕で体重を支えながら、曲げ伸ばしする筋トレです。

そして、夕方もう一度畑に水をやった後、出張の準備をしました。明日はメルボルンの自宅から2時間程車で行ったとラルゴンという所にある大学の現場で仕事(出張)があるので、会社に宿をとってもらいました。自宅を夕方の4時頃に出て、6時頃、今日の宿泊先に着きました。

部屋はこんな感じで、、、ジロングのホテルよりかなりグレードが低くて、3つ星くらいだと思われます。

窓の外はゴルフ場ですが、窓ガラスが薄くて、道路に近いので、車の音が聞こえます。

前回の出張でジロングに行った時には、お弁当や餃子、揚げ出し豆腐を食べて美味しかったので、、、今回は、Okami(おかみ)という日本料理のチェーン店に行きました。

ただ、、、残念ながら、今回はハズレ。

何と一番最初に出て来たのは、、、かなり小さめのお茶碗(湯呑くらいのサイズ)に盛られた白いご飯(3豪ドル 3百円)。でも、ご飯だけ貰っても、、、オカズがないと食べられませんから、、、と思って、携帯をいじっていました。

ご飯が到着してから、その3分後くらいになって、揚げ出し豆腐(7ドル 7百円)が到着。ご飯とお豆腐を食べていると、、、チキンカツとカレーソース(25豪ドル 2千5百円)が到着しました。

今日の夕食は合計で3500円でした。日本なら1200円くらいで食べられそうな料理です。ただ、ご飯の量が少なくかったし、こちらは定食はないので、漬物や味噌汁が一緒についてこないのが残念でした。味噌汁も注文すれば、食べられますが、3百円も4百円もしますし、味が濃過ぎたりしますから注文しませんでした。もちろん、夕食代は6千円くらいまでなら、会社が払ってくれますが、、、。

こちらでは、日本料理といっても、日本に行ったことがないような中国人とかが経営していて、このお店の店員さんも南方系のアジア人ばかりでしたから、、、料理にも期待はしていませんでした。

明日の朝食も町へ行って、カフェでサンドイッチでも買うつもりです。今更ながら家からオーツ麦と牛乳を持って来なかったことを後悔しています。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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俳優 西田敏行の思い出

2024年10月18日 18時18分24秒 | 日本社会

今朝、ヤフーニュースをチェックしたら、、、俳優の西田敏行が亡くなったという悲しいニュース。志村けんの時もそうでしたが、、、よく知っている(と感じる)人が亡くなるのは、身近にいる人が亡くなる様に感じますよね。

西田さんを始めて見たのは中学生の頃に見たテレビドラマ「西遊記」で、その次に見た「池中玄太80キロ」では、今までにない程、面白いドラマだと感じ、、、テレビドラマの楽しさを教えてくれた作品だったと思います。日本を出国してからは、、、日本のテレビを見る機会は少ないですが、、、オーストラリアに来た30年程前にこちらのテレビでも「西遊記」が英語の吹き替えられて放映されていました。

さて、今日はアルバイトの日でしたから、、、余裕を持って開始時間の1時間前には現場に着こうと、朝5時頃に起床して、6時に家を出ました。

現場に着いたのは7時で、その後、皆が到着するまで1時間ほど携帯をいじっていました。

作業は2時半ごろに終わって、帰り道に現場近くにあるスキー道具のお店に寄って、補修とワックスがけに出していたスキーを取りに行って来ました。

ただ、家に帰ってスキーをチェックして気付いたのですが、、、スキーの小さい傷を補修してくれるように頼んであったのですが、、、忘れてしまったのか、直っていませんでした。(オーストラリア、あるあるです。)なので、明日にでも電話してみようと思います。

今日も朝早かったので、、、家に帰ってからは、ユーチューブを見ながら、ウツウツしていました。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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ジロングの国立羊毛博物館(National Wool Museum)

2024年10月14日 17時59分00秒 | 日本社会

今朝は7時半に家を出発。妻の通勤の車に載せて貰って、妻の仕事場の近くの駅で降ろして貰いました。

今日の行先は、メルボルンから南西に80キロ程行った所にあるジロングという町です。メルボルンの中心街からVラインという列車で1時間ちょっとの所にある街です。

このジロングという町は、ビクトリア州ではメルボルンに次ぐ第二の街で、、、しいて言えば東京と横浜の様なものです。ただし、ジロングの人口は30万人程ですから、、、メルボルンの520万人に比べると、、、かなり小さい街です。

今日の目的は、明日のアルバイトの現場確認と、ジロングの観光です。折角出張で知らない街に来たのですから、、、観光客になったつもりで、観光地巡りをしました。

まず言ったことろは、ジロングの波止場、海水浴場やマリーナ、次にジロング庭園、そして、国立羊毛博物館(National Wool Museum)です。

どうして国立羊毛博物館なのか、、、? 実は僕は日本で地方の私立大学を卒業した後、新卒で就職した会社は地元の毛織物会社で、、、原料となる羊毛については、多少は勉強したのです。

毛織物とは、、、羊毛を糸にして、その毛糸から作った織物で、、、僕の就職した会社は商社(確か伊藤忠商事)から糸を買って、婦人服地を作って、ワールドやオンワード樫山といったアパレルの会社に売っていた会社でした。

原料となる毛糸{羊毛、ウール)はオーストラリアから仕入れていたので、、、その頃からオーストラリアとは接点があったのでした。

入社してから数か月間の研修期間中には、様々な工場へ見学に言ったり、バンを運転して糸を工場に運んだりしたので、40年ほど前の日本で、羊毛から生地になる工程を見たのです。

ここジロングは当時オーストラリアの羊毛産業の中心地だったようで、昔、羊毛の倉庫、兼、羊毛市場が開かれていた建物が羊毛の博物館になったのでした。数年前にジロングに羊毛の博物館があると知った時から、いつかは行ってみたいと思っていたのです。

因みに世界で最高の値段がついたのは今から30年程前の1995年、ジロングの羊毛市場で日本のアオキインターナショナル(現アオキホールディングス)が買った1キロ103万円の羊毛が、今でも世界最高値だそうです。

羊毛は、、、細くて長い程価値が上がります。細いのは生まれて間もない子羊の毛で、、、羊が年を取るにつれて、毛の直径が太くなり、、、硬い毛になりますから、、、値段が下がります。

現在、オーストラリアの主な輸出品は鉄鉱石や石炭などの鉱業ですが、、、1980年代までの150年間は羊毛や小麦粉といった農作物が主要な輸出産業で、、、オーストラリアの富は羊が作ったと言っても過言ではないようです。

その博物館では、、、羊の農場から始まって、毛刈り、そして羊毛から製糸、そして糸から織物やニット(編んだ物)になる工程を製糸機械や紡織機械を展示して紹介していました。

毛織物産業が斜陽化した原因は化学繊維、つまり、ポリエステルやアクリルなどの石油を原料にした化繊は安く出来る為に、天然素材である綿、麻、羊毛、絹を駆逐してしまったのです。そして、賃金の安い発展途上国に製糸工場が作られるようになると、日本やオーストラリアの製糸工場は閉鎖してしまったのでした。

僕の就職した毛織物会社はバブルの時は従業員が20人程で売り上げが30億円と業績が良かったのですが、、、バブル崩壊後は業績が悪くなり、、、僕が退社してから10年後くらいに倒産してしまい、、日本の実家へ帰った時に、以前働いていた会社の前の道を通ったら、、、住宅地になっていました。

この会社は典型的なブラック企業で、、、家に帰れるのは夜の9時か10時が普通で、仕事がなくても仕事をしているフリをして、出来るだけ遅くまで会社にいることが大切な会社でした。

当然、そんな会社は出来るだけ早く辞めるが勝ちだと思いましたから、さっさと会社を辞めました。でも、もしその会社の居心地が良かったら、、、今でもその会社にいて、あくせく働いていたのでしょう。なので、、、その会社には感謝しかありません。その会社がブラックだっかからこそ、、、僕は今日、ジロングを観光して、ホテルでブログを書くことが出来るのです。

僕の持っているウールの下着は冬の寒い日や、スキーに行く時の必需品で、、、運動して汗をかいても暖かくて、肌触りが良いです。寒い冬になっても全くといって良いほど風邪を引かない原因の一つは、、、ウールの下着を着るからといっても過言ではないと思います。

「私はユニクロのヒートテックよ。」と思ったアナタ。僕もヒートテックを持っていますが、、、着心地、暖かさ、吸汗性、全てにおいて、ヒートテックは、ウールの下着には全くかないません。

多分ですが、、、ユニクロの柳井社長も、冬に着る下着はヒートテックではなく、、、ウールではないでしょうか。ウールの欠点といえば、、、値段が高いことと、耐久性が化繊に劣ることです。

 

今日は携帯電話の充電コードを忘れてしまったので、グーグルマップを使いすぎて、携帯電話の電池がなくなってしまい、折角撮った写真を載せることが出来ませんが、、、(この記事は持ってきたパソコンで書いています。)明日、家に帰ってから載せます。

それでは、明日もこのブログでお会いしましょう。

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来週はアルバイトで出張

2024年10月12日 17時29分14秒 | 日本社会

今日は土曜日でしたから、、、ドラゴンボートの練習がありました。今朝は珍しく2度寝して、起きたのは8時頃だったので、、、急いでオーツ麦の朝食を食べて、8時半には家を出て、集合時間の9時より少し前に、クラブハウスに無事到着。

2度寝から目覚めるとと、本当に気持ちが良かったのです。こんな睡眠が毎日できると良いのですが、、、。

でも、まだ時間があったので、2階のジムで少し運動してから、皆に合流。今日は人数が多くて、、、インド人男性12名を含む総勢70人くらいで練習をしました。

インド人の男達の平均年齢は30代くらいでしょうか。この夏シドニーで行われるインド人対抗のレガッタ(ドラゴンボートの大会)に初めて参加する為に、ウチのクラブで練習をしたいのだそうです。

今日は最高気温が18度くらいの快晴で、、、少し風がありましたが、ボート漕ぎには丁度良い気温でした。今日も練習きつかったですが、無事に終了。ドラゴンボートはチームスポーツで、ボートに乗ってしまったら、漕がなくてはいけませんし、勝手に休むことは出来ず、、、コーチが「止め!」という迄、漕ぎ続けなければいけません。辛いですが、心肺と上半身の良い運動になりますし、友達も出来ましたから、、、これからも出来るだけ続けようと思います。

昼食の後は、、、ユーチューブを見なが、、いつもの様に椅子の上で昼寝をしました。起きてからは、来週と再来週の出張先をチェックしたり、ホテルや近くのレストランを調べていました。

 

(写真はホテルのウエブサイトよりコピー)

ホテルは会社が予約してくれているし、食事代も出してくれるので、、、月曜日の朝からメルボルンから電車で1時間のところにあるジロングという町に行って、街を散策し、、、ホテルに泊まって、火曜日にこの街でアルバイト。午後4時に仕事が終わって、電車でメルボルンに帰り、家に帰るのは夜の7時くらいになりそうですが、夕飯には間に合いそうです。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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日本の実家の行く末は

2024年09月27日 19時00分04秒 | 日本社会

今日は自宅から1時間ちょっとの所にある、かなり田舎の街にお住まいの友人家族の家へ、僕と妻と息子の3人で行って来ました。友人家族は日本人のご夫婦と息子さんで年も僕の家族とほぼ同じで、、、子供が5歳くらいの時から、親戚のような関係です。

まず、そこから20分くらいの場所へドライブして、鉄道の廃線跡のハイキングコースを7キロほどウオーキングしてから、昼食。僕らはお握りとバナナで、友人家族はサンドイッチでした。

(見出し画像は、ウオーキング途中で見つけたエキドナ、日本語名はハリモグラと言われる有袋類の動物です。)

その後は、友人宅へ戻ってから、コーヒータイム。6人でお喋りをしながら楽しい午後を過ごしました。友人のAさんの実家は宮城で、奥さんは香川県。ですから、日本に里帰りをされる時は、宮城と香川の2カ所へ行きますから、交通費だけでもバカにならないそうです。

Aさんの親は既に他界されて、現在実家を数百万円で売りに出しているそうですが、、、築50年近いこともあって、なかなか買い手が見つかないそうです。しかも仙台の中心から南へ30分くらい行った所で、あまり発展していない地区だそうです。

妹さん家族がお葬式代を払ったそうですから、、、家を売った代金でお葬式代くらいにはなって欲しいそうです。

幸い僕の両親は80代で、今の所は元気ですが、歳も歳ですから、、、いつか他界していなくなった後、現在2人で住んでいる家は、いずれ空き家になります。

両親の住んでいる所は岐阜県の地方都市の近くにある田んぼに囲まれた小さな町ですし、築50年の古い家の他に、田んぼもありますから、、、家を買ってくれる人が見つかるとは思えません。

田舎に家を買う人は、この地域に生まれ育って都会に出られなかった人だけで、わざわざ都会からこの地域に移住してくる人なんて殆どいないと思います。

建物を取り壊すのはお金がかかるし、更地にすると固定資産税と都市計画税が数倍に跳ね上がってしまうようです。

更地にした所で、買い手が見つかるのかは疑問ですから、、、やはり建物は空き家のままで、0円でもいいから貰ってくれる人を探す方が得策なのかもしれません。

オーストラリアでは空き家は多いのかな?と思われた皆さんも多いのではないでしょうか。オーストラリアでは、、、空き家は殆どないと言っても過言ではないです。移民の国で人口が増えていますし、更地でも建物があっても、固定資産税は同じで都市計画税はないです。建物があった方が土地は有効利用出来ますし、こちらでは中古住宅の売買は非常に盛んで、売買される不動産の大部分は中古住宅です。

新築の家を建てるのは都心から離れて地価の比較的安い新興住宅地の場合が多く、大金持ち達が住む都心近くの豪邸は殆どが中古住宅です。日本では新しい建物程良いという人が多いと思いますが、こちらでは古い建物を大切に使う方が良い、カッコイイと思う人が多いです。

僕は日本で生まれ育ったからか、古い家よりも窓が大きくて近代的(モダン)な家に住みたいと思います。今住んでいる家は中途半端に古いのですが、、、窓から見える景色が良いので、満足しています。欲を言えばキリがありませんし。

ということで、、、今日は家のお話しでした。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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少子化が想定を上回るペースの記事が意味すること

2024年02月28日 11時56分26秒 | 日本社会

今朝のヤフーニュースからのコピペですが、、、

「前年比5・1%減で、過去最少の更新は8年連続となる。婚姻件数は同5・9%減の48万9281組で、90年ぶりに50万組を下回った。」

 

記事を読むと、政府の想定を上回る速さで少子化が加速しているとのことです。現在日本に住んでいる多くの方々にとっては、背筋が凍るような、非常に心配な記事だ思った人も多いのではないでしょうか。

婚姻数が約6パーセント減。つまり結婚適齢期の人口が減っているのに加えて、結婚したくても出来ない人が急激に増えているということです。

この原因ですが、、、やはり、格差社会というか、収入の高い男性は、結婚相手に不自由することが無いのに対して、収入の低い、派遣社員や収入の不安定な男性は敬遠されてしまうようです。

女性としては、安定した収入のある男性なら、その後の人生も安定しそうですから、そういう男性と結婚したがるのは当たり前かも知れません。

僕が20代だった今から30年程前は、見合い結婚も半数近くあったと思いますが、テレビや映画の影響なのか恋愛結婚の方がカッコいいというか、恋愛結婚’に憧れる人が多かった印象があります。

でも見合い結婚なら、相手の家族がどんな状況なのか分かっているし、そもそも、釣り合いそうな家庭環境の相手しか紹介されませんから、結婚相手を見つけるのは楽だったと思います。

30年前は、見合いの席で相手の年収など聞くのは失礼というか、非常識でしたから、、、結婚してから初めて旦那さんの給料・年収を知ったと言う人が殆どだったと思います。しかし今は結婚相談所やお見合いのアプリで最初に聞かれるのが年収ですから、、、収入の低い男性としては、非常に不利というか、余程イケメンでない限りは最初から土俵に立たせて貰えない状況ですよね。

婚活が上手くいって結婚できる人は、男性は高収入の人、女性は20代の若い人のようです。つまり、派遣や低収入の男性と30代後半以上の女性は結婚が困難なようです。

実は、ここオーストラリアでは日本のような婚活難民のニュースは聞いたことがありません。オーストラリア人の男性で住む所と仕事があって性格に問題がなければ、結婚相手を見つけるのには、あまり苦労はしないようです。

オーストラリアでは年収が低い男性は、結婚相手を見つけるのは難しいと思うか?とオーストラリア人の妻に聞いてみたところ、「そうは思わないわ。年収の低い男性は、年収の低い女性と結婚出来るんじゃないの。」という意見でした。

つまり、オーストラリアの女性は身の丈に合った相手を選ぶというか、相手の収入で選ぶというよりも、性格が自分に合っているのかをより重視するのではないでしょうか。

もう一つの理由は、オーストラリアの労働市場は流動的、つまり、何度も転職するのが普通で、より良い収入を得られる職場があれば転職します。

なので、現在は収入が低い男性でも、これからスキルを身に付けて転職したり、事業を起こしたりして将来は高収入になる人も多いですから、現在は収入が低くても、それほど悲観する必要はないのです。

これに対して日本では、新卒で入った就職先がその後の人生を決めるといっても過言ではなく、転職して年収が上がる事は通常はあり得ず、転職して年収が下がってしまうのが怖いから、皆、新卒で入った会社に必死でしがみつこうとしますよね。

つまり、新卒で就職した会社の規模によって生涯年収がある程度分かってしまうという、かなり恐ろしい社会ですから、良い大学、良い高校、私立の中学、ということになるのも無理はありません。

 

さて、本題に戻りますが、、、政府の想定外のスピードで少子化が進んでいる事の問題点は、、、政府の想定外のスピードで高齢者の比率が高くなることであり、、、労働者にとっては、これからも想定外のスピードで税金が高くなっていくことを意味しています。

「税金が高くて生活が苦しいのは無能な政治家のせいだ。首相や政府が変われば生活は良くなる。」と思っている人達は、このグラフの意味することが分かっていないようです。どれだけ有能な人が政治家になろうと、これからも政府の想定外のスピードで日本人の生活が急激に苦しくなっていくことを、冒頭のグラフは教えてくれているのです。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

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