オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

高校、大学時代と英語学習

2022年05月31日 16時32分43秒 | 英語

今日のメルボルンは昨日に引き続き寒い天気でした。日本に住まわれている皆さんはいかがお過ごしでしたか。

僕は今日も前の職場から頼まれてアルバイトをしてきました。多くのスタッフと話すことが出来、刺激を一杯もらえたので、とても良かったです。これでお小遣いまで貰えるのですから、一石二鳥。これからも不定期だと思いますが、週に1,2回、このアルバイトができればと思います。

さて、前回のブログで僕の高校一年生の時の成績はクラスで最下位(ビリ)だった話をしましたが、高校2年生の時、小さな転機が訪れました。それは英語の長文読解の授業でした。今の日本の英語教育では先生方がどの様に英語を教えるのか存じませんが、今から40年程前の英語の授業は、長文読解がメインでした。まず宿題で教科書の英文(約1ページ)をノートに書き写し、新しい単語や熟語を辞書で調べながら、一文づつ英文を日本語に訳していくものでした。

当時50歳前後の小柄な女性の先生(名前は忘れてしまいましたが、)の授業では、まず英文を読む練習をクラスで一緒にした後、席順に当てられた生徒が一人一文づつ英文を読んでから、家で訳してきた日本語訳を発表して、進めていきました。一学期の始めの頃は頓珍漢な日本語訳でクラスメートに笑われていましたが、徐々に日本語訳が出来るようになり、英語の成績だけはクラスの真ん中ぐらいまで上がってきたのです。先生から「あなた最近、頑張ってるわね。」などと褒められたこともあって、以来、英語だけは徐々に好きな科目になりました。

高校時代、部活動は背が低くても、あまりハンデのない卓球部でした。そこで友達が出来て楽しかったのですが、毎日2キロほどランニングした後、卓球場で1時間程練習して、そして30分間自転車を漕いで家に帰る頃にはへとへとに疲れていました。夕食後には睡魔が襲い、べッドに横になって寝てしまうか、勉強するふりをして、漫画を読んでいるか、学校で配布された「大学合格体験記」などを読んで、自分が合格した気になっていました。

当時、工学部はカッコ良さそうだなと思いましたが数学、物理など理系の成績が特に悪かったので、理系は諦め、文系のクラスに入りました。

親に負担をかけないように、志望大学は一応、国公立にしましたが、共通一次試験(今の共通テスト)の結果は平均点以下。続いて受けた中堅の私大も不合格で、結局滑り止めにうけた地方の無名の大学(いわゆるFラン)の経済学部に入学することになりました。この大学を選んだ理由は、当時無名の私大にしてはめずらしい、9か月間の米国留学制度があったからです。サークルはE.S.S.(English Speaking Society)にして、留学を視野にいれました。

E.S.S.に入ってまず驚いたのは、英会話ができる先輩はおろか、英語を勉強している意識の高い系の先輩は誰一人とおらず、何でこのサークルに入っているのか分からない人たちばかりでした。部室での話題もファッションや車、バイク、競馬、パチンコ、コンパなどで、新聞を読む先輩さえ希だったと思います。

幸い1980年代後半の当時はバブルの絶頂期で、就職は超売り手市場。地方の無名の私立大学卒でも、中堅企業や中、小規模の金融機関から内定がもらえた学生も多くいました。(勿論テレビに出てくるような名の知れた会社に就職することは無理でしたが。)

その頃の僕は「無名の大学に入ってしまったけど、人生、詰んだわけではない。大学では英語をマスターして人生逆転してやる。」と考え、遊んでいる学生には目もくれず、まず、どうすれば英語が話せるようになるのかを調べました。当時から英会話学校は多く存在していましたが、親から仕送りをもらって下宿生活をしていた貧乏学生の僕にはとても英会話学校には行けません。今の様にインターネットは無い時代でしたので、生の英語に触れる機会は限られていました。

始めたことは、まず、毎朝、大学の図書館で誰も手に取らない英字新聞のJapan Timesと辞書を引きながら格闘し、下宿に帰ってからは定期購読していたTime MagazineやNews Weekというアメリカの時事週刊誌で単語力と読解力を付けました。リスニングは、下宿の友達が粗大ごみの中から拾ってきた短波ラジオを千円で買い取って、アメリカの政府系短波放送、Voice of Americaを毎晩寝る前に聞きました。V.O.A.の英語はニュースの他に、英語学習者にも聞き取りやすい英語の番組があって次第に英語が聞き取れるようになりました。

春休みや夏休みには実家に帰り、家の近くの繊維工場でつらい流れ作業のアルバイトをしました。8時間も立ちっぱなしの流れ作業は一分の時間が過ぎるのがどれほど遅かったことか。そのアルバイトで貯めたお金で、辞書を片手に朝から映画館に籠り、ハリウッドの映画(当時は二本立て)を2度、3度見て、自然な英語に耳をならしていきました。映画の内容にもよりますが、会話の10%か20%ぐらいが、少しづつ、聞き取れるようになり、映画のあらすじも少しづつですが、字幕なしで理解できるようになりました。

一年に数回、名古屋地区の20数大学のESSが合同で行われる活動は総会やスピーチコンテスト、ダンスパーティー、ディべート大会、英語劇大会や英語合宿などで、これらの活動に参加する学生は旧帝大の名古屋大学を筆頭に地方国公立や有名私大、中堅私大の学生で、僕の大学のような偏差値の低い大学からの参加者は少なくて肩身が狭かったです。今ではどうか分かりませんが、当時E.S.Sの英語合宿の部屋割りは各グループ8人-10人程が一部屋に割り振られ男女学生が貸布団で雑魚寝でした。今考えると、男女学生が雑魚寝ってすごくないですか。

その合宿では一生忘れられない出来事がありました。皆が寝静まったころ、中堅私立大の先輩たちが「OO大学(僕の大学)のバカな連中、こいつら合宿に来て恥ずかしくねえのかなあ。恥をさらしるに来とるのが分からんのかなー。」などと格下の大学の僕らを小声で嘲笑っているのが聞こえました。これは僕にとって今までの人生で最大の侮辱で、「これが現実なんだ。でも将来、絶対に、こいつらを見返してやるぞ。」と寝たふりをしながらも、その晩は一睡もせず、臥薪嘗胆することを心に誓ったのでした。

では、明日に続きます。いいねボタン、よろしくお願いします!

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中学と落ちこぼれの高校時代

2022年05月30日 05時59分12秒 | 日記

昨日の日本は各地で真夏日となって暑かったそうですね。今日のメルボルンは反対に最高気温が11度と真冬のような寒い一日でした。朝、息子を学校に送った後、どんよりとした寒空の海岸沿いを30分ジョギングしました。帰宅すると娘がリビングにある学習机で寒そうに大学の講義のビデオを見ていたので、早速、薪ストーブに火を付けてリビングを温め、燃え盛る炎を見ながらこのブログを書いています。

このブログを読んでいる皆さんの中には、海外移住に興味がある方が多いと思います。海外移住で一番の壁になるのが言葉ですよね。そこで今日からは僕の学生時代はどうだったのか、なぜ海外に移住したか、言葉の壁はどうしたのかについて数日に渡ってお話していきたいと思います。

まず、海外に移住するのは、かなりハードルが高そうで、皆さんは「自分にはとても無理」と思っていらっしゃる方も多いるのではないでしょうか。僕も高校生くらい迄は、海外なんて自分には関係がない遠い世界で、新婚旅行で一度くらい海外に行けるのかな?ぐらいに思っていました。海外で就職するなんて、余程、学校の成績が優秀で有名な大学を卒業していないと無理なのでは?、などと普通の能力の人ではとても無理だと思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。実は僕の学力は平均的で、特別に優秀ではありませんでしたが、そんな僕でも海外で就職ができたのです。では、学生時代から詳しくお話したいと思います。

まず、僕が生まれ育った所は、岐阜県の田んぼに囲まれた人口が約2万人の町です。その町立中学校時代の成績は、学習塾に行かせてもらったお陰もあって、中の上くらい、定期テストの成績は学年250人中50番から100番前後で勉強がそれ程できるわけではありませんでした。自分では平均より勉強ができるのかなくらいに思っていました。将来なりたい職業はサザエさんに出てくるマスオさんの様な普通のサラリーマンになることでした。

その頃、勉強にはあまり興味がなく、魚釣りに熱中していて、お小遣いの大部分は釣り道具に使い、毎週日曜日は早朝から近くの川や池に行って1メートル級の大鯉を釣ることが夢でした。(最は42センチでしたが、、、。)

高校は地元のトップの進学校にはもちろん行けず、2番目か3番目の公立高校に無事合格できました。ただ合格の喜びも束の間で、一学期が始まると、大変な状況になっていました。最初の中間テストの結果は何とクラスで後ろから一位、二位を争う程成績が悪く、学年では350人中340番くらいでした。自慢ではないですが、数学の期末試験で0点をとったことが2度あります。中学ではどちらかと言えば勉強が出来る生徒だったのに、高校ではクラスで最低の成績。授業が急に難しくなり、授業についけず、宿題は難しくて大変すぎて出来なくて、先生から叱られるし、クラスメートからは馬鹿にされるし、本当に悪夢の高校時代の幕開けでした。

実は学校の成績が悪いことよりも、更に深刻な悩みが、中学時代からありました。それは背の高さ、というか低さでした。1600グラムの未熟児で生まれた僕は幼稚園から中3まで、常に学年で1,2を争うほど背が低くて、中学一年生の時の身体測定では身長が135センチ。小学3年生の平均身長ぐらいしかなかったのです。高校一年生になっても140センチ代前半だったと思います。両親も心配して、「人並に大きくならんと就職や結婚もできんぞ。専門の医者に診てもららうか?ぶら下がると背が伸びるかも知れんな。」と当時流行の「ぶら下がり健康機」を買って来てくれました。でも、棒からぶらさがると頭の血が下がってクラクラするので長続きしませんでしたが、、、。中学の全校集会のクラス合唱では体育館のステージの最前列の真ん中で自分の姿を全校生徒に見られるのが恥ずかしくて、いつも上履きの踵の部分にタオル地のハンカチを折り畳んで入れて、少しでも背が高く見えるように背伸びをしていました。

小学校から中学一年生くらいまでは、体が小さい=カワイイ、クラスのペットかマスコット的な存在だったので女子生徒からも多少は人気がありました。ところが中三になる頃には、女子生徒は男子生徒を異性の対象として見るようになり、当然、背が異常に低かった僕は女子生徒の異性としての対象外になってしまい、どちらかと言えば哀れみの対象になっていて、毎日、障害者を見るような痛々しい目つきで僕を見るのが大変苦痛に感じていました。

幸いなことに高校二年生頃から急に背が伸び始め、最終的には何とか人並の背丈になりましたが、、、。ただ子供の時に背が低かったコンプレックスが、大人になっても人前では目立ちたくないという消極的な性格にしたのかもしれません。

では、長くなってしまったので、今日はここまで。また明日書きますね。今日の写真は我が家の薪ストーブ。外は一日中寒かったけど、薪ストーブがリビングをポカポカにしてくれました。

 

 

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店の前のご婦人

2022年05月29日 06時28分15秒 | 日記

今日の昼前は息子をアルバイト先のカフェに送った後、妻とカフェの周りの新興住宅地を一時間程の散歩してから、近くのショッピングセンターへ買い物に行きました。と言っても僕は妻と一緒に買い物をするとストレスが溜まってしまうので、妻が買い物をしている間、僕はセンター内の店の前のベンチに座ってレジから出てくるのを待っていました。

ガラスのドアからぼんやり外を眺めていると、年配のご婦人が「レシートのチェックをしなきゃ。」と僕にささやいて、隣に座りました。ご婦人はレシートを見ながら、品物の値段に間違いがないか一つ一つチェックし始めたのです。何とまあ几帳面な性格だと、僕は隣で見るともなく見ていて感心してしまいました。

チェックが終わったタイミングで、「いつもそうやってレシートをチェックされるのですか。」と尋ねると、「そうよ。余分にお金を払うのはいやだからね。それにしても野菜の値段、高くなったわよねえ。レタスが一個五豪ドル(450円)よ。」などと物価が高くなった話に始まり、年齢は今年80歳とのこと。化粧をされたのか、皺も殆ど見えなかったので、「お世辞ではなく10歳はお若く見えますよ。」と思わず言ってしまいました。

アイルランドから22歳の時に移民され、病院嫌いだった旦那には十六年前に癌で先立たれて、今は一人暮らしだそう。

料理もすべて自分で作るし、車も一人で運転して買い物に来られていて、体も左膝が少し痛いくらいで至って健康だそう。口を開けて「ほら見て、これ全部自分の歯よ」と綺麗な歯並びの真っ白な歯を見せてくれました。健康でいるコツなどをお聞きした後、最後にお互いの名前を聞いて、「Have a good day! ではよい一日を。」とカートを押してそのご婦人(名前はフランシスさん)はガラスの自動ドアから出て行かれました。10分足らずの会話でしたが、見ず知らずの他人同士が、気軽に話せるのが当たり前の世界がここにはあります。

日本ではショッピングセンターの中のベンチで見ず知らずの他人と、こうした会話ができるでしょうか?

まず有り得ないですよね。見ず知らずの他人が挨拶してきたり、話しかけてきたら、「この人、怪しい人かも、、、。」と頭の中では即座に警戒警報が鳴り響きますよね。ナンパ目的か、新興宗教の勧誘か、新手の悪徳商法かもと身構えてしまいますよね。怖くなって無視するか逃げ出したりしますよね。

肌の色の違う外国人だと、自分とは関係ない別世界の人という感じでしょうか。電車の中で外国人を見かけたなら、「英語で話しかけられたら、どうしよう?英語は出来ないから話しかけられたら困る。」などと距離を保つ人が多いのではないでしょうか。電車が混んでいるのに外国人が座っている隣の席は空いていることがありますよね。日本では見ず知らずの人とは関わらないのが無難。だから友達は同じクラスの人や同じ部活動やサークルの人、同じ職場の同期の人に限られてしまいますよね。

オーストラリアは移民の国なので、いくら白人でも何代か遡るとヨーロッパからの移民であり、本当のオーストラリア人というのは数万年前からこの大陸に住んでいるアボリジニーという原住民だけです。メルボルンでは僕の様な外国生まれの人が人口の4割いると聞いたことがあります。町を歩く人の半分近くが外国から来た人達。見ず知らずの僕の様な外国人に対しても違和感なく接してくれます。

 

上の写真は今日午後からの散歩の途中で取った新興住宅地です。車の通る道の両側に緑地帯が2メートル程あり、歩道があります。

次の写真は散歩途中のゴルフ場です。ゴルフ場の周りには住宅が建てられていて、グリーンの眺めがいい不動産は値段が高いです。

見出しの写真は住宅を背にして撮ったもので、ゴルフ場の遥か彼方にメルボルンのビジネス街の高層ビル群、左側の水平線の下にはポートフィリップ湾の海が青白く見えます。

今日の散歩の途中に通り過ぎた人は知らない人ばかりでしたが、殆どは、お互いに顔を見てHello! Hi! G'day!などと挨拶をかわせました。

ではまた明日、このページでお会いしましょう!

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牧場に馬が増えました。

2022年05月28日 16時37分40秒 | 日記

今日は朝ごはんの後、また寝床に入ってしまい、起きたのは10時ごろで2度寝ができました。若い時と比べて睡眠の質は低下していて、朝の4時ごろにトイレに行ってからは、再び寝られない日が多くて、今朝も早朝に目が覚めてしまったのですが、7時に朝ごはんを食べてからまた寝られて良かったです。昨日は1年半ぶりに前の職場でアルバイトをして、多くの人と話して脳が刺激され、精神的に程よく疲れていたのが良い睡眠につながったのだと思います。

さて今日も牧場の見回りの時に、前に泥で野ウサギの巣穴を塞いだ所に再び穴が開けられていました。やはり泥で巣穴を塞いだだけでは、効果があまりないようです。近所の人に「ガソリンを染み込ませたボロ切れを巣穴の奥深くに入れてから穴を塞ぐといいよ」とアドバイスを貰ったので、昨日、一昨日と試してみたのですが、それも上手くいかなかったようです。次回はネットで見つけた、くくり罠という、ワイヤーの罠を自作して巣穴に仕掛けてみようと思います。

どうして野ウサギを目の敵にするのか不思議に思われるかもしれません。それは野ウサギの巣が牧場にあると、人様から預かっている馬が足を入れて怪我をすることがあるからです。この牧場に20年近く住んでいて、今まで野ウサギの巣で馬が足を入れて怪我をしたことはありませんが、リスクを減らす為にも、巣穴をなくそうと思います。

午後からは一時間半程、近所を散歩。この辺りは田舎で、、大抵の家では牛か、馬、山羊、羊などを牧場で飼っています。草を食べる草食動物を飼わないと、草ボーボーになり、いずれは木も生えてきて森にもどってしまいます。そうなると眺めも悪くなるし、夏には森林火災の危険も増えます。散歩の途中には牧場の他、ゴルフ場や新興住宅地を通ります。僕の住んでいるこの辺りの牧場もいずれは住宅地になってしまうかも知れません。因みに、我が家の牧場を含めた敷地面積は6.5エーカー(約2.5ヘクタール)のホビーファームと言われる、趣味の牧場です。

下の写真は預かっている馬たちです。近くに住んでいる馬のオーナー2人が毎日、餌をやったり、馬の防寒コートを掛けに来ます。日本で馬のオーナーというと、かなりのお金持ちの趣味というイメージですが、こちらでは、平均的な年収があれば、乗馬用の馬のオーナーになることは可能です。例えば我が家で預かっている馬達のオーナー2人の内の一人は20代前半の女性で、名前はシェイレンさん。仕事も普通のOLです。彼女は週末に近くの乗馬クラブで乗ったり、この牧場の周りの未舗装の道を馬に乗って散歩したりしています。以前シェイレンさんに、馬の費用は全部でいくらくらい使っているのか聞いたところ、毎月払ってくれる、この牧場使用料の他に餌代、獣医代、蹄の爪切り代などを入れて、一年に全部で6千豪ドル(約50万円)ほどかかると言っていました。多分、彼女は年収の1割近くをペットの馬達に使っているのだと思います。もう一人のオーナーは60代の女性。馬のオーナーの友達が今年亡くなったので、その友達の馬を引き取ったそうです。乗馬はしませんが、ペットとしてこの牧場に預けてくれています。

今日は馬がもう一頭とひと月だけの約束で頼まれたポニーが一頭増えて、全部で預かっている馬は6頭になりました。

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一年半ぶりに以前の職場でアルバイト

2022年05月25日 10時27分42秒 | 仕事

今日は一年半ぶりに、以前働いていた職場でアルバイトをしてきました。僕の以前働いていた職場というのはオーストラリアのとある教育機関です。一年半前にその職場を早期退職したのですが、二十数年の間、有給休暇を一度もとらなかったので、ロングサービスリーブという有給休暇が溜まりに溜まっていまして、今も有給を貰っています。有給を通常の半分にしてもらって、代わりに有給の貰える期間を長く、二倍にしてもらったので、今年の8月までは有給がでます。

退職後、ほぼ一年半、主夫として息子の学校への送り迎えや買い物、料理、後片付けなどをこなし、家事が終わると畑で野菜を作ったり、趣味を楽しんでいたのですが、退職以来、人と話す機会が極端に減ってしまいました。毎日会って話すのは家族のみ、或いは散歩の途中に、ご近所の顔なじみの人に会えば話すくらいでした。最近では、ショッピングセンターの食料品売り場のレジで店の人と短い会話をするのが楽しみになっていた程でした。友人たちも殆どがまだ50代なのでフルタイムで働いているし、コロナ禍以降は会う機会が減ってしまっています。

それで何かボランティアでもしてみようかとボランティアの求人サイトで自分に合いそうな活動を探してみたり、市役所が主催する老人大学、つまり年配の方々の為に市の集会所で催される様々な講座(University of Third Age)など、調べてみたのですが、自分に合いそうなものは見つかりませんでした。

やはり家族以外の人と話すことは大切ですよね。どうすれば良いだろうか、、、と考えていたところ、以前の職場の人から「今、コロナ禍やインフルエンザで今、職場で人が足りていない。それで週に一日か二日、アルバイトで手伝いに来てみれば?」と言われて、これは渡りに船だと承諾したわけです。

一年半ぶりに以前の職場に戻った感想は、夏休みの休暇後に職場に戻ったような感じで、全く違和感がなく、違いと言えば、「引退生活はどう?お帰り!」と多くの人に言ってもらえたことです。週に一度か二度ならストレスを溜めることなく楽しく働けるし、職場の同僚と話せるし、しかもアルバイト料も貰えるので一石二鳥です。以前の様にフルタイムで働きたくはないので、不定期ですが、これからもしばらくは週に一度か二度アルバイトをさせてもらってセミリタイヤ生活をより充実させようと思っています。

見出しの画像は昨日撮ったウサギの巣穴。数日前に沼の泥を捏ねて、巣穴に入れてみたのですが、そのすぐ隣に別の穴ができていました。

 

 

 

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オーストラリアでクロスカントリースキー

2022年05月25日 10時27分42秒 | スキー

今日は午前中は息子を学校に送っていった後、いつもの様に海沿いを30分程ジョギングしました。以前は健康の為に毎日1,2時間程、散歩をしていたのですが、散歩では心肺機能を高めることが出来ない為、スキーシーズンに備えてトレーニングしようと思い、2か月程前にジョギングを始めたのです。3日坊主で終わることなく続いている理由の一つは車の中でランニングシャツと短パンに着替えるから。メルボルンでは早朝、海岸沿いは、けっこう寒くて、今朝の気温は8度でした。辺りは冬のコートを着て散歩をしている人が殆どで、僕の様な薄着ではかなり寒いのです。だから走らないと寒くてしょうがない。散歩をしていては体が凍えてしまうので、走るしかないのです。

帰ってからクロスカントリースキークラブの人に電話したり、メッセージを送ったりして、僕の車で一緒にスキー合宿に行ってくれる人(マルコムさん)を見つけることができました。スキー合宿はマウント・ホッサム(Mt Hottam)という所であり、僕の属するスキークラブの合宿はそのスキー場で2回、その他にもフォールス・クリーク(Falls Creek)というスキー場でも数回の合宿があります。このスキークラブのメンバーは合計35人ほどでしょうか。でも各合宿に参加するのは10人程度、ほぼ全員が中高年で、強化合宿というよりはクロスカントリースキーが趣味の人達の集まりという感じで、僕の様にスキーを始めてまだ数年の人たちから、若い時に初めてもう数十年続けているベテランまで色々なレベルの人たちの和気あいあいとしたグループです。

オーストラリアで雪は降るのをご存じなかった人(多分殆どですよね)の為に書きますと、日本と比べて、山が低く、、雪が降る山は数が限られています。メルボルンが位置するビクトリア州にはスキー場が4つほどあり、6月下旬ごろから9月中旬頃迄の3か月がスキーシーズンです。ただスキー場はメルボルンから車で4ー6時間かかるのが難点です。ビクトリア州の北にあるニューサウスウェールズ州にも3つのスキー場があります。幸いクロスカントリースキーはチェアリフトが無くても滑ることができますが、やはりスキー場に併設してある圧雪(グルーミング)されたクロスカントリースキーのコースは滑り易いです。

他にはセント・グイ二ヤ山(Mt St Gwinear)のあるボーボー国立公園(Baw Baw National Park)でもクロスカントリースキーができて、そこには自宅から車で2時間ちょっとで行けるので、僕の大好きな山です。

では、最後に窓辺の野鳥の餌やり場に来た40センチほどのオウム。

午後はウサギの巣穴三つに泥をこねて塞いでみました。

因みにこのブログを見に来て下さった人数は昨夜で6人程です。毎日読んでもらえるように、投稿しますので、

よろしくお願いします。コメント、ご質問、ご助言、大歓迎です。

 

 

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投稿2日目 僕の趣味について、及び完全リタイヤからセミリタイヤに変更

2022年05月25日 10時27分42秒 | 日記

先程チェックしたら、一人の方がこのブログを読まれたようで、ありがとうございます!

ブロブを書いて人様に読んでもらうので、あまり怠けて一日中ユーチューブを見るわけにはいかないので非常に生活に張りがでます。

今日は趣味について書きます。アウトドア活動が好きでハイキングの他、特に冬はクロスカントリースキー、夏はスノーケリングです。

クロスカントリースキーというのはスキー場でチェアリフトに乗ってから滑るスキーとは違って、雪の上をスキーで散歩する遊びです。もちろん上りはスキーで上るので疲れますが、下りは滑るので楽しいです。オーストラリアではスキー場のチェアリフトの一日券が150豪ドルくらい(約1万3千円)と高いのでよっぽどのお金持ちでないと簡単には手が出ません。

スノーケリングはスキューバーダイビングに似ていますが、酸素ボンベを使わず、ウエットスーツを着て、水中眼鏡とスノーケル、足ひれを付けて、海の中の生き物を観察する遊びです。メルボルンの中心部から車で30分ぐらいの所にボーマリス海洋保護区(Beaumaris Marine Sanctuary)があり、岩礁が2キロほど続いていて魚釣りなどが禁止されています。そこに魚がうじゃうじゃいて30センチほどの鯛が手に届くような距離で泳いでいたり、1メートル程のエイなどが2メートル近くで観察できるのです。

さて、今日した事ですが、高校三年生の息子の学校への送り迎え、と3-5センチほどに伸びた玉ねぎの苗を畑に植えました。妻は週に4日程働きに出るので、僕が主夫。なので夕食のハンバーグも作りましたよ。大変好評でした!

ハンバーグは15個作って今日は8個食べたので、残り7個は明後日また頂きます。明日は昨日作ったシチューを食べる予定。

昨日のブログで早期退職と書きましたが、セミリタイヤに変更します。週に一日か二日、職員が欠勤などで人が足りない時にアルバイトとして入れるように今日はそのお願いをしたのですが、直ぐ返事が来て、了承されました。ひょっとして明日にも仕事が入るかも知れません。やはり家族以外の色々な人と会うのは脳の刺激にいいだろうし、日々のバリエーションをつけられるし、何といっても日給400豪ドル(三万五千円)ぐらいもらえるので、旅行などにも使えるし、、、また頑張ります。

 

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メルボルンで今日からブログ、始めます!!

2022年05月24日 10時14分56秒 | 日記

今日からブログ始めます。

今まで、日記など続いたことがないので、続くかどうか分かりませんが、、、。

毎日した事やする予定の事、考えた事などを書いていきます。

では初めに、簡単な自己紹介ですが、ヒロシと申します。1994年にオーストラリアに留学、現地で20数年働いた後、2020年に早期リタイアしました。家族は妻と子供二人ので、メルボルンの近くの牧場に住んでいます。牧場といっても他人の馬4頭を預かっているだけで、特に馬の世話はしていませんが。

今朝は高3の息子と大学生の娘を学校に送った後、いつもの様にフランクストンの浜辺で、ストレッチ後に30分弱のジョギング。気温は7度くらいでしたが幸い風は殆どなく青空の広がるいい天気でした。ジョギングする時は寒くてもランニングシャツと短パンになって走ります。薄着になると寒いので怠けて、散歩になってしまうのを防ぐ為です。(かなり意思が弱い。)

その後、牧場の見回り、というかウサギの穴塞ぎの作業を30分程していました。ほぼ毎日、沼から一輪車で運んだ泥をこねて、ウサギの巣穴に入れるのですが、きょうも以前塞いだ脱出口の穴があけてあったのでガッカリ。巣には大抵4-5個の巣穴が開いているので、すべて泥で塞いだのですが、、。

これから可能な限り、毎日投稿しますので皆さんよろしくお願いします。

 

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