オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

オーストラリアに移住して良かったこと その3 

2022年11月30日 13時25分46秒 | 海外移住

今日はオーストラリアに移住して良かったことの、その3ですね。それは、日本に住んでいる時には考えられないような、豊かな生活が出来る事です。

このブログを始めた頃に、一通り僕のオーストラリアでの経歴を詳しく書いたことがあるので、まだ読んでいらっしゃらない方は、そちらも読んで頂けると幸いです。

もしオーストラリアに移住していなかったら、大学は地方の私立の文系でしたので、今頃は、中小企業の会社員か、又は派遣社員としてどこかの工場で労働者として働いていたことでしょう。それとも、仕事のストレスから、鬱病になっていたかも知れません。

オーストラリアに移住したからこそ、日本では不可能だと思われることが、ここで実現できたのです。その理由は、日本は人口減少社会で、経済も30年ほど停滞しているのに対して、オーストラリアは経済が発展しているからだと思うのです。

まず、オーストラリアの総人口は2600万人ですから、日本の6分の1ですが、海外からの移民を多く受け入れている為、人口増加率は年に1~2パーセントです。移民が流入すれば、家も建てるし、消費も活発になるので、経済が発展します。経済が発展すれば、国民が豊かになれるのです。

しかもオーストラリアは鉄鉱石や石炭、天然ガスなどの地下資源が豊富で、輸出産業の第一位です。また、ご存じの様に、英語が公用語なので、海外からの留学生は70万人もいるのです。(因みに日本の海外留学生は、25万人程)シドニー大学では4割、メルボルン大学では3割の学生が外国人留学生なのです。彼らが払う授業料は高額で、毎年300万円程の学費を払うので、第二位の輸出産業は教育なのです。

これらの要因が重なって、オーストラリアの経済成長の指標である国内総生産(GDP)の成長率(コロナ禍以前)は年率2~4パーセント。これからも成長し続ける国だと言えるでしょう。

経済が成長すると、賃金も上がり、物価も値上がりします。都市部の不動産価格の値上がりは年に6~7パーセントで、10年でほぼ倍になるのです。20年なら3~4倍、30年で5~7倍ぐらいでしょうか。日本では考えられない値上がりですよね。僕でもオーストラリアで就職して3年目に最初の不動産を買う事が出来、資産形成の第一歩を踏み出したのです。

株式市場も同じように、オーストラリアでは、30年前に比べて何倍にも上昇していますが、日経株価は30年前の約半分に停滞したままです。

初期のブログにも書きましたが、28歳の時、オーストラリアに留学し、30歳で一文無しだったこの僕が、57歳現在は、、、

1.メルボルン近郊の緑豊かな牧場に住んでいること。

こんな生活は日本で想像したこともありませんでした。しかも、メルボルンの住宅街のすぐ隣、ショッピングセンターへは車で5分の距離。シティーまで1時間で行ける所なのに、7頭の馬がいる広い牧場に住んでいるのです。しかも牧場の住宅ローンは9年前に9年間で完済しています。毎日、1、2時間かけてゆったり近所を散歩。牛や羊、ロバを飼っている農場を見ながら、散歩。知り合いのご近所さんとすれ違う時はお喋りが楽しみです。

もしオーストラリアに移住していなかったら、日本の実家に両親と同居か、郊外の団地か古い木造のアパートに住んでいる気がします。30代で家を建てていたら、住宅ローンの完済迄、あと10年はかかるでしょう。しかも、せっかく完済した家の価値は買った値段の半分か3分の1以下という、日本では当たり前の悲惨な状況だと思います。

2.老後の蓄えは十分にできたので、2020年に55歳でリタイア生活を始められたこと。毎日時間がたっぷりあり、遊んで暮らしているので、こうやって毎日ブログが更新できます。色々な趣味を通して友達も沢山できました。

もし、オーストラリアに移住しないで日本に住んでいたら、現在も職場と自宅を往復する毎日で、リタイアまではあと8年ぐらい、65歳までは働かないと、老後は安心して暮らせないでしょう。毎日仕事で疲れるので、趣味と言えるような趣味はなく、交友関係も職場の人に限られていると思います。

この様に、もしオーストラリアに移住していなかったら、今の生活とはかけ離れた生活になっていたのではと思うのです。

下の写真は、庭で採れたビワ。大きなビワは鶏卵ぐらいの大きさになります。鳥に食べられない様に、袋掛けをしています。今日も沢山食べたので、食べ残ったビワです。

では、明日も,、このブログでお会いしましょう。

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オーストラリアに移住して良かったこと その2

2022年11月30日 08時06分04秒 | 海外移住

今日のブログも昨日に引き続き、オーストラリアに移住して良かったことを書いていきます。

オーストラリアに移住して良かったこと、その2は、労働環境が良いことです。

このブログを書き始めた頃に、日本で会社員を一年ちょっとした時の事を書きましたが、はっきり申し上げますと、労働環境に関しては、雲泥の差があります。

まず、日本の雇用形態は、終身雇用の年功序列、新卒の一括採用が一般的で、労働者の流動性は低く、多くの新卒の社員は出来れば、定年まで同じ会社で働くのが最良と考えているのではないでしょうか。その理由は、殆どの場合、会社を変わると、また一からやり直しで、給料は下がり、前より労働環境は悪くなることが分かっているので、出来るだけ同じ会社にしがみつこうとします。

会社が辞められないとなると、上司の言う事は絶対であり、上司に嫌われない様、失敗しないよう、成果を出せるように、皆さん努力しておられると思います。上司の前ではへこへこと頭を下げ、ご機嫌を伺い、上司に呼ばれると、また叱られるのかと、ビクビクしてしまうのではないでしょうか。

オーストラリアでは、上司に対してへこへこしたり、ご機嫌を伺ったりする必要はなく、上司と部下は対等だと言えます。部下はその職場や上司が嫌ならば、いつでも同じ職種の別の職場や会社に移ることができるからです。つまり同じ会社にしがみつく必要はなく、会社に不満は無くても、常日頃から、すこしでも条件の良い職場があれば、移ろうとします。

又、オーストラリアでは労働組合の力が強く、労働法を順守しない雇用主は厳しい罰則があります。その為、ブラック企業は存在できません。オーストラリアのラッシュアワーは午後3時頃から始まり、午後7時には電車の駅や道路は閑散としています。日本の様な、深夜近くの終電が混み合う状況は考えられません。

日本の厚生労働省の労働基準監督署は何の為に存在するのか、何をしているのか、甚だ疑問に思うのは僕だけでしょうか。日本では労働基準法が全く機能していないと思うのは僕だけでしょうか。

30年以上前、僕が日本の会社で働いていた頃は、自分の仕事があろうがなかろうが、上司の許可がなければ帰宅することは許されず、大抵、残業代が出ないのに、夜の9時か10時まで職場にいるのが普通でした。家には寝に帰るだけで、土曜日も出勤の日が多く、「仕事をする為に生きている」という生活でした。

これに対し、オーストラリアでは、勤務時間が過ぎたら、直ぐに帰宅します。上司や取引先とのゴルフとか、職場の飲み会などはなく、年に一度のクリスマスパーティーも自由参加。行かなかったからと言って、後ろ指をさされることもありません。勤務時間以外は自分の時間ですから、早く家に帰って、夜は家族と一緒に過ごせる時間がたっぷりあります。週末も家族でどこかに出かけます。人生を楽しむ為に仕事や勉強をしているといっても過言ではないでしょう。

日本では、会社に夜遅くまで残っているのは、身を粉にして働いている人、会社の為に自分の人生を捧げている人、会社に忠誠を誓っている人、というイメージですが、オーストラリアでは反対で、要領が悪い人、使えない人、能力がない人、残念な人です。

教師の生活を日本とオーストラリアで比較してみると、その差が良く分かります。日本の都市部にある私立高校に勤めている友人は出勤日が月曜日から土曜日までで、大抵、勤務が終わるのは夜の9時が平均だそうです。しかも生徒が夏休みや冬休み期間でも教員は出勤するのだそうです。運動部の顧問になった教員は更に悲惨で、日曜日も返上で、練習や試合に付き合わねばならないそうです。

オーストラリアの教員は授業が3時か3時半に終わるので、雑用が残っていなければ、生徒と同じ時間に家に帰ることが可能です。ダラダラとお喋りをしていても4時には帰る人が多く、ミーティングがあっても4時半までです。部活動がないので、顧問の先生はいません。長い休みは年に12週あり、完全に休みです。

では、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

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オーストラリアに移住して良かったこと その1 

2022年11月29日 08時58分25秒 | 海外移住

今日のお題はオーストラリアに移住して良かったことです。このブログを毎日読んで下さっている皆さんは、オーストラリア、又は海外に住むことに興味がある方が多いと思うので、今日からはいつもの日記ではなく、趣向を変えて、オーストラリアに移住して良かったことを、今日からいくつか書き連ねたいと思います。

移住して良かったこと、その1は、

上下関係がなく、知らない人との垣根が低いので、友達や知り合いが作り易いこと。

日本で友達が出来るのは、学校でクラスメートだったり、同じ部活だったり、職場の同期だったりですよね。でも、一旦就職すると仕事の時間が人生の大部分を占めてしまい、新しく友達を作るのは難しいのではないでしょうか。仕事関係の知り合いやは沢山いても、退職してからも続く友情ではないでしょう。

趣味のクラブやサークルに入っても、年長者が威張っていたり、縦の関係があったりして、学校の部活動の様な先輩後輩の関係があって真の平等ではなく、友達は作りにくいのではないでしょうか。

異性間では、例えば男性が知らない女性に話しかけようとしたら、(え?この男の人は新興宗教の勧誘?、新手の詐欺?ナンパ?変質者?性犯罪者かも?)と女性の頭の中では、警戒警報が鳴り響き、脱兎のごとく、逃げられるのではないでしょうか。どうしても異性とお喋りをしたければ、高いお金を払って、キャバクラやホストクラブに行くしかないのが現状でしょうか。

日本では知らない人と自分の間には「高い垣根」が存在するので、街やショッピングモールを歩いても、知らない他人との会話をすることは、普通ありません。スーパーやコンビニのレジで、店員とお客さんが、気軽にお喋りを楽しむことはありませんよね。レジ担当の人は社員教育で、お客さんと無駄話をしてはいけないと教育されるのかも知れません。

日本に比べてオーストラリアでは、知らない人と自分との間の垣根は低いです。例えば、スーパーやコンビニで、レジで並んでいる時に、他のお客さんと話したり、レジの店員さんとお喋りをすることはよくあります。場所にもよりますが、散歩中にすれ違う人には無視せず、挨拶をすることはマナーです。何度も挨拶したら、天気や一緒に散歩している犬の話などをするようになり、気が合いそうなら、どこの家に住んでいるかとか、仕事は何かとか、プライベートな話になるかも知れません。

日本では、知らない人に話しかける時は、「(話しかけて)すみません。」などと、話しかけるのが、何か人に迷惑になること、悪いことの様で、話しかけて申し訳ないと謝ります。こちらでは、「よくぞ話しかけてくれた、あんた。」という感じで、迷惑どころか有難られる感じです。

以上、オーストラリアでは、年齢差や性別、人種などを気にすることなく、誰とでも分け隔てなく、自由に、気軽に話しかけることができる社会なのが、移住して良かったことの一つです。日本でも早く垣根が低くなれば良いのにと思うのは僕だけでしょうか。

最後になりましたが、レントゲン検査の結果は良好で、肋骨の骨折はなく、胸部の筋肉の肉離れだそうです。気のせいか病院から帰ったら、急に痛みが少なくなったようで、夕方30分程ですが、散歩も出来ました。

では、また明日のブログでお会いしましょう。

 

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胸部レントゲン検査

2022年11月28日 17時40分32秒 | 日記

今日は、10時半頃に妻に送ってもらって、車で10分程の所にある昨日予約しておいたお医者さんに診てもらいに行きました。予約した医者は休みだったので、代わりの、インド系の女医さんに胸部の痛い所を触診で、診察してもらいました。気になる診察料ですが、時間は5分程でしたが費用は90豪ドル(8500円)でした。その内政府から40ドルほどの補助が出ましたが、50ドルは自費でした。肉離れか骨折かは判断しかねるので、レントゲン撮影に大きい病院へ行ってきてと言われて、そこから5分程の所にある大きな病院で胸部のレントゲン検査を受けました。ここでの出費は150豪ドル(1万4千円)で痛い出費でした。

肋骨の骨折は基本、自然治癒しかなく医者は何もできないので、医者に行っても無駄だとは思いましたが、、、やはり無駄だったのかもしれません。別に仕事をしているわけではないので、診断書を雇用主に出すわけでもありませんし、、、。

胸部の筋肉の肉離れかも?と思い始めた理由は、もし骨折していたなら、常に痛み(鈍痛)があるはずだと思うのです。ところが、痛むのは咳払いや起き上がる時や深呼吸など、胸の筋肉を使う時だけですから、単に肉離れではないかと思い始めました。もしそうなら、それほど心配することはなく、2、3週間もすれば治るので、来週はまたセーリングの講習会に行けるのでは?と既に淡い期待を抱いています。明日医者に行ってレントゲン検査の結果をもらうので、皆さんにもご報告できると思います。

病院から帰ったら、気のせいか、痛みは少し収まった感じで、昨日は高齢者のヨロヨロした歩き方でしたが、今はスピードが少し早く歩けるようになっています。

では、明日もこのブログでお会いしましょう。

(見出し写真はイメージです。)

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ピクニック断念

2022年11月27日 16時07分17秒 | 日記

今日はスキーロッジのメンバーが集まるピクニックがメルボルンの公園であったのですが、行くのを断念しました。理由は4日前にスケートの練習中に転んだ時の怪我が、昨日のセイリング講習会で余計に酷くなってしまったからです。病院へは月曜日に行きますが、胸部の筋肉を使う動きをすると、激痛が左の肋骨に走るので、今は歩くのがヨロヨロの状態で、咳払いなどもしにくいです。大きく息を吸い込む深呼吸は途中までしかできない状態なのです。

この状態でスキーロッジのピクニックに参加しても、僕を知らない会員に、「あんな高齢者がスキーなんで出来るの?」と思われてしまうと思うのです。本当にヨボヨボの高齢者のように、そろそろとしか歩けない状態です。発声も大きな声で話すと胸が痛むので、小さな声でぼそぼそとしか話せません。

あと、一週間ぐらい休めば、かなり良くなって、来週の土曜日にある3回目にセーリング講習会に参加したいと思っていますが、もし、骨にヒビが入っている場合は、骨は治りが遅いので、完治までは1、2か月かかるようです。

57歳からスケートを始めるのは無謀だったかもしれませんが、スキーの様に滑ることはスリルがあるし、他のスケーター(その多くが女性)とお喋りも出来る、とても良い趣味なのです。それで、この怪我が完治したら、今度は乗馬用の防具のベストを着て滑ることを考えています。胸部を守らなければ、また次に転倒した時に、同じような怪我をすると思うのです。

散歩に行くこともできないので、今日したことは一日中ユーチューブの動画を見たり、ニュースを読んだりしていました。今夜は日本対コスタリカのサッカーの試合を見ようと思っています。

英語の動画やニュースも見ますが、やはり日本語の動画やニュースの方が頭に入りやすいです。ネットフリックスで外国の映画を見る時は字幕が英語なので、素早く読まないと、次の字幕に切り替わってしまうこともあって、困りものです。こちらのネットフリックスには日本のドラマも多少はありますが、数は少なく、学園ものやアニメが多く、僕の様な中年の男性が見るの堪えられるものは少ないです。

こちらで、日本のドラマや映画を見たり、新聞や小説を読んだりしている時に、ここは日本だったっけ?と思う瞬間があります。自分がどの国にいるか分からない瞬間です。それで辺りも見回して、「やっぱりオーストラリアか。」と思い直すのです。多分、これは海外に住んでおられる日本人の多くが経験されていることだと思います。

最近は僕がこの様な状態で家事が何もできないので、その分、妻が頑張ってくれています。今日の晩ご飯は、ミートパイと野菜とご飯の様です。

では、明日もこのブログでお会いしましょう。

 

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ヨットの講習 2回目 肋骨の痛み

2022年11月26日 17時19分25秒 | 日記

今朝は9時からのヨットの講習に間に合うように、朝ご飯を食べて、早めに家を出ました。今日の天気予報は晴れで、最高気温は27度の予報です。今まで寒かったので、今日は珍しく暖かい日になりそうです。肋骨の痛みは昨日よりは幾分かは良くなっている感じだったので、講習は欠席せず、参加することにしました。

今日のヨットのグループは先週のフンと新しいハニーの3人です。ハニーは52歳で、最近離婚されたそうで、何か新しいことを始めようと、ヨットクラブの近くに引っ越して、ヨットを始めることにしたそうです。僕が2日前にスケートで転んで、肋骨が痛むと話したところ、彼女は小さい頃かインラインスケートをしていて、インラインスケートのホッケーもされていたそうです。

さて、今日、一緒にヨットに乗ったフンとハニーと、先週、同じヨットに乗ったフィオナには、スケートで転んで肋骨の怪我の痛みについては言ったのですが、ヨットを乗せた台車を押したり、引っ張ったりと、力を出した為か(殆ど出ませんでしたが、、、。)ヨットの講習が終わったら、昨日より肋骨の痛みが強くなった感じです。

今日は2回目の講習で、折角他の受講生と仲良くなり始めたので、絶対に休みたくないと思って、参加したのですが、、、。立ち上がったり、発声をしたり、兎に角、胸の筋肉を使うと、左の脇の下15センチ程のところに激痛が走ります。それで、月曜日には、医者に診てもらう様に近くの病院に予約をしました。多分、肋骨にヒビが入っているのが痛むのだと思います。

医者に診断してもらえば、他の人に「実は肋骨にヒビが、、、。」と胸を張って言う事ができますが、医者の診断がないと、「肋骨が痛むのだのだけど、まだ医者に行っていない。」と言うしかなく、他の人は「なぜ、医者に行かないのか。」と不思議がられると思うのです。

さて、昨晩から、サッカーワールドカップ、日本対ドイツのオンデマンドの再放送を見ていました。日本が勝って良かったですよね。特に、相手は大男ばかりで、平均身長の差は15センチ以上ではないかと思います。見ていて、子供と大人が試合をしている様な感じだったのですが、見事、ドイツに勝ちました。バスケットボールと違って、サッカーは多少背が低くてもハンデは少ないと言う事でしょうか。ただ、ヘディングでは不利でしょうが、、、。

では、また明日のブログでお会いしましょう。

 

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国立ビクトリア美術館

2022年11月25日 17時22分41秒 | 日記

今朝は朝ご飯を食べてから、電車で町の近くのサウスヤラ駅に行きました。その駅の改札口を出たところで、胸部の防具の売主のニキータが、待っていてくれました。

その防具はニキータの旦那さんのジョンがオフロードバイクに乗る時に使うために買ったそうですが、少し小さすぎたとのことでした。

その防具は、少し薄そうでしたが、取り合えず、試着してみることにしました。改札口の直ぐ前では人が通るので5メートル程移動して、人通りの無い所で、試着を試みましたが、少し小さくて、自分では着れず、ニキータが手伝ってくれてようやく着ることが出来ました。来てみると、呼吸が苦しく、思いっきり息を吸い込むことが困難なくらい小さめでした。ちょっと、僕には小さいので、残念ながら却下です。防具を脱ごうとしましたが、また一人では脱げず、再びニキータに手伝ってもらって、やっと脱着できました。

「遠路はるばる、来てもらったのに、残念だわ。」とニキータは言って、お別れしました。

今日、スケート靴を持って来なかった理由は、昨日スケートで転んでからの左胸部の痛みがあるからです。昨夜は痛みの為か、3回程起きてトイレに行きました。今日は昨日より痛みは幾分かは収まっていますが、咳をしたりすると痛いので、咳払いがうまく出来ないくらいです。

折角シティーの近くまで来たのだから、このまま引き返すのは勿体ないな。でも、昨日一緒にスケートをしたキャシーは今日もプリンセス埠頭に来ると言っていたので、会えなくて残念でした。もう彼女には会えないかも知れないのです。連絡先を交換しなかったのを後悔しました。

駅のプラットホームを待つ間、空は曇りで肌寒く、気温は15度ぐらいでした。昨日に引き続き、コートを着て来なかったのが悔やまれます。それで今日は、屋内で暖かく過ごせる国立ビクトリア美術館に行くことにしました。

この美術館は、基本は入場無料なので、気軽に入ることができます。ピカソやダリ、モネ、といった巨匠の絵画から、日本の美術コレクションには日本でも実物を見たことがなかった縄文土器も展示されていますが、あまり展示品が変わらないのが玉に瑕です。

では、明日もこのブログでお会いしましょう。

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オレンジ色の髪の女性

2022年11月24日 17時14分55秒 | 日記

今日の天気予報が穏やかな晴れの予報だったので、朝からメルボルンのシティーの近くのプリンセス埠頭に行ってきました。埠頭は、曇り空で肌寒く、15度前後だったと思います。上は薄い長そでのシャツで下が半ズボンだったので、体を温める為に、早速ローラースケートで滑り始めました。天気が良くなかった為か、僕の他に、スケートをしている人は誰もおらず、寂しく滑っていました。

一時間程練習していると、髪がオレンジ色で、背の高い女性が自転車から降りて、ローラースケートを自転車の荷台から出しているのが見えました。やったー!お喋りができるかも?と思い、近くに寄って僕から、

「こんにちは。今日、ここでスケートをするのは僕一人だけじゃなくて、良かったです。」と言って、話しかけました。名前をキャシーと言って、2年前にシドニーからメルボルンに引っ越してきたそうです。

「今、セントキルダに住んでいて家賃は週に400ドルなのだけど、シドニーで同じようなシティーの近くの物件は週に900ドルはするのよ。だからメルボルンに来たの。」だそうです。

キャシーのスケートのレベルは僕と同じぐらいで、ローラースケートの教室で練習しているそうです。教室の名前も教えてくれたのですが、仕事がある人の為に、大抵、この類の教室は夜開かれるので、僕が入会するのは、ちょっと無理だと思いました。キャシーは中学で日本語を勉強したことがあって、日本にも夫婦で旅行したことがあり、今は離婚して一人だそうですが、今晩はアプリであった男の人と初デートだそうです。

日本でも、最近、ニュースで読んだのですが、結婚したカップルの出会いで一番多かったのは、昔は職場だったのが、今年はアプリでの出会いが一番になったとニュースになっていましたよね。

やはり、自然な出会いはとても非効率。ただ、アプリでは次から次へと候補者が選べるので、次はもっと良い人かも?となるのが欠点ですね。自然な出会いに任せると、次の出会いは、そう簡単に訪れないので、100%自分に合っていなくても妥協することが多いのではないでしょうか。

さて、一時間程、キャシーとお喋りしながら一緒に滑ったのですが、彼女は昼から用事があって家に帰ることになったので、また僕一人で滑っていたのです。12時半頃お昼ご飯を食べて、2時間ほど滑ったので2時半頃だったでしょうか。かなり疲れてきた頃、集中力が切れてきた頃でした。気が付くと、横向きにコンクリートの地面が迫ってくるのが見えました。転んだ瞬間、胸部の激しい痛み、、、。コンクリートに叩きつけられた感じです。

以前転んだ時より痛いと感じました。10秒ほどで起き上がって、痛みを堪えながら背負いカバンの置いてあるところまでヨロヨロと滑っていき、防具とスケート靴を脱いで長椅子に横になって20分ほど休みました。少し眠ったかもしれません。起き上がろうとすると、やはり、痛みが強く、すぐには起き上がれず、10秒程かかりました。肋骨が折れているとかではないようですが、大きく息を吸い込むと左の肋骨が痛みます。仮に肋骨にヒビが入っていても、医者は何もできず、自然に治るのを待つしかないようなので、今のところ医者には行かないと思います。

家に帰って、早速、胸部を守る防具ベストをフェイスブックの売りますコーナーで見つけました。明日、メルボルンの町の近くへ取りに行きます。今回、胸部を強打したのは2回目ですから、ひと月に一度のペースです。2度あることは3度あるということで、これからは上半身にも防具をつけて練習することにします。若い人は必要ないでしょうが、僕はどちらかと言えば中年、又は初老ともいえるくらいの年齢ですから、気を付けるに越したことはありません。スケートが出来ないような大怪我はしたくないですから、、、。

では、明日もこのブログでお会いしましょう。

(見出し写真はイメージです。)

 

 

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市民権を取るべきか否か

2022年11月23日 17時20分23秒 | 海外移住

今朝はジョギングを10分程して朝ご飯。その後は、直径が5センチほどの長い枝を丸鋸で切ったり、ネギの種を苗とこに蒔いたり、台所のゴミを捨てたりしていました。午後は妻と子供達が州の選挙の投票に行ったので、途中まで乗せて貰って、ローラースケートをしてきました。

僕はオーストラリアに28年程、住んでいますが、まだ市民権を取得してオーストラリア人にはなっていないので、投票権はありません。しかし、「ひと月ほど前に市民権を取得する手続きをした。」と日本人の友人に聞いて、僕も市民権を取った方がいいのかもと考え始めました。市民権の手続きをしてから、実際に市民になるのに、1年半ぐらいかかるようです。

今まで、永住権だけで、市民権を取得しなかったのは、日本に3か月以上帰りたくなったら帰れるし、オーストラリアを離れて、日本で余生を過ごすという選択肢を残しておきたいから、というのが理由でした。でも妻と子供達がオーストラリアに住んでいて、日本に長期では住みたくないと言っている以上、家族を残して僕一人で日本に帰ってしまうことなど考えられないのです。

と言うことは、、、市民権を取得してオーストラリア人になってしまっても問題はない気がします。元々、この国に骨を埋める覚悟で来ていますし、、、。ただ、残念ながら、日本人は2重国籍が取れないので、市民権を取ると、日本の国籍は諦めなければなりません。ただ、日本は食べ物が美味しく、物価はオーストラリアに比べて安く、住みやすいのは確かです。なので、このまま永住権を保持しつつ、一年の半分を日本で、半分をオーストラリアで過ごす生活もアリかなとも思います。妻はオーストラリア人なので、日本には最長で3か月しか滞在できませんが、、、。

やはり、今のところは、どちらの国にも住める今の状態が良いのかもしれません。

では、明日もこのブログでお会いしましょう。

 

 

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季節外れのグイニア山スキー

2022年11月22日 15時16分14秒 | 日記

今日はジョンとスキーの約束があったので、6時10分起床して、お腹が減らないように、朝ご飯のオートミールをいつもより多く食べました。天気は曇り空だったので、一安心。スキーに行く日に朝から雨が振っていると、気が滅入りますから。

さて、待ち合わせの時間は9時にモーウイという町のカフェだったので、8時40分頃に、その町のスーパーに到着し、サンドイッチの材料のパンとハム、チーズを買って駐車場でサンドイッチを作りました。

サンドイッチを作り終わって、一段落です。丁度良い時間だったので、早速ジョンに電話でメッセージを送りました。

「おはよう、ジョン。今モーウイのスーパーの駐車場にいるんだ。カフェまでは2分もかからないと思うよ。」

少し待ったのですが、直ぐに返事が来なかったので、電話をしましたが、留守電になっていてジョンに繋がりません。

一分程して、ジョンから次のメッセージが、、、。「おはよう、ヒロシ!スキーは明日だったよね。今、メルボルンだけど、どうしたの?」と、、、。

急いで、過去のジョンとのテキストのやり取りを見ると、水曜日にスキーに行こうとジョンがメッセージを書いていました。えっー!!僕のミスだったようです。ひょっとすると、痴呆症の初期症状かも知れません。天気予報を何度も見ていて火曜日がベストだったので、いつも間にか、勝手に火曜日に行くのだと思い込んでしまったようです。

「ごめん、ジョン。僕の間違いで、勝手に火曜日だと思ってしまったみたい、、、。まあ、一人でこれからグイニア山に行ってみるよ。雪の状態の偵察ということで、、、。じゃあ、また、明日会おう。」ということになりました。

グイニア山はモーウイという町からは1時間程です。山に行く途中で山頂近くには雪が見えたので、一安心です。

山の駐車場に近づくにつれて、道の両端には雪が2、3センチ積もっているのが見えました。駐車場に着く頃には10センチ程、積もっていて、他の車のタイヤの後がなかったので、僕が一番乗りの様です。

スバルXVは全輪駆動で、雪道でも安心して運転できます。タイヤチェーンなどつけなくても、スリップもなく走行できました。もし積雪が20センチだったら、タイヤチェーンを付けなくてはならなかったと思います。

さて、予想通り、駐車場に留まっている車はなく、僕が一番乗りでした。車の温度計を見ると、外の気温は2度。霧雨が降っているので、ゴアテックスのレインコートを着て、出発。

積雪は10センチ程で、スキーを履いて山道を登るには十分な積雪なのですが、思いのほか雪が重く、地面が暖かいから下の方から、少しずつ溶けているようです。山道を登っていくと、暖かくなったので、汗をかく前に、レインコートや帽子を脱いで、薄い上着になりました。

1時間10分程でグイニア山の山頂に登頂。もう少し遠くに行ってみようと思いましたが、冬期と違って、30センチほどの灌木が登山道に生い茂っていて、スキーで下るのは危険そうだったので、引き返すことにしました。

駐車場までの下山はスキーでスイスイ滑って降りてくるのが普通なのですが、今日の湿った雪ではスキーが滑らず、急こう配の坂以外は、滑走することは出来ませんでした。なので、帰りも殆ど歩いて山を降りてきました。

駐車場に12時半頃着いて、お昼ごはんのサンドイッチを食べて、運転再開。帰りも2時間半かかります。

帰宅してからジョンにメールし、雪の状態がベストには程遠いので、明日はスキーに行かないことを伝えました。

妻と子供達は今晩、メルボルンの町へ、「ハミルトン」というミュージカルを見に行きました。僕はそれほど観劇には興味がないので、行きませんでしたが。僕が思うに2時間ほどの観劇に215ドル(2万円)も払うのはコスパが悪すぎると思うのです。それに、僕は5回のヨットの講習に250ドル使いましたし、、、リタイア生活なので、少しは自制しないと、いくらお金があっても足らなくなると思うのです。

では、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

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