まもなく72年目の終戦の日(8月15日)。
名古屋にある「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」(中区丸の内3丁目、愛知県庁大津橋分室1階)を訪ねると、常設展示の爆弾や戦没者の遺品などとともに、銃後の子どもたちや国民が置かれた状況の一端を知る企画のコーナーが設けられていました。
企画コーナーのタイトルは「昭和初期の子ども~日常の歴史」。学童疎開や配給制度などを、市民から寄せられた資料や写真などで示しています。
都市部の子どもたちを空襲から守るための学童疎開は、1944年(昭和19年)から開始。名古屋からは8月5日に集団疎開の第1陣として、3万2千人が親元を離れて愛知・岐阜・三重の町村などへ向かったのを皮切りに、次々と疎開しました。
米や衣料の配給制度も、戦局の悪化とともに生産が滞って機能しなくなりました。
衣料切符は点数制で1人あたり年間80点(都市部は100点)でしたが、32点の国民服も手に入らなくなる始末。米や味噌を求めて闇市へ行けば、統制価格の6倍もの高値になったようです。
これらの史実を、展示された配給切符はじめ、今の中学・高校生くらいを対象にした陸軍少年飛行兵募集のチラシ、愛国行進曲と日の丸行進曲が印刷された扇子、「突貫双六(すごろく)」のタイトルがついた学習雑誌「1年生」正月号の付録などで知ることができます。
愛知・名古屋 戦争に関する資料館のある愛知県庁大津橋分室