風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

落書き雑記「内面にあるものも描き切る『85歳の老画家』の個展」

  

「表面だけでなく、内面にあるものを描き切る。僕の絵に対する思いです」
「描くのは、趣味ではありません。賞をもらおうとか、プロになろうというものでもありません」
77歳になって勤め仕事から解放され、自由の身をキャンバスにぶつける85歳に、圧倒されました。

名古屋・栄の名古屋市民ギャラリー栄で「谷口愛太郎の絵画と造形展」と銘打った個展。絵画は油絵を中心にハガキ大から20号ぐらいまでと、さほど大きくありません。
でも、人物画や風景画の前に立つと、未熟な僕にも谷口さんがその絵を描こうとした思いを理解できる気がします。展覧会は19日まで。

現在は尾張旭市に住む谷口さんですが、三重県尾鷲市にある「須賀利」という小さな漁村の出身。
「今もはっきり覚えていますが、小学校1年の時に親がクレヨンを買ってくれ、描いたら面白くて。その後も、絵から離れません」
でも、1944年(昭和19年)の東南海地震などで住まいは大津波に流され、描いた多くの絵も消えてしまったか。

名古屋の建築設計事務所に就職しましたが、設計士としての才能も発揮。公共建物や料亭、寺院などの設計を担当し、膨大な設計図を積み重ねました。絵は暇を見つけてパステル画を描いたこともありしましたが、油彩画を仕事の合間に描くのは自分が許さなかったそうです。

典型的な仕事人間だったのでしょう。ビルのエレベーター設計を担当した時のこと。
普通は形やドアの大きさを設計すると「ドアの色は○○番」とすればよいそうですが、谷口さんは建物にふさわしい色にしようと図面に着色、何度も塗り替えて検討したといいます。

寺院の改修でも「建物の性格から、大理石を貼り付けるような張りぼてはふさわしくない」」と反発。当然、納期のことなどを巡って会社幹部とぶつかりましたが、押し通すまともな仕事ぶりが評価され、定年延長後も何度か出した辞意も慰留されて77歳になって、やっと「余生を絵に集中したい」との願いが認められたそうです。

3年前に最初の個展を開き、今回は2回目。会場には約40点の絵画と、造形の部としてこれまで手掛けた建造物の設計などを展示。訪れた事務所の後輩たちも、谷口さんの仕事ぶりを目標にしてきたことを懐かしそうに話していました。

絵画の中で僕がいい絵だな、と思ったのは、まず故郷・尾鷲市須賀利を描いた「漁具の手入れ」。数人の漁民が網を繕う様子は、画面全体からはごく小さく描いていますが、題名に同感しました。「生活感を入れたかったのです。もちろん題名にも」と谷口さん。

奥さんを描いた作品。20号とSMの大小2枚ありましたが、どちらも優しさがあふれています。
SMの「休日」について、谷口さんは話してくれました。
「仕事で家にいることが少なかったころ、休みの日の朝、台所を見ると妻がコトコトやっているのです。夢中でスケッチブックに描きとりました」

「体力が弱って5分描いたら5分休んで、という調子ですが、一応90歳までが目標。どう表現すればいいのか分からないことばかりだし、描きたい思いを残したまま焼かれるのも嫌ですから」
「個展も一応3回、というのが切りもいいので、それは挑戦します」

お元気でご自分が納得できる絵を自由気ままに、どんどん描いてください。


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