《「ミロのヴィーナス」考 その2 古代ギリシャ美術史の時代区分》
高階秀爾、ハヴロック、中村るいの諸氏の著作内容を紹介する前に、古代ギリシャ美術史(とくに彫刻史)の時代区分などについて略述しておきたい。
古代ギリシャ美術史を概説してないと、その全体像を思い浮かべにくい。そこで、1964年の図録である、朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』(朝日新聞社、1964年)をもとに、説明しておきたい。
ハヴロックの専著は古代ギリシャ彫刻史の特定のテーマを取り扱っているので、どうしても補足が必要かと思う。また、中村るいの著作は、古代ギリシャ美術史全体を扱っているので、後に改めて解説にすることにして、ここではその時代区分の枠組みのみを紹介しておく。
古代ギリシャの彫刻の歴史の流れは、紀元前9世紀以後を、次の三つの時期に分けている。
1古期(アルカイック時代) 紀元前9世紀~紀元前5世紀初頭
2古典期(クラシック時代) 紀元前5世紀~紀元前4世紀末
3末期(ヘレニスティック時代) 紀元前3世紀~紀元前1世紀
アテナイ(現在のアテネ)とかスパルタとかいう都市国家群が形成されたのは、大体紀元前7世紀ころである。彫刻にもこの時代から、石材による大型の丸彫やブロンズ像が次第に多くなり、紀元前6世紀に至って、古期彫刻は大きく発展した。前面を向く一定の形式をとり、ほとんど動きの感じられない直立の静止的な姿勢であった。それはエジプト彫刻からの影響が濃厚であったからであるが、人体表現の中に人間の生命感が強調されている点は、ギリシャ的な特質であるとされる。
「テネアのアポロン」(紀元前6世紀中ごろ、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク所蔵)は、古期のスタイルの一つの成熟した姿である。また、パルテノン神殿に奉仕した少女を型どる奉納像(紀元前6世紀中ごろ~紀元前5世紀初頭ごろ、アテネのアクロポリス美術館)も、古期の完成を示す遺品である。
この古期の特徴は、一種の微笑(アルカイック・スマイル)を浮かべている点である。これは単なる微笑をあらわすものではなくて、生命感をあらわしていると見られ、古期彫刻の特色ともいわれている。
この古期の彫刻は地域差があるが、大別すれば、アテナイを中心とするアッティカ派と、オリンピア、デルフィを含むペロポネソス派に分けられる。アッティカ派は、エーゲ海の対岸の小アジア地方に発展した美術(イオニア美術)の影響が強く、より写実的で、優美的である。それに対して、ペロポネソス派は、エジプトの影響が著しく、厳格な構成をもち、壮美的である。後者には裸体の男性像が多く、前者には着衣の女性像が多いのも、こうした性格のあらわれであるとされる。
このような地域差はあるものの、ギリシャ人は現実的、人間的な宗教観をもつ民族であったから、完全なる人間に最高の美の理想を見い出そうとし、調和と均整と合理の世界を追求し、それを芸術、彫刻にも反映させ、人間的生命にあふれる神像などを作り出した。
ギリシャ彫刻は、紀元前5世紀に至って、アッティカ系とペロポネソス系の融合もみられ、一大飛躍をする。
紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて、ペルシャとギリシャがその興亡をかけて戦ったが、紀元前480年ころ、アテナイを盟主とするギリシャ都市群がペルシャに打ち勝つ。
現実の人間をすべての世界観の尺度とするギリシャでは、彫刻もまた生命の表現に強い関心をもち、これまでの直線的な静止形にかわって、身体の動きがあらわれ、曲線の美しさを含んできた。その具体的なあらわれを、大体紀元前480年ころからの作品に見い出すことができる。馬車競争の優勝者を記念して作ったブロンズの「デルフォイの馭者(ぎょしゃ)像」(紀元前478/474年、デルフォイ考古博物館)、「ルドヴィシの玉座」の名で知られる「ヴィーナスの誕生」の浮き彫り(紀元前460年頃、ローマ国立博物館)、オリュンピアのゼウス神殿の破風を飾っていた彫刻群は、紀元前470年代から紀元前450年ころにかけての制作である。これらの作品にみるきびしい表現は厳格様式と呼ばれる特色がある。そして紀元前450年ころからが、ギリシャ彫刻の古典期前期(「崇高な様式の時代」ともいわれる)となり、彫刻史上、もっとも輝かしい成果の時代となる。それは、アテナイが繁栄の頂点に達した時期でもあり、古代ギリシャのシンボルとされるパルテノン神殿が、アテナイのアクロポリスの丘上に建設された時代でもある。
その代表的彫刻家は、ミュロンである。その名高い「円盤投げの青年」(原作紀元前450年頃、ローマンコピー、ローマ国立博物館)によってもわかるように、激しい動きの瞬間をとらえた青年の姿には、生命の脈動が満ちあふれている。
次いで、ギリシャ彫刻の典型を作り上げたのが、フェイディアスとポリュクレイトスである。
ペルシャ戦争に勝利をおさめ、政治家ペリクレスの支配下に繁栄したアテナイは、町の聖域アクロポリスの整備にかかった。その中心は守護神アテナ女神を祭るパルテノン神殿の再建であり、本尊アテナ・パルテノスの制作であった。フェイディアスはペリクレスの命を受けて、このアクロポリス再建事業の総監督となった。
パルテノン神殿の建立(紀元前447~432年)がなされ、フェイディアス自身は本尊の女神アテナを12メートル余の黄金象牙像に作り上げた(今日、全く消滅したが、ローマ時代の小さな模刻がある)。
フェイディアスはギリシャ彫刻の理想的な典型に到達し、その壮重な作風からして、神像作者として最もすぐれていた。それに対して、ポリュクレイトスは人体美の、とくに男性像の完成者である。彼の作品には、力強い健康美と生命感があふれている。彼は人体の理想的な均整を求めて、7頭身(頭部が全身の7分の1)の比率を生み出した。傑作として名高い「槍をかつぐ青年」(原作紀元前440年頃、ローマンコピー、ナポリ国立考古博物館)こそ、この規準のあらわれである。
前述の「円盤投げの青年」も、この「槍をかつぐ青年」も、原作は失われてしまい、ローマ時代の模刻(ローマンコピー)であるが、その模刻によっても、かつての面影を偲ぶことができる。
さて、紀元前4世紀になると、ギリシャ彫刻の古典期後期(「優美な様式の時代」ともいわれる)を迎える。この時期になると、材料として大理石が多く用いられるようになる。あのフェイディアスにみた壮重感、ポリュクレイトスの作に見る整然とした形式感に対して、この時期の彫刻の特質は、優美と一種の叙情美にあるとされる。
いわば精神性の高揚よりも、感覚性が強調された。紀元前5世紀末のペロポネソス戦役(アテナイとスパルタの戦い)を境にして、一般の風潮にあらわれた懐疑的な思想、耽美主義が台頭し、様式変遷の源泉となったといわれる。崇高な神々の姿よりも、むしろ現実の人間感情の盛り上がりを喜んで迎えるようになったようだ。
このような時代風潮の中から、女性の肉体への賛美が生まれてきた。均斉と比例に満ちた女性の肉体こそ、美の極限であり、現実に求めうる完美のあかしであると考えられた。
その最高の発現者が紀元前4世紀第一の彫刻家プラクシテレスである。紀元前5世紀のポリュクレイトスが男性美の理想を表現したとすれば、プラクシテレスは女性美の理想を完成したといえる。
プラクシテレスは多くのアフロディテ(ヴィーナス)像を作っているが、従来のように着衣の姿ではなく、半裸あるいは全裸の女神像である。プラクシテレスによって初めてアフロディテが衣服をぬいだと伝えられた。とくにその傑作として有名だった全裸の「クニドスのヴィーナス」(原作紀元前350~340年頃、ローマンコピー、ヴァティカン美術館)である。この像は、その後のヘレニスティック時代からローマ時代にかけての多くのヴィーナス像の原型となった。だが、プラクシテレスの場合も、原作は今日伝わらず、「クニドスのヴィーナス」「キレネのヴィーナス」をはじめ、模作によって面影を偲ぶにすぎない。
ただ、プラクシテレスの現存する唯一の原作かと思われたものがある。それはオリュンピアのヘラ神殿跡から発見された「ヘルメス像」(原作紀元前4世紀半ば、ヘレニズム時代のコピーともされる、オリュンピア考古博物館)である。身体を幾分、S字型にして(プラクシテレス独特の姿態)、幼児ディオニソスを左手に抱くヘルメス像である。
このプラクシテレスより少し遅れて、彫刻家スコパスが現われる。プラクシテレスが肉体の官能的な美しさに傑出していたのに対し、スコパスは激しい肉体の動きや心の動きの表現にすぐれていた。それは壮重な理想の美を求めた紀元前5世紀の様式とは対照的なものであった。つまり感覚的に微妙な情感をあらわした点において、スコパスもプラクシテレスも、紀元前4世紀の特質を現わしている。紀元前5世紀のフェイディアスやポリュクレイトスが一種の神的な美を完成したとすれば、紀元前4世紀のスコパスとプラクシテレスは人間的な美を充実させたともいえる。
そしてリュシッポスが紀元前4世紀の最後を飾る彫刻家として挙げられる。ただ、彼の活躍した時代は、ギリシャ社会が変貌し、民族意識を失ってゆく兆しの現れた時代でもあった。それは、マケドニアのアレクサンドロス大王の活動した時代であった。
リュシッポスの彫刻は、優美と激情という古典期後半の特徴を一つに融合させ、ポリュクレイトスの7頭身を8頭身に改め、「完成された彫刻美」を追求したが、同時にやや肉体の誇張もみられ、感情のかげりの表現もあらわれる。彼は競技者像の作家として盛名をはせたが、中でも傑作とされるのは、「泥を掻き落とす青年」(アポクシュオメノス、原作紀元前330年頃、原作は失われている、ローマンコピー、ヴァティカン美術館)である。ただ、この作品には、時代を反映して、心理的な不安定なものが感じられる。彼はまた肖像彫刻家としてもすぐれており、とくにアレクサンドロスの像を数多く制作したといわれている(ただし、理想美と典型を求めた紀元前5世紀や紀元前4世紀前半では、このような特定の人物の肖像彫刻はほとんど作られなかった)。
アレクサンドロス大王以後のギリシャは、古典期のような理想主義的なギリシャではなかった。整然として秩序づけられたものが崩れ、思想的にも、懐疑主義、快楽主義が広まっていった。しかし同時に、ギリシャ文化がギリシャの国土の外へと伝播、拡大してゆく時代でもあった。
紀元前3世紀以後となると、裸体のヴィーナス像が多く目立ってくるのも、官能の喜びを愉しむ風潮によるものといわれている。女体の羞恥が強調され、姿態・ポーズの複雑な変化があらわれてきた。彫刻の技能も拡大し、写実味が強まった。より日常的なものへの観察が深まり、従来彫刻の題材になかった日常生活の中の老婆や子供をも登場させることになる。
また、人間の表情には喜怒哀楽の感情が強まり、肉体の量感や動きも、極端な誇張がなされた。いわゆるバロック的な情熱を見せてくる。
紀元前1世紀の彫刻として早くから有名な「ラオコーン群像」(1506年ローマのティトゥス帝浴場跡で発見、ヴァティカン美術館蔵)を見てもわかるように、表情や上体の筋肉の動き、大きな身ぶりは誇張に過ぎている(一種の空虚感さえ感じる人もいる)。
しかし、こうした現象だけを取り上げて、この時代(ヘレニスティック時代)の彫刻を軽視することはできない。彫刻家たちは幅広い活動をし、すぐれた名品を生み出している。中でもルーヴル美術館の至宝の一つに数えられる「ミロのヴィーナス」などは、その最も見事な実りである。
1964年の図録では、次のようにこの作品を賛美している。
「この作品の中にこもる官能と典雅の快よい結びつき、肉付けや姿態の線にあふれる生のいぶきの流麗なリズム、ここには、磨き上げられ発展してきた古典期のギリシャ的美の品位と、その後に展開するさまざまの様相が含まれている」と。
(朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』朝日新聞社、1964年、109頁)
つまり、官能性と典雅さが融合し、生のいぶきの流麗なリズムが感じられ、古典期のギリシャ的美の品位と、その後の美術的様相を併せ持つという(「ミロのヴィーナス」は、クラシック様式とヘレニズム様式の折衷様式であると中村るいは明言している)。
その他、ルーヴルの「サモトラケのニケ」や、ローマ時代の模刻「シラクサのヴィーナス」も、ギリシャの栄光を十分に誇りうる名品である。
ギリシャの末期、ヘレニスティック時代はどこで終わるかについては諸説ある。ギリシャの国は紀元前146年、ローマによって滅ぼされるが、ギリシャの美術は滅びず、ローマ民族の手本となって生きた。だから大体紀元前50年くらいまでをヘレニスティック的と、1964年の図録では想定している(一般的には、ヘレニズム時代(Hellenistic period)は、アレクサンドロスの死亡[紀元前323年]からプトレマイオス朝エジプトの滅亡[紀元前30年]するまでの約300年間を指す)。
そしてこのヘレニスティック時代の美術は、そのままローマ美術の中へ直流してゆく(朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』朝日新聞社、1964年、99頁~110頁。
中村、2017年[2018年版]、200頁~201頁)。
ハヴロックは、ギリシャ美術を、段階的な形態上の発展という観点から、次の四つの区分に分類している。
1 アルカイック期(archaic phase) ―紀元前7世紀後半から6世紀まで
2 古典期(classic phase) ―紀元前5世紀全体
3 後期古典期(late classic phase) ―紀元前4世紀
4 ヘレニズム期(Hellenistic phase)―紀元前300年から紀元前31年まで
この四つの段階は、「近代美術史の父」と呼ばれたヴィンケルマン(1717-68)の分類に基づいている(とりわけ『古代美術史』[1764年])という(ハヴロック、2002年、52頁~53頁)。
中村るいは、ギリシャ美術史の時代区分について、青銅器時代からヘレニズム時代までを扱っている。この時代を次の6つの時代に区分している。
・青銅器時代(前3600~1100年頃)
・いわゆる<暗黒時代>(前1100~900年頃)
・幾何学様式時代(前900~700年頃)
・アルカイック時代(前700~480年)
・クラシック時代(前480年~323年)
・ヘレニズム時代~ローマ時代(前323年~31年)
そして、巻末の「ギリシャ美術史年表」(209頁~216頁)では、クラシック時代をさらに4つの時期に細分している。
・クラシック時代(厳格様式期)(前480年~450年)
・クラシック時代(パルテノン期)(前450年~430年)
・クラシック時代(豊麗様式期)(前430年~400年)
・後期クラシック時代(前4世紀)
(中村、2017年[2018年版]、11頁~12頁、209頁~216頁)
なお、ハヴロックと中村るいの時代区分について、改めて後述したい。
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【ギリシャ彫刻史の時代区分】
高階秀爾、ハヴロック、中村るいの諸氏の著作内容を紹介する前に、古代ギリシャ美術史(とくに彫刻史)の時代区分などについて略述しておきたい。
古代ギリシャ美術史を概説してないと、その全体像を思い浮かべにくい。そこで、1964年の図録である、朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』(朝日新聞社、1964年)をもとに、説明しておきたい。
ハヴロックの専著は古代ギリシャ彫刻史の特定のテーマを取り扱っているので、どうしても補足が必要かと思う。また、中村るいの著作は、古代ギリシャ美術史全体を扱っているので、後に改めて解説にすることにして、ここではその時代区分の枠組みのみを紹介しておく。
【古代ギリシャの彫刻の歴史概観】
古代ギリシャの彫刻の歴史の流れは、紀元前9世紀以後を、次の三つの時期に分けている。
1古期(アルカイック時代) 紀元前9世紀~紀元前5世紀初頭
2古典期(クラシック時代) 紀元前5世紀~紀元前4世紀末
3末期(ヘレニスティック時代) 紀元前3世紀~紀元前1世紀
<古期>
アテナイ(現在のアテネ)とかスパルタとかいう都市国家群が形成されたのは、大体紀元前7世紀ころである。彫刻にもこの時代から、石材による大型の丸彫やブロンズ像が次第に多くなり、紀元前6世紀に至って、古期彫刻は大きく発展した。前面を向く一定の形式をとり、ほとんど動きの感じられない直立の静止的な姿勢であった。それはエジプト彫刻からの影響が濃厚であったからであるが、人体表現の中に人間の生命感が強調されている点は、ギリシャ的な特質であるとされる。
「テネアのアポロン」(紀元前6世紀中ごろ、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク所蔵)は、古期のスタイルの一つの成熟した姿である。また、パルテノン神殿に奉仕した少女を型どる奉納像(紀元前6世紀中ごろ~紀元前5世紀初頭ごろ、アテネのアクロポリス美術館)も、古期の完成を示す遺品である。
この古期の特徴は、一種の微笑(アルカイック・スマイル)を浮かべている点である。これは単なる微笑をあらわすものではなくて、生命感をあらわしていると見られ、古期彫刻の特色ともいわれている。
この古期の彫刻は地域差があるが、大別すれば、アテナイを中心とするアッティカ派と、オリンピア、デルフィを含むペロポネソス派に分けられる。アッティカ派は、エーゲ海の対岸の小アジア地方に発展した美術(イオニア美術)の影響が強く、より写実的で、優美的である。それに対して、ペロポネソス派は、エジプトの影響が著しく、厳格な構成をもち、壮美的である。後者には裸体の男性像が多く、前者には着衣の女性像が多いのも、こうした性格のあらわれであるとされる。
このような地域差はあるものの、ギリシャ人は現実的、人間的な宗教観をもつ民族であったから、完全なる人間に最高の美の理想を見い出そうとし、調和と均整と合理の世界を追求し、それを芸術、彫刻にも反映させ、人間的生命にあふれる神像などを作り出した。
<古典期前期>
ギリシャ彫刻は、紀元前5世紀に至って、アッティカ系とペロポネソス系の融合もみられ、一大飛躍をする。
紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて、ペルシャとギリシャがその興亡をかけて戦ったが、紀元前480年ころ、アテナイを盟主とするギリシャ都市群がペルシャに打ち勝つ。
現実の人間をすべての世界観の尺度とするギリシャでは、彫刻もまた生命の表現に強い関心をもち、これまでの直線的な静止形にかわって、身体の動きがあらわれ、曲線の美しさを含んできた。その具体的なあらわれを、大体紀元前480年ころからの作品に見い出すことができる。馬車競争の優勝者を記念して作ったブロンズの「デルフォイの馭者(ぎょしゃ)像」(紀元前478/474年、デルフォイ考古博物館)、「ルドヴィシの玉座」の名で知られる「ヴィーナスの誕生」の浮き彫り(紀元前460年頃、ローマ国立博物館)、オリュンピアのゼウス神殿の破風を飾っていた彫刻群は、紀元前470年代から紀元前450年ころにかけての制作である。これらの作品にみるきびしい表現は厳格様式と呼ばれる特色がある。そして紀元前450年ころからが、ギリシャ彫刻の古典期前期(「崇高な様式の時代」ともいわれる)となり、彫刻史上、もっとも輝かしい成果の時代となる。それは、アテナイが繁栄の頂点に達した時期でもあり、古代ギリシャのシンボルとされるパルテノン神殿が、アテナイのアクロポリスの丘上に建設された時代でもある。
その代表的彫刻家は、ミュロンである。その名高い「円盤投げの青年」(原作紀元前450年頃、ローマンコピー、ローマ国立博物館)によってもわかるように、激しい動きの瞬間をとらえた青年の姿には、生命の脈動が満ちあふれている。
次いで、ギリシャ彫刻の典型を作り上げたのが、フェイディアスとポリュクレイトスである。
ペルシャ戦争に勝利をおさめ、政治家ペリクレスの支配下に繁栄したアテナイは、町の聖域アクロポリスの整備にかかった。その中心は守護神アテナ女神を祭るパルテノン神殿の再建であり、本尊アテナ・パルテノスの制作であった。フェイディアスはペリクレスの命を受けて、このアクロポリス再建事業の総監督となった。
パルテノン神殿の建立(紀元前447~432年)がなされ、フェイディアス自身は本尊の女神アテナを12メートル余の黄金象牙像に作り上げた(今日、全く消滅したが、ローマ時代の小さな模刻がある)。
フェイディアスはギリシャ彫刻の理想的な典型に到達し、その壮重な作風からして、神像作者として最もすぐれていた。それに対して、ポリュクレイトスは人体美の、とくに男性像の完成者である。彼の作品には、力強い健康美と生命感があふれている。彼は人体の理想的な均整を求めて、7頭身(頭部が全身の7分の1)の比率を生み出した。傑作として名高い「槍をかつぐ青年」(原作紀元前440年頃、ローマンコピー、ナポリ国立考古博物館)こそ、この規準のあらわれである。
前述の「円盤投げの青年」も、この「槍をかつぐ青年」も、原作は失われてしまい、ローマ時代の模刻(ローマンコピー)であるが、その模刻によっても、かつての面影を偲ぶことができる。
<古典期後期>
さて、紀元前4世紀になると、ギリシャ彫刻の古典期後期(「優美な様式の時代」ともいわれる)を迎える。この時期になると、材料として大理石が多く用いられるようになる。あのフェイディアスにみた壮重感、ポリュクレイトスの作に見る整然とした形式感に対して、この時期の彫刻の特質は、優美と一種の叙情美にあるとされる。
いわば精神性の高揚よりも、感覚性が強調された。紀元前5世紀末のペロポネソス戦役(アテナイとスパルタの戦い)を境にして、一般の風潮にあらわれた懐疑的な思想、耽美主義が台頭し、様式変遷の源泉となったといわれる。崇高な神々の姿よりも、むしろ現実の人間感情の盛り上がりを喜んで迎えるようになったようだ。
このような時代風潮の中から、女性の肉体への賛美が生まれてきた。均斉と比例に満ちた女性の肉体こそ、美の極限であり、現実に求めうる完美のあかしであると考えられた。
その最高の発現者が紀元前4世紀第一の彫刻家プラクシテレスである。紀元前5世紀のポリュクレイトスが男性美の理想を表現したとすれば、プラクシテレスは女性美の理想を完成したといえる。
プラクシテレスは多くのアフロディテ(ヴィーナス)像を作っているが、従来のように着衣の姿ではなく、半裸あるいは全裸の女神像である。プラクシテレスによって初めてアフロディテが衣服をぬいだと伝えられた。とくにその傑作として有名だった全裸の「クニドスのヴィーナス」(原作紀元前350~340年頃、ローマンコピー、ヴァティカン美術館)である。この像は、その後のヘレニスティック時代からローマ時代にかけての多くのヴィーナス像の原型となった。だが、プラクシテレスの場合も、原作は今日伝わらず、「クニドスのヴィーナス」「キレネのヴィーナス」をはじめ、模作によって面影を偲ぶにすぎない。
ただ、プラクシテレスの現存する唯一の原作かと思われたものがある。それはオリュンピアのヘラ神殿跡から発見された「ヘルメス像」(原作紀元前4世紀半ば、ヘレニズム時代のコピーともされる、オリュンピア考古博物館)である。身体を幾分、S字型にして(プラクシテレス独特の姿態)、幼児ディオニソスを左手に抱くヘルメス像である。
このプラクシテレスより少し遅れて、彫刻家スコパスが現われる。プラクシテレスが肉体の官能的な美しさに傑出していたのに対し、スコパスは激しい肉体の動きや心の動きの表現にすぐれていた。それは壮重な理想の美を求めた紀元前5世紀の様式とは対照的なものであった。つまり感覚的に微妙な情感をあらわした点において、スコパスもプラクシテレスも、紀元前4世紀の特質を現わしている。紀元前5世紀のフェイディアスやポリュクレイトスが一種の神的な美を完成したとすれば、紀元前4世紀のスコパスとプラクシテレスは人間的な美を充実させたともいえる。
そしてリュシッポスが紀元前4世紀の最後を飾る彫刻家として挙げられる。ただ、彼の活躍した時代は、ギリシャ社会が変貌し、民族意識を失ってゆく兆しの現れた時代でもあった。それは、マケドニアのアレクサンドロス大王の活動した時代であった。
リュシッポスの彫刻は、優美と激情という古典期後半の特徴を一つに融合させ、ポリュクレイトスの7頭身を8頭身に改め、「完成された彫刻美」を追求したが、同時にやや肉体の誇張もみられ、感情のかげりの表現もあらわれる。彼は競技者像の作家として盛名をはせたが、中でも傑作とされるのは、「泥を掻き落とす青年」(アポクシュオメノス、原作紀元前330年頃、原作は失われている、ローマンコピー、ヴァティカン美術館)である。ただ、この作品には、時代を反映して、心理的な不安定なものが感じられる。彼はまた肖像彫刻家としてもすぐれており、とくにアレクサンドロスの像を数多く制作したといわれている(ただし、理想美と典型を求めた紀元前5世紀や紀元前4世紀前半では、このような特定の人物の肖像彫刻はほとんど作られなかった)。
<末期>
アレクサンドロス大王以後のギリシャは、古典期のような理想主義的なギリシャではなかった。整然として秩序づけられたものが崩れ、思想的にも、懐疑主義、快楽主義が広まっていった。しかし同時に、ギリシャ文化がギリシャの国土の外へと伝播、拡大してゆく時代でもあった。
紀元前3世紀以後となると、裸体のヴィーナス像が多く目立ってくるのも、官能の喜びを愉しむ風潮によるものといわれている。女体の羞恥が強調され、姿態・ポーズの複雑な変化があらわれてきた。彫刻の技能も拡大し、写実味が強まった。より日常的なものへの観察が深まり、従来彫刻の題材になかった日常生活の中の老婆や子供をも登場させることになる。
また、人間の表情には喜怒哀楽の感情が強まり、肉体の量感や動きも、極端な誇張がなされた。いわゆるバロック的な情熱を見せてくる。
紀元前1世紀の彫刻として早くから有名な「ラオコーン群像」(1506年ローマのティトゥス帝浴場跡で発見、ヴァティカン美術館蔵)を見てもわかるように、表情や上体の筋肉の動き、大きな身ぶりは誇張に過ぎている(一種の空虚感さえ感じる人もいる)。
しかし、こうした現象だけを取り上げて、この時代(ヘレニスティック時代)の彫刻を軽視することはできない。彫刻家たちは幅広い活動をし、すぐれた名品を生み出している。中でもルーヴル美術館の至宝の一つに数えられる「ミロのヴィーナス」などは、その最も見事な実りである。
1964年の図録では、次のようにこの作品を賛美している。
「この作品の中にこもる官能と典雅の快よい結びつき、肉付けや姿態の線にあふれる生のいぶきの流麗なリズム、ここには、磨き上げられ発展してきた古典期のギリシャ的美の品位と、その後に展開するさまざまの様相が含まれている」と。
(朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』朝日新聞社、1964年、109頁)
つまり、官能性と典雅さが融合し、生のいぶきの流麗なリズムが感じられ、古典期のギリシャ的美の品位と、その後の美術的様相を併せ持つという(「ミロのヴィーナス」は、クラシック様式とヘレニズム様式の折衷様式であると中村るいは明言している)。
その他、ルーヴルの「サモトラケのニケ」や、ローマ時代の模刻「シラクサのヴィーナス」も、ギリシャの栄光を十分に誇りうる名品である。
ギリシャの末期、ヘレニスティック時代はどこで終わるかについては諸説ある。ギリシャの国は紀元前146年、ローマによって滅ぼされるが、ギリシャの美術は滅びず、ローマ民族の手本となって生きた。だから大体紀元前50年くらいまでをヘレニスティック的と、1964年の図録では想定している(一般的には、ヘレニズム時代(Hellenistic period)は、アレクサンドロスの死亡[紀元前323年]からプトレマイオス朝エジプトの滅亡[紀元前30年]するまでの約300年間を指す)。
そしてこのヘレニスティック時代の美術は、そのままローマ美術の中へ直流してゆく(朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』朝日新聞社、1964年、99頁~110頁。
中村、2017年[2018年版]、200頁~201頁)。
<ギリシャ彫刻史のハヴロックの時代区分>
ハヴロックは、ギリシャ美術を、段階的な形態上の発展という観点から、次の四つの区分に分類している。
1 アルカイック期(archaic phase) ―紀元前7世紀後半から6世紀まで
2 古典期(classic phase) ―紀元前5世紀全体
3 後期古典期(late classic phase) ―紀元前4世紀
4 ヘレニズム期(Hellenistic phase)―紀元前300年から紀元前31年まで
この四つの段階は、「近代美術史の父」と呼ばれたヴィンケルマン(1717-68)の分類に基づいている(とりわけ『古代美術史』[1764年])という(ハヴロック、2002年、52頁~53頁)。
<ギリシャ美術史の中村るいの時代区分>
中村るいは、ギリシャ美術史の時代区分について、青銅器時代からヘレニズム時代までを扱っている。この時代を次の6つの時代に区分している。
・青銅器時代(前3600~1100年頃)
・いわゆる<暗黒時代>(前1100~900年頃)
・幾何学様式時代(前900~700年頃)
・アルカイック時代(前700~480年)
・クラシック時代(前480年~323年)
・ヘレニズム時代~ローマ時代(前323年~31年)
そして、巻末の「ギリシャ美術史年表」(209頁~216頁)では、クラシック時代をさらに4つの時期に細分している。
・クラシック時代(厳格様式期)(前480年~450年)
・クラシック時代(パルテノン期)(前450年~430年)
・クラシック時代(豊麗様式期)(前430年~400年)
・後期クラシック時代(前4世紀)
(中村、2017年[2018年版]、11頁~12頁、209頁~216頁)
なお、ハヴロックと中村るいの時代区分について、改めて後述したい。
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