
親は破産、本人は小学校中退、結核持ちの病弱、当然貧乏人で、人脈もなかった、恵まれなかった松下幸之助青年です。
しかし大阪の船場という商業の中心地で9歳から丁稚奉公したり働いて淡々と自分を鍛えていました。
そして自分が働いて貯めた僅かな資本金で23歳に松下電気(現代のパナソニック)を起業して、事業がうまくいくことは当人しか信じていなかった状況から、一歩一歩と成長し続けた彼らしい言葉だと思います。
「人から評価してもらうことはうれしい。だが一日の仕事を終えて、きょうは自分ながらよくやった、と自分で自分の仕事をたたえられることができる人、それを持続することができる人こそが、世の中の成功者といえるのではないか。」