★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇バルトーク四重奏団のバルトーク:弦楽四重奏曲第1番/第2番

2021-04-12 09:40:24 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

 

バルトーク:弦楽四重奏曲第1番/第2番

弦楽四重奏:バルトーク四重奏団

発売:1975年

LP:RVC(ΣRATO) ERA‐2050(STU‐70396)

 これは、バルトーク四重奏団によるバルトーク:弦楽四重奏曲全集(3枚組)の中から、第1集目のLPレコードである。弦楽四重奏曲第1番は、1907年―08年に作曲され、3つの楽章が切れ目なく続けて演奏される。バルトークが教職にあったブダペスト音楽アカデミーで女学生マルタ・ツィーグラーと出会い、結婚した頃の作品。バルトークの作品においては、「オーケストラのための二つの肖像」「ピアノのためのバガテル」「二つのルーマニア舞曲」などと、「四つの悲歌」の間に当たる作品で、歌劇「青ひげ公の城」に3年先んじている。曲全体は、ドイツ・ロマン派の影響を強く受けていた時代の作品であり、美しい旋律が印象的で、バルトークの弦楽四重奏曲の中では、とっつきやすい作品に仕上がっている。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番作品131との類似性を指摘されることもある。ドイツ・ロマン派的な土台に立って、さらに一部分マジャールやルーマニアの民族音楽的要素も導入されており、バルトークとしては、過渡期的な曲と位置づけられている。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、美しさが際立つ名演を聴かせる。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を思わせるような濃密さを込めた演奏内容だ。一方、弦楽四重奏曲第2番は、1915年から17年の間に作曲された。この頃になるとバルトークは、民族音楽をさらに広範囲に追い求め、スロヴァキア、ルーマニア、ウクライナ、アラブにまで及び始めたいたが、第2楽章にはアラブ的な要素が取り入れられていると指摘されている。曲は、モデラート、アレグロ・モルト・カプリッチョーソ、レントの3つの楽章からなっている。このような構成をバルトーク自身は「第1楽章は、通常のソナタ形式であり、第2楽章は、中心部に綿密に構成された部分がある一種のロンド形式である。最終楽章は、一番定義しにくいが、要するに拡張化されたA-B-A形式とも言うべきものだ」と語っている。3つの楽章の構成は、中庸-急-緩となっており、伝統的な構成とは逆になっている。緊張が次第に高まり、悲痛な暗い性格を持ったレントで終わる。つまり、最初は上昇し、次いで下降する曲線を描く。一方の岸から別の岸へと導くようだ。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、精緻を極め、この曲以降に出てくるバルトークらしいデリケートで、ぐいぐいと食い込むような内向的な傾向を、巧みに表現することに成功している。これらの表現は、優れた録音技術が大いに貢献しているようだ。(LPC)。

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシューマン:交響曲第4番/ハイドン:交響曲第88番

2021-04-08 09:43:00 | 交響曲

 

シューマン:交響曲第4番
ハイドン:交響曲第88番

指揮:ウイルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:日本グラモフォン LGM‐1012

 シューマン:交響曲第4番は、第1交響曲「春」の完成後直ぐに着手された作品で、本来なら第2交響曲となるはずであった。そして、その初演時には「交響的幻想曲」と記されていたという。しかし、初演で、第1交響曲ほどの反響が得られなかったため、出版するのを控え、2つの交響曲を書いた後の1851年に、主として金管の部分を改作して出版された。このため第4交響曲となってしまったという経緯がある。そして、1853年には、改作の初演が、作曲者自身の指揮で行われた。初演時に「交響的幻想曲」と書かれていたことで分かるように、この交響曲は、あたかもシューベルトの「さすらい人幻想曲」を思い起こさせるような独特な構成をしている。4つの楽章からなってはいるが、それらは途切れることなく演奏され、曲全体が、動機や主題が一つの楽章から、次の楽章に変形して引き継がれるような、循環形式となっているのである。つまり、シューマンはここで古典的交響曲からの範疇を大きく踏み出し、独創的で革新的な交響曲を創造したということができよう。シューマンの持つロマンの雰囲気はベースとしては持っているが、ベートーヴェン的な力強さ、さらにシューベルトの曲のような自由な発想の世界を、一つの交響曲の中に閉じ込めたのである。この意味では、交響曲史上画期的な作品と言っても過言でなかろう。しばしば「シューマンの交響曲は構成力が弱い」といった批判がされるが、新しい交響曲の創造という観点に立てば、この曲は、より近代的に脱皮を遂げた交響曲といった位置づけがされよう。このLPレコードで演奏しているのは、ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルである。このLPレコードでのフルトヴェングラーの指揮ぶりは、シューマンの幻想的でロマン溢れる美しさの表出に加え、ベートーヴェンの交響曲を思い浮かべるような力強さに溢れた名演を聴かせる。各楽章の情感の変化を巧みに操りながら、地底から絞り出すような低音の響きを、ベルリン・フィルの弦から見事に引き出している。何か、ものに取りつかれたような凄味が漂う演奏だ。この演奏を一度でも聴いたら「シューマンの交響曲は構成力が弱い」などという言葉はニ度と発せられなくなるであろう。この録音は、現在シューマン:交響曲第4番の録音の中で最高峰に位置づけられる演奏内容と言える。ハイドン:交響曲第88番の演奏内容は、手堅く、がっちりとした構えのこの曲を、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルは、細部にも目を充分に行き届かせ、重厚さの中にも、軽快に演奏を進める。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ウィーン・アルバンベルク弦楽四重奏団のアルバン・ベルク:弦楽四重奏曲op.3/弦楽のための抒情組曲

2021-04-05 09:39:33 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

アルバン・ベルク:弦楽四重奏曲 op.3
         弦楽のための抒情組曲

弦楽四重奏:ウィーン・アルバンベルク弦楽四重奏団
          
           ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
           クラウス・メッツル(第2ヴァイオリン)
           ハット・バイエルレ(ヴィオラ)
           ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

発売:1977年

LP:キングレコード SLA 6301

 シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの3人は、新ウィーン楽派と呼ばれる。これは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの古典ウィーン楽派に倣って名付けられたもの。古典ウィーン楽派が、調性音楽の土台を築いたとするなら、新ウィーン楽派は、20世紀の初めに生まれた新しい音楽技法として一世を風靡した、12音技法に基づいた12音音楽をその土台とした。このLPレコードは、12音音楽華やかなりし1977年に発売となった盤で、新ウィーン楽派の一人、ベルクの弦楽四重奏曲を2曲を収録してある。アルバン・ベルク(1885年ー1935年)は、当初、公務員となるが2年で辞職し、ウィーン国立音楽院で正規の音楽教育を受けることになる。1907年、本格的に作曲家としてのデビューを飾る。そして、1925年に完成した歌劇「ヴォツェック」によって、ベルクの作曲家としての名声は揺るがぬものとなって行く。しかし、1933年にナチス・ドイツ政権が発足すると、師シェーンベルクと共にベルクの音楽は、“退廃音楽”のレッテルが貼られてしまう。今でもしばしば演奏されるヴァイオリン協奏曲を完成させた後、歌劇「ルル」を未完のままに、ベルクはこの世を去ってしまう。弦楽四重奏曲op.3は、高度な対位法と、無調性が自在に駆使された作品で、2つの楽章から成っている。一方、弦楽のための抒情組曲は、1925年から1926年にかけて作曲された弦楽四重奏曲で、ベルクが12音技法を用いて作曲した最初の大曲。全体は6つの楽章からなっており、12音音楽と無調音楽が1楽章ごとに交互に現れる構成となっている。このLPレコードで演奏しているアルバン・ベルク弦楽四重奏団は、1970年、ウィーン国立音楽大学教授でありウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたギュンター・ピヒラーが同僚ともに結成したもので、名称については、アルバン・ベルク未亡人ヘレネから許諾を得て付けたという。現代音楽に積極的に取り組み、1980年代には世界を代表するカルテットと評されたが、残念ながら2008年に解散してしまった。このLPレコードに収められたベルクの2曲の弦楽四重奏曲の演奏において、アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、完璧なまでに精緻な演奏内容に徹しており、ベルクの不安げな気分が横溢する曲想を巧みに表現し切っている。そこには現代音楽にありがちなとげとげしさは少しもなく、ベルクの音楽そのものに対する深い共感が強く滲み出ている。これは、ベルクの音楽を論ずるときには欠かせない録音であることは間違いあるまい。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団のシベリウス:交響詩「ルオンノタール」/「伝説」/「夜の騎行と日の出」/「波の娘」

2021-04-01 09:36:27 | 管弦楽曲

シベリウス:交響詩「ルオンノタール」(ソプラノと管弦楽のための/フィンランド語)
      交響詩「伝説」
      交響詩「夜の騎行と日の出」
      交響詩「波の娘」

指揮:アンタール・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

ソプラノ:ギネス・ジョーンズ

LP:東芝EMI EAC‐30353

 これは、アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏で、シベリウスの交響詩4曲を1枚に収めたLPレコードである。シベリウスの交響詩というと、すぐに「フィンランディア」を思い出すが、1892年の「伝説」から1925年の「タピオラ」まで、約30年にわたって12曲ほどの交響詩を作っており、シベリウスと交響詩との相性がいかにいいかを窺わせる。これらの多くは、フィンランドの叙事詩文学である「カレワラ」に基づいていることでも知られている。第1曲目の交響詩「ルオンノタール」は、独唱パートが付いた交響詩ということが特徴の曲だ。第4交響曲の完成直前の1910年ごろに作曲された。ソプラノの歌のテキストは「カレワラ」からとられている。「カレワラ」は、フィンランドの庶民によって口伝によって語り伝えられてきた大韻律詩による英雄物語。第2曲目の交響詩「伝説」は、シベリウスの初期の傑作としてコンサートでもしばしば取り上げられている曲。シベリウスは、1892年に作曲した「クレルヴォ交響曲」で大成功を収め、楽壇にデビューを果たが、当時の大指揮者のカヤヌスは、シベリウスにアンコールピースの作曲を依頼して、完成したのがこの交響詩「伝説」。第3曲目の交響詩「夜の騎行と日の出」は、1907年に完成した作品で、あまり有名な曲ではないが、初めて聴くとその内容の充実さに驚かされる。第4曲目の交響詩「波の娘」は、シベリウスとしては珍しく、フィンランドの伝承文化には基づいてはおらず、ホメロスの神話から取られている。このLPレコードの第1曲目の交響詩「ルオンノタール」で歌っているギネス・ジョーンズ(1936年生まれ)は、イギリスのソプラノ歌手。指揮者のアンタール・ドラティ(1906年―1988年)は、ハンガリー出身。1947年にアメリカ合衆国に帰化。ミネソタ管弦楽団首席指揮者、デトロイト交響楽団音楽監督・首席指揮者などを歴任した。「ルオンノタール」でのギネス・ジョーンズの歌唱は、シベリウス特有な精緻な世界を、その歌唱力で巧みに表現して、聴き応え十分。次の「伝説」でのドラティの指揮は、明快で同時に力強く、リスナーの耳によく馴染む快演。一方、「夜の騎行と日の出」では、その精緻な指揮ぶりが一際光輝き、この名曲の全容をリスナーに余すところなく伝えてくれる名演となっている。最後の「波の娘」では、シベリウス特有の透明であると同時に静寂感に包まれた感覚が前面に打ち出され、当時のドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏の質の高さに脱帽させられる。(LPC)

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