ベートーヴェン:荘厳ミサ曲(歌詞:ラテン語)
キリエ
グローリア
クレド
サンクトゥス(ベネディクトス)
アニュス・デイ
指揮:オットー・クレンペラー
管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
独唱:エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(アルト)
ワルデマール・クメント(テノール)
マルッティ・タルヴェラ(バス)
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
合唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団
LP:東芝EMI EAC-77255~6
ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、宗教音楽の範疇から飛び出し、普遍的な精神世界における祈りであり、人類全体に向け心の連帯感を訴える、声楽つきの讃歌とも言える作品である。ベートーヴェンの曲の中では、荘厳ミサ曲に並び立つ、同系列の曲というと第九交響曲しか挙げることができない。このよう背景を持つ荘厳ミサ曲だけに、これまで幾多の名指揮者が録音を残しているが、その最右翼に挙げられるのが今回のLPレコードのクレンペラー盤である。クレンペラーは、全宇宙的なスケールの大きさで、この曲を最後まで雄大に描き切る。底知れぬ深みのある表現が際立っており、聴くもの全ての心の奥底まで感動を呼び覚まさせずにはおかない。表面的に美しさに甘んじることなく、もっと奥深いところでの人類同士の共感を目覚めさせられるような演奏内容である。今、地球上の多くの場所で人類同士の戦いが絶えないが、ベートーヴェンは、このことをあたかも予知していたかのようだ。ベートーヴェンは、荘厳ミサ曲において平和の大切さを訴え続けている。そして、クレンペラーの指揮は、このベートーヴェンの思いを全ての人々に届けるかのように、生きとし生ける者の連帯を訴え、人類讃歌としての理念を高らかに響かせる。そして、聴くものすべてが、その圧倒的に壮大な演奏内容に感動させられるのである。オットー・クレンペラー(1885年―1973年)は、ドイツのブレスラウ(現ポーランドのヴロツラフ)に生まれた指揮者。1907年プラハのドイツ劇場で指揮者としての活動を開始。1921年ベルリン・フィルにデビュー。しかし、クレンペラーはユダヤ系ドイツ人であったため、ナチス・ドイツ政権樹立に伴い、米国へと亡命する。亡命後、ロサンジェルス・フィルの指揮者となり、同楽団の水準を大きく向上させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、後遺症のため指揮者活動は不可能となり、米国を去ることを余儀なくされる。これで、誰もがクレンペラーは終わったと考えたが、クレンペラーは強靭な意志力で復活を果たす。再び米国へ戻り、1954年からは、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者としてレコーディングを開始し、EMIから数多くのレコードをリリースする。このベートーヴェンの荘厳ミサ曲もその中の1枚なのだ。到底不可能な状況を克服して指揮者にカンバックしたということは、一時は精神的にも極限状態に置かれ、その逆境を克服したものでしか理解しえない心境が、この録音を通してひしひしと伝わってくる。この録音では、クレンペラーの指揮に加え、独唱と合唱の充実さも特筆できよう。(LPC)