世間では三連休ですね。秋の夜長は感傷的な気分になったりします。
わたしは昨日の夜、そんな気分に陥ったので久しぶりにバーソロミューの本を読みました。
ミカエルがオススメしてくれた通り、わたしにとってはとても相性が良いようで読む度に気づきをもらっています。
わたしの中で、自己愛、自己肯定感に関することが現在のテーマにあるので、そういうことに触れられている「自分を愛する」という項目を読み返してみました。
その中で、自分のなかにイヤな感情を感じた瞬間、自分に言ってみよう的な言葉あって。
(たとえば「おまえはいやなやつだ」と人から言われたりしたなどでカタい感情がやってきた場合など)
以下抜粋。太字のところも原文そのまま。
私はこの感情を愛します。それを歓迎します。この感情は去る必要もなければ、変わる必要もありません。私の一部なのですから。私はこの感情を受け入れます。
そうすると、心の中にいつもある温かさが、この「岩」の方に動いていきます。そして、ゴツゴツとした岩をなめらかにし、それを囲み、ボロボロにし始めます。この「岩」に対するあなたの愛の力を通して、「岩」はその愛を自分の身につけます。それはあなたの愛で満たされます。愛がこの「醜い」感情の塊に注ぎこんで、それを囲み、高揚させます。そしてこの感情は「愛にあふれた」感情に変わるのです。
そこで人は、自分の持つ愛とそこにある苦しみという二つのものを、同時に感じることができることに気づきます。
その部分を読んだと時、ぱっと「これだ!」と思って、認めるのが辛いと感じることなどのいろんな感情をメモして、その感情を思い浮かべながら上の言葉を言ってみることにしました。
すると、自分の中でけっこう辛いなぁ~と自覚して思っていることは割とすんなり言えるのですが、一つだけ心に引っかかりがあって言えない言葉があったのでした。
それが今、一番認めたくないと感じている気持ちらしい。
その感情は「寂しい」というものでした。
他の言葉は大丈夫だったのに、「寂しさ」を思い浮かべると言葉に詰まってしまいました。
言うのが辛い、意識したくない、認めるのが怖くてたったその短い言葉でそれを愛し、受け入れる、というのがなかなか言えない。
涙を流しながら「寂しい」と言い切ると、自分はそれを受け入れられるんだ、という静かななにかが動きました。
そう思っても自分がおかしくなってしまうわけでもなく、大丈夫なんだな、と気がつきました。
その時、「自分のもつ愛とそこにある苦しみという二つのものを同時に感じる」と本に書かれていた部分が本当にストンと腑に落ちて来ました。
たしかに一緒にある。ふたつ同時にある。
言った瞬間感情が涙と一緒に解放されて、しかも受け入れるといったことで包まれる感じがしました。
二つのものを同時に感じる…。
そのとき、また太極図が浮かんできました。
光と闇。陰と陽。最近、本当にこの光と闇の流れが自分の中できています。
でもこの流れのおかげで、自分のもつ愛とそこにある苦しみという二つのものを同時に感じるという言葉の意味が深いところでわかった気がします。
昨日メディスンカードをひいているのですが、出たディアのカードも似たようなことを言っていました。
「光と闇を両方愛そう」
「どんな傷でも癒す優しい心を持ちなさい」
「誰かを無理矢理に変えようとするのはやめて、その人のあるがままを愛そう」
「誰かを無理矢理~」の言葉はそっくり「自分を無理矢理変えようとするのはやめて、自分のあるがままを愛そう」という言葉に置き換えられます。
その感情を無理矢理かえるのではなく、「寂しい」と感じる自分のあるがままの感情を愛する、受け入れる。
涙とともに宣言しながら少しスッキリしたところで、その寂しさがどこからきて、いつ頃できたのかを次に探っていきました。
探っていくと、その寂しさ・孤独感は一つの過去生に遡っていきました。
その過去生で、孤独感を長い年月感じた時期があってそのときのものでした。
そこに辿り着くと、今生のわたしが小さい頃から意味もなく苦手に感じていたものも、その過去生に繋がっていました。
そのときの気持ちが流れて来て「寂しいと感じたらいけない」と言い聞かせ、自分を保っていたことがわかりました。
受け入れ、愛するの言葉を言った時に、「そう思っても自分がおかしくなってしまうわけでもなく、大丈夫なんだな」と心底感じた気持ちは、そこからくるものでもありました。
その後、その思いの解放と癒しとして提案されたのが、一つ似たような経験が入っているお話を見る、でした。
その話に癒されるエッセンスが沢山詰まっているそうで。
前々から好きなお話でしたが、それを見ると意味もなく涙が出てくる理由がようやくわかったのでした。
で、今回も見ながらボロ泣き。
鼻水もとまらないし、ティッシュをもの凄い枚数消費しました…。
そんな感じで、バーソロミューの本に今回も助けられたのでした。
ものすごく時間がかかりましたが、明らかになったこともあったしなんだかんだでよかったです。