Harvest*

日々の中で感じたことや思ったことの記録

ひとの身体

2014-10-18 20:29:46 | 日記

昨日、メイク好きな感覚が戻ってきたと思ったら、今日会った友達に相談されて思いがけず友達にメイクをする機会が訪れたりして。

人の顔にメイクするのも結構楽しい~。

人と自分の違いを一番明確に感じるときって、わたしの場合人に触っている時そう感じることが多く、精神的な部分ではなく肉体を通してそういうことを実感します。

自分とは違う他人の顔や身体。

マッサージをして他人の身体に触れたりするときもそういうことを感じます。

ああ、違う肉体だ~、と。

人と違う肉体なのは当たり前といったらそうなのかもしれませんが、見てそう思うのと違って触ると迫ってくるものがあります。

爪の形も、足や手の形も、肉づきも、骨も、皮膚の弾力も、毛の生え具合とか、みんな自分とは別物だ…と、ついそういうことに心を奪われる。

同じ人間だし、同じ臓器が中に入ってるんだけど、触った感触からしてもうぜんぜん違うんだから人って面白いなぁ…と人に触るとき思ったりします。



今日は柿をたくさんもらえてホクホク。


今日のつれづれ

2014-10-17 22:33:33 | 日記
秋…芸術の秋~。

最近化粧するのが楽しい感覚が少しずつ戻って来ました。

わたしは元々メイクが好きだったのですが、
ここ数年メイクがただの朝の儀式化して楽しさを感じなくなっていました。

顔の造りが薄いのが昔からコンプレックスだったので、
せめて化粧がんばろう、という思いがずっとあって、
あれやこれやと、当時は力を入れていました。

そうこうしているうちに、だんだんメイクが楽しくなってきて、
「自分の顔は自由に描けるカンバスだ!」がモットーになったりして。

それが、ここ数年そういう思いがどこかへ消え失せてしまって
自由に描けるカンバス精神も、どっかへいってしまっていました。

まあ…メイクするかな…というモチベーションの低さで。

数年をかけて、メイク好きな思いがじわじわと薄く死んでいったのですが、
どういうわけか最近になって、メイクの情熱が復活してきました。

水星逆行期間って、なくしたものが戻ってくることがあるってよく見かけるけども、
本当に「なくした感覚」が戻ってきた~。いいこと!

メイクだけではなく、ここ数年失っていた感覚がじわじわと戻って来ている気がします。

いきなり全部ってわけではありませんが、
少しずつそういった当時の感覚を感じたりして、それが最近嬉しい出来事です。


茜色の夕空

2014-10-15 18:29:39 | 自然・花
天気がよかったので今日は夕日もきれいでした。

黄金の夕日に、茜色の空。

柵の手すりの部分に肘をつきながら写真を撮っていたのですが、
撮っていたら、謎の飛行物体の気配!

すばやくてもしかして虫っ?蛾??とドキドキしたら
かわいらしい小鳥~。

肘をついている柵に小鳥がちょこんとやってきました。
20センチもない至近距離でチーチー鳴きながら佇んでいます。
ウグイスとかムシクイとか、そういう感じの小鳥。

目と鼻の先に小鳥が!可愛すぎる…。もふもふしたい。
写真を撮りたかったけれど、カメラ向けて逃げられると悲しいので
カメラは向けずに、しばらく隣にいてもらいました。

動物が隣にただいるだけで、なんでこんなに幸せな気持ちになるんだろう。


今日のつれづれと夕空

2014-10-13 01:17:03 | 日記
相変わらず陰と陽を感じるような現象が、今日もいろいろありました。
記録として記しておきたいけれど、うまく書けないからまあいいか~と。

なんだかおかしげなことが起こるなぁ…と思いつつも、
結果的には、災い転じて福となす、というか…。
どうしてこんなことが起こるんだ~?という不意打ちをくらうのですが、
最終的には上手くまとまって、なんだかスッキリしたりして。
終わりよければすべてよし!

そんな感じで、今日の夕日はとてもきれいでした。



日が完全に沈む前の夕空のグラデーションなんかも結構好きです。
日によって色が違うし。


二つのものを同時に感じる

2014-10-11 12:29:39 | 日記

世間では三連休ですね。秋の夜長は感傷的な気分になったりします。

わたしは昨日の夜、そんな気分に陥ったので久しぶりにバーソロミューの本を読みました。


ミカエルがオススメしてくれた通り、わたしにとってはとても相性が良いようで読む度に気づきをもらっています。

わたしの中で、自己愛、自己肯定感に関することが現在のテーマにあるので、そういうことに触れられている「自分を愛する」という項目を読み返してみました。

その中で、自分のなかにイヤな感情を感じた瞬間、自分に言ってみよう的な言葉あって。
(たとえば「おまえはいやなやつだ」と人から言われたりしたなどでカタい感情がやってきた場合など)

以下抜粋。太字のところも原文そのまま。



私はこの感情を愛します。それを歓迎します。この感情は去る必要もなければ、変わる必要もありません。私の一部なのですから。私はこの感情を受け入れます。

そうすると、心の中にいつもある温かさが、この「岩」の方に動いていきます。そして、ゴツゴツとした岩をなめらかにし、それを囲み、ボロボロにし始めます。この「岩」に対するあなたの愛の力を通して、「岩」はその愛を自分の身につけます。それはあなたの愛で満たされます。愛がこの「醜い」感情の塊に注ぎこんで、それを囲み、高揚させます。そしてこの感情は「愛にあふれた」感情に変わるのです。

そこで人は、自分の持つ愛とそこにある苦しみという二つのものを、同時に感じることができることに気づきます。


その部分を読んだと時、ぱっと「これだ!」と思って、認めるのが辛いと感じることなどのいろんな感情をメモして、その感情を思い浮かべながら上の言葉を言ってみることにしました。

すると、自分の中でけっこう辛いなぁ~と自覚して思っていることは割とすんなり言えるのですが、一つだけ心に引っかかりがあって言えない言葉があったのでした。

それが今、一番認めたくないと感じている気持ちらしい。

その感情は「寂しい」というものでした。

他の言葉は大丈夫だったのに、「寂しさ」を思い浮かべると言葉に詰まってしまいました。

言うのが辛い、意識したくない、認めるのが怖くてたったその短い言葉でそれを愛し、受け入れる、というのがなかなか言えない。

涙を流しながら「寂しい」と言い切ると、自分はそれを受け入れられるんだ、という静かななにかが動きました。

そう思っても自分がおかしくなってしまうわけでもなく、大丈夫なんだな、と気がつきました。

その時、「自分のもつ愛とそこにある苦しみという二つのものを同時に感じる」と本に書かれていた部分が本当にストンと腑に落ちて来ました。

たしかに一緒にある。ふたつ同時にある。

言った瞬間感情が涙と一緒に解放されて、しかも受け入れるといったことで包まれる感じがしました。

二つのものを同時に感じる…。

そのとき、また太極図が浮かんできました。

光と闇。陰と陽。最近、本当にこの光と闇の流れが自分の中できています。

でもこの流れのおかげで、自分のもつ愛とそこにある苦しみという二つのものを同時に感じるという言葉の意味が深いところでわかった気がします。

昨日メディスンカードをひいているのですが、出たディアのカードも似たようなことを言っていました。

「光と闇を両方愛そう」

「どんな傷でも癒す優しい心を持ちなさい」

「誰かを無理矢理に変えようとするのはやめて、その人のあるがままを愛そう」

「誰かを無理矢理~」の言葉はそっくり「自分を無理矢理変えようとするのはやめて、自分のあるがままを愛そう」という言葉に置き換えられます。

その感情を無理矢理かえるのではなく、「寂しい」と感じる自分のあるがままの感情を愛する、受け入れる。

涙とともに宣言しながら少しスッキリしたところで、その寂しさがどこからきて、いつ頃できたのかを次に探っていきました。

探っていくと、その寂しさ・孤独感は一つの過去生に遡っていきました。

その過去生で、孤独感を長い年月感じた時期があってそのときのものでした。

そこに辿り着くと、今生のわたしが小さい頃から意味もなく苦手に感じていたものも、その過去生に繋がっていました。

そのときの気持ちが流れて来て「寂しいと感じたらいけない」と言い聞かせ、自分を保っていたことがわかりました。

受け入れ、愛するの言葉を言った時に、「そう思っても自分がおかしくなってしまうわけでもなく、大丈夫なんだな」と心底感じた気持ちは、そこからくるものでもありました。

その後、その思いの解放と癒しとして提案されたのが、一つ似たような経験が入っているお話を見る、でした。

その話に癒されるエッセンスが沢山詰まっているそうで。

前々から好きなお話でしたが、それを見ると意味もなく涙が出てくる理由がようやくわかったのでした。

で、今回も見ながらボロ泣き。

鼻水もとまらないし、ティッシュをもの凄い枚数消費しました…。

そんな感じで、バーソロミューの本に今回も助けられたのでした。

ものすごく時間がかかりましたが、明らかになったこともあったしなんだかんだでよかったです。