「 昔の家族写真 」
こんな写真が出てきました。私にもこんな時代があったのです。
東京の家のアトリエです。母にだっこが私です。この家族の中で
一番長生きするなんて自分でも思いませんでした。
先日の家の中での転倒騒ぎを契機に、日頃は努めて思うまい考えまい意識はすまいとしている
己の老いとか老化と言う現実が、まるでシャワーの様に私の心に冷たく沁み込んできた。
日頃は努めて明るく振舞い前向きに考えるようにしているつもりなのだが、どうかするとそんな
老いと言う事が心に充満してくるものだ。
思えば……あの長いウエーブの掛かった額にかかる黒髪は何処に行ったのか。
深い二重瞼は、今では泣きはらしたように腫れて目を覆い、頬は垂れ下がりほうれい線は彫刻刀で
削ったかの様に濃くて深い、生えてくる髭はまだらで白く、艶のない皺だらけの老顔を際立たせている。
眼は輝きを失い、どんよりそして白目は充血している。片目は加齢性黄斑変性と言う嫌な病名でもう
慣れてしまったけれども相変わらず見えない。
歯は上側は総入れ歯になって、話が人に伝わりにくいし、自分でも固い物や大きい物そして好物の麺類
が嚙み切れずに甚だ食べ難い。耳は補聴器を使い始めたが都合の悪いことは聞こえない。
何処とはなしに関節やらあちらこちらが痛くなったり、全身が痒くなったりしてかなり辛いものである。
こうした諸現象に老化恐怖症に陥ってはならじと、気を強く持っているつもりだが、時折いささか辛く
悲しくなって来るのが正直なところだ。
年を取れば、例外的な人を除いては皆そんなものだと教えられても何ともはや、やるせない気持ちは
消えないものだ。
年を取っても良いことは電車で席を譲ってもらえることだというのがあるが、電車で出掛けること
なんてないから、そんな恩恵を受けることもない。