まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

1月31日 スッテンコロリンとやってしまった!

2025-01-31 18:18:52 | 日記

     『 庭の千両 』

 

先日、インコのみーちゃんの篭のトレーを掃除してやろうと、手にもって外に出ようとしていたら、

絨毯の縁にスリッパが引っ掛かってかなりの勢いで転倒した。手は空いてないし、とっさに手をつく

ことが出来ずに左の尻から落ちて、次には左肩をしたたかに打った。目から火花だった。

 

その瞬間、ああこれかよく聞く年寄りが家の中で転んで骨折してもう歩けなくなったというのはと

言うことが頭をかすめた。とうとうやってしまったかと目がくらんだ。

しばらく起き上がれなかったが、幸い頭は打たなかった様だと確認した。家人に手を引っ張って貰って

やっと起き上がった。どこかの骨にヒビ位は入ったなと覚悟した。

俺もとうとうやってしまったか、寝た切りになってしまうのかと恐れながら痛みをこらえていた。

 

そのうち医者に行かなくては思いながらも、その日は日曜日、その翌日は祭日で行けなかった。

いつもあんなに医者とは親しんでいるのに、実は病院嫌いで物ぐさでそして検査診察の結果を聞くのが

怖かったのだ。

 

こうして数日様子を見ていたのだが、歩いたり体を動かすと左の尻が痛いし、左肩から胸にかけてに

痛みが走り思わず声が出てしまう程だった。

 

肩か腰の骨にひびがはいったか、あるいは打ち身だけで済んだのか、心配しながら痛みに耐えているうちに、

4日5日と経つと痛みが薄らいで来たのを感じてこれは骨折ではないと確信した。

寝た切りや大ごとにならなくて良かったと心からホッとした。

しかし「我は老いたり」とつくづく思い知らされたものだ。

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1月29日 1月も最後のピンポン!

2025-01-29 17:54:49 | 日記

 

   『 1月のハワイの海 』

    会社時代の友人 山田友之さん 撮影

 

今日は一日中冬晴れだった。昼には富士山こそ雲に隠れていたが、北風に海には波が立って

それがキラキラと輝いていた。

早くも今年の4回目で1月のラストのピンポンだった。

9人だった。さすがに今日は全員ではなかった。会場が取れずで、曜日も時間帯も例外だった

ので、やはり都合が悪い人が多かったようだ。

 

それだけ皆さんが火曜の午前中には何より皆が予定を組んでいるという事なのだろう。

私もそうだ。急な病や体調不良は別にして、病院の通院の予約もプライベートな行事の予定を

入れるのも、この火曜の午前は外しているからだ。

 

私など今ではもう、中学から大学までの同期会やら同窓会も途絶え、今では会社時代の1部門の

OB会が年に一度あるだけとなってしまったから、ほとんど決まった行事は,公でも私でもなく

なったから、このピンポンには参加しやすい状況にある訳だ。

 

今年も楽しみながら、心身のためと思って出席させて貰おう。

今日もちゃんと見えた鳥居さん90才の、参加しよう、体を動かそう、と言う意欲の強さを見習

おうと思った。

 

帰りは夕方でピリッと寒くなっていたが、夕焼がきれいだった。

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1月27日 内視鏡検査を終えて。

2025-01-27 12:33:00 | 日記

 

  「新しい朝が来た!」  河津 米子さん 撮影

 

24日にはあれ程嫌だった検査を受けた。朝8時半から準備が始まった。

6人が窓向きのカウンターの席に座る個室で、まず2Lの水に溶かした下剤をゆっくり飲み始めた。

30分経過ごろからそれぞれが近くに幾つもあるトイレ通いが始まった。

しかし私は一向に催さない。腹のきれいになった人から順に検査室に行ったようでだんだん人が

居なくなった。90才位と80代前半位のおばあさんとの3人だけになってしまった。

年配者ほど腸の働きが弱いのか、薬の効きが悪のか、比較的若い人は早々に部屋から消えたが、

それから我々3人は難行が始まった。2Lは飲み尽くしお代わりが来た。4Lとなるとビールでも

難しいだろうが,この美味しくない水となると大変な3時間だった。

私はトイレの7回目でやっとOKがでたもう準備段階で胃はパンパンで心身共にぐったりしてしまった。

 

さあ、これからが本番であの異物を口と尻から突っ込まれる訳だ。薄暗い検査の部屋は、美人の担当医師も

看護婦さんも鬼のように見えた

ベッドに横たわり口に輪っかをくわえさせられて、もう少し横向きになって下さいと言われた迄は覚えているが

直ぐ分からなくなった。その辺の記憶が無い.

 

何分位が経ったのだろうか空白の時間があってから車いすで別なベッドへ移動。本当にやったのかしらと言う

感じだった.

あの昔の挿入される痛みも不快も苦しみも知らなかった。麻酔薬なんだろうが、

心臓に難ありの私の場合は心配されたがどうやら大丈夫だったようだ。

医学や薬の進歩とは有難いものだ。

 

こうして無事に解放されたが、胃にも腸にも幾つもポリープがあるし、食道が荒れていると言う。

しかし小さいから大丈夫でしょうとのことだったが、切除して生倹へ出すのでその結果待ちと言う

ことになった。来月17日の診察日まで心静かに待つことにしよう。翌日の祝杯も極めて控え目にしておいた。

 

 

 

 

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1月23日 明日は嫌だなぁ!

2025-01-23 14:31:31 | 日記

 

  『 鎌倉 長寿寺 』 須田 孝雄さん 撮影

 

いよいよトランプ政権がスタートした。前任者の決めたことを76通もの大統領令をもって

ことごとくを廃棄した。驚くべき決断でありそのやり様は恐ろしくて無節操で非人間的でも

あり、野蛮な肉食人種の醜い面を早くも露呈した。

 

世界は恐ろしい時代に入ったようだ。

アメリカ依存をしている国への防衛負担金倍増、もし払わなければ守っては遣らない、環境など

関係ない化石はどんどん掘れ、アメリカで生まれた移民の子の米国国籍を認めない、山の名前や

湾の名前をアメリカ式に変更、移民の強制送還等と激しいものだ。

如何にも自由な大国だと思っていた国籍の出生地主義も止めるという。つまりアメリカの得や利に

ならないことは一切やらないという事だ。

米国はもはや普通の閉鎖的で自国優先の小国に成り下がったわけだ。

これから失望、困惑、不満が内外で渦撒き、反発反乱、暴動、革命の危機さえ感じられる。

 

今日あたりイスラエルは折角の停戦期間中というのに、あのネタニヤフと言う頑固で好戦的な大統領は、

またも理由をつけて爆撃をして死者を出した。

この怨嗟の報復合戦には終わりがない。それこそトランプがイスラエルには今日を限りで支持も援助を

しないと喚けば終わるのではなかろうか。

 

ところで、今日の私は実はこんな世界や他国の出来事などは、今日に限ってはどうでもいいと言う心境

なのである。明日は早朝から胃内視鏡と大腸内視鏡検査があるからだ。

「あんなのは知らぬうちに終わってしまうよ」と慰められるが、大分前に遣った時のあの苦しみを思い出

してしまって、今の心持は不安、恐怖、心配で慄いているからだ。

ポリープなどの切除もあるかも、入院もありの覚悟で来てください、と言われている。あの下剤の不快感と

果たして行きの道中や病院で便意を我慢が出来るだろうか、粗相はしないだろうかなどと心配の種は尽きない。

ああ、神様!仏様!と言う気持ちに支配されている暗い一日なのである。

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1月21日 もう今年3回目のピンポンだ!

2025-01-21 18:42:32 | 日記

   『 玄関の花 』

 

ここ数日やけに寒い日が続いていた。北陸や東北のことを思えば、何を贅沢なこと

と言われそうだが、朝の1桁の温度は布団から出るのが結構辛いものだ。

今日もそんな朝だったが13人が集まった。しのぶさんだけが所用でお休みだった。

流行りの風邪などではないようなので良かった。

皆さんはとても元気そうだった。これもピンポンの陰か!

鳥居さんの娘さん奥さんも何時もの様に付き添いで見えて賑やかだった。

 

私は、前回は孫娘カリンの成人の祝いで休んでしまった。

その後、家の中でスリッパが絨毯の縁に引っ掛かって不覚にも激しく転倒!

心配したが幸い大事には至らず、左胸と肩そして左のお尻の打ち身による痛みだけで、

痛くて不自由は1週間かかったが、昨日辺りからやっと痛みも軽くなって座るも歩くも

前の様に出来るようにはなった。思い切って参加した。

 

ラケットを軽く振ったり、ちょっと強くもやってみたがもう大丈夫の様だった。

これからは家の中でも外でも十分気をつけなければと痛感した。

左の尻を無意識に庇ったのか、右の腰が痛くなった。今夜は腰に湿布を貼って寝ることにしよう。

 

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