まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

11月30日 老いの坂道―(余聞)

2023-11-30 10:42:49 | 日記

 

      『 明月院の瞑想の窓 』 

         須田 孝雄さん 撮影

 

老化のことを書くとどうしても愚痴やら嘆き節になってしまう。

現実を冷静に受け止めそして受け入れて、前向きに楽しくそれと共存するのが一番なのだと、

老人心理学でも教えているし、観念的には分かっている。

とかくこうしたことは書くのも読むのも考えるのも面白くはないものだ。

 

先日体の痒さに襲われて薬を塗ろうとして、背中の塗りにくいところなので裸になって三面鏡

の前で珍しくしげしげと日光の元で我が体を見た。

かなり前からだったが特に最近は、ふらつき、突然に起こる腰痛、体中の掻痒と痛み、筋の突っ張

り感と喉のつっかえ感やら咳や痰に悩まされている。

これだけは老化現象の中でも、些細なことで命に関わることではないけれど、嫌なことの一つ

ではないだろうか。

 

背中のかゆみにたまらず薬を付けようと昼間の明るい時間に裸になったのだが、目に入った自分の

裸に驚いた。勿論昔でも男性美に輝いていた肉体のわけでもないが、それでも艶と張りがあったはずだ。

三面鏡に写ったのは、胸筋の皺、二の腕のたるみ、思わず触るとまるで絹豆腐のような感触、肩の筋肉

が落ち骨が目立つ、それでいて腹だけは可愛らしくポッチャリ。太腿は細り皺だらけだ。

こんな我が姿に愕然とする。これが老化という自然現象だとすると、老化というのも結構残酷なものである。

 

表にさらす顔や首筋などはそのたるみ、垂れ下がった瞼やむくみ、皺でくすんだ色等はとうに認識していて

慣れていたが、この自分の裸の姿に改めて老いの現実というのを思い知らされた。

 

私はどうももう老人の坂道の一番坂の下に居るようだ。するともう道はこれからは平坦だけだろうから、

ゆっくり進めばいいのかも知れない。

明日からはにっこり笑って、できる限り体を動かして、暗くマイナス志向に考えず明るくそして無理にでも

楽し気にやっていこう!

それにしても早いものだ。

これといったことも何もせず、心や体の不調を嘆いているうちに11月も終わってしまう。瞑想!

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11月28日 南湖でのピンポン

2023-11-28 16:37:35 | 日記

 

   『 茜色に富士のシルエット 』 

      遠藤 崇昭さんさん 撮影

 

車無しの3回目になるが、いまだその都度どうしよう!休むか!だるいけど

意を決して出掛けるか!等と悩んでいる。

しかし今日は、なんとまぁやさしい息子が、毎回は出来ないよという厳格な

条件付きで、在宅勤務を調整してくれて、前回のように送ってくれた。

今朝は特にだるかったのでこれには大いに助かった。自分で行けるように徐々に

自立しなくてはなぁと思いながら車に乗っていた。

 

歩いてそしてバスに乗って、そしてまた歩いてと思っただけでどうしようと思って

しまう。こうした気持ちを何とか乗り切りたいものだ。

 

今日は11人だった。思い立って皆のフォームの動画を撮った。後で研究の資料だ。

11時までの2時間だったが、私にはちょうど良かった。

帰りは何とマァ私は運の良いことか、やはりやさしく娘の旦那の親切なマァちゃんが、

テレワークの合間に向かいに来てくれたのだ。有難いことだった。

 

話はがらりと変わるが、我々がこうして楽しくピンポンをしている最中にも世界では戦争が

何ケ所かで継続中で、今我々の誰かが見事なスマッシュをした瞬間にもあちらでは誰かが

打たれて命を落としているわけだ。

そう考えると何とも落ち着かない気がしてくる。終わってから帰り道に回転寿司など食べて

なんて楽しい事などやってはいられない気がしてくる。

 

話は変わるけれど、イスラエルとハマスの戦争は宗教や民族の問題であり、複雑であり

どちらが悪なのかが中々分かり難い。昨日辺りはフーシ派なんてのが出て来てますます複雑な

相関図のようだ。その点ではウクライナの方はロシアが悪いと判断しやすく、ウクライナに

応援したい。プーチンとメタニアフ首相は、どこかの国が暗殺するしかこの戦いは終結しない

のではと思える位に頑なな、好戦主義の領土主義者のようだ。

彼らを抑えられる世界的な指導者とか政治家が出現してほしいものだ。

あのガザの病院の地獄の光景を見て彼らは何とも思はないのだろうか。

一日も早く戦火が止む事を祈るばかりだ。

 

疲れてがっくり、いま昼寝から起きてこの日記を書いている。冷えてきたが夕焼がきれいだ。

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11月27日 老いの坂道(80歳~)―(4)

2023-11-27 12:06:54 | 日記

 

         『 妙義山の見える夕景 』

      森川 由美子さん 撮影

 

80才までの状態の延長線上で、よりその状況に強さを徐々に加えて、頭は雲をかぶり、

体はまるで自分の体ではないようにだるくて、体中のあちらこちらに不都合や故障だらけ

になって、これが病や大量の薬服用の所為なのか或いはこれがすなわち老いというものの

現実なのだろうかと思ったりしている。

 

勿論この年齢でも色艶も良く元気な人も結構居られるのを知っているが、これは天が与えた

寿命とか運命というものなのだろうか。そうした方の話を聞くと何で我が身はと悔しく悲しいが、

これが天命というものだろうか。

私より若くして亡くなる方も大勢居られるのだから、これは何と言ったらいいのだろうか。

 

こうした現実をどう前向きに受け止められるかが、この年代には特に必要なことなのだろう。

これが老いの生きる知恵なのかも知れない。

 

昔から妥協とか諦めとか、いい加減さとか適当になんていうのは私の得意芸だったから、

(そのくせ内心ではいじいじしていたのだが)大いにそれを発揮して適当に程々に曖昧にそして

ズボラに怠け者で、あまり悩まず考えずに過ごすのが一番なのだろうか。

 

老いの坂道の例えでいえば、もうほぼ坂を下り切ったという気がする。

本も一寸前迄は10頁は読めたものが5頁に、内容もすぐ忘れてしまう。10歩は歩けたものが5歩に

それでも息が切れ、酒も2合だったのが1合がやっとに、便通も2日に一遍が3~4日になりと、

他にも微妙な所にも様々な変化が表れている。

 

いずれにしてももうこれからは小さな変化はあるのだろうが、坂は下り切ったような気がする。

坂の上の雲を羨まし気に、懐かし気に見上げるだけである。

 

昨日はかなり心身共に頑張って一寸ばかり遠出をした。千葉迄、家族皆でだったが女房の両親の

お墓参りだった。

千葉にいる女房の兄妹家族も集まるので迷っていたが煽られる感じで決心した。

外出は何という久し振りだろう。駅の階段に気を付けてゆっくり行動した。グリーン車を使って

何とか無事に帰って来れた。疲れた。帰っても酒の一杯も飲む気もなかった程だった。

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11月23日 老いの坂道(75~80歳)-(3)

2023-11-23 09:50:16 | 日記

 

    『 学校へ通うトラムの朝 』 

       高橋 カリンさん 撮影

 

この年代には、もう飲みに行くことも、一寸した集まり会合などへの出席も、人との付き合いも

激減して、外とのつながりはスマホのメール位になってしまった。

何年も気にしていた両親の故郷へのお墓参りも行けなかった。外出の気力などまるでなかったのだが、

一度だけ70になってすぐだったかと思うが、娘夫婦に連れられて車で草津温泉に行った。

これが唯一の遠出であった。出掛けなくても、あまり行こうという気もだるくて湧いてこないのだから

一向に苦にはならないけれど……。

 

80才の大台がちらちら見えだした頃には、先人方の言う通りまるで崖から転がり落ちる様で、

もう散歩は出来ない(最も元々嫌いで、何の目的もないのに歩いたり走ったりが出来ないタイプ

だったので)、外出と言えば通院かコンビニへのワンカップの買い物だけだった。

 

眠りに就く前に読む本も、あれ程興味があった哲学でも心理学の本でもなく、

時代小説(チャンバラ、捕り物)になった。

もちろん陶芸はとうに止めて、絵の会の方も残念ながら休会中という名の退会という有様で

そのままになってしまった。

 

唯一この青鳩のピンポンだけは、人に替わって貰いながらだし、女房の車の送り迎え付きだったから

だろうが(一緒にやっているので)何とか続いていた。

それもだんだん人に替わって貰う回数が多くなってきてしまった。床に落ちたボールは拾ってもらう

という有様であった。

車での送迎付き、プレーは2回に一度は自分の番が来ても代わってもらい、重い台の出し入れも出来ず、

プレーをすれば一歩も動かず、手の届かぬところは追いもしない、フロアーに落ちた球は人が取って

きてくれるという、情けなくも養老院ピンポンというか、殿様のピンポンとでも言ったらいいような

有様だ。周りの方々にも迷惑をかけてしまっている。申し訳ない気がしていた。

 

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11月21日 今日からバス通勤だったのだが!

2023-11-21 20:01:33 | 日記

 

    『 私の専属運転手が定年退職する 』 

       森川 雅昭さん 撮影

              81歳を契機に免許返上したママへ娘夫婦から

    卒業祝いの花束が贈られた。 ご苦労さん!

    でも私はとても不便になった。

 

今日は車が無しになって2回目のピンポンだった。

前回は運が良かったのだが、いよいよ試練の時が来て3会場の中で一番遠いハマミーナだ。

ここは自転車では完全に無理なところだ。

時間をうまく合わせて歩いてバス停まで行ってバスに乗るしかない。

これが今の私にとってはなかなか難儀なことだ。

 

ところが昨日のことだが、明日はどうしようかなぁと又思い悩んでいたら、

守夫さんから車が空くから一緒に行きましょうとメールが入った。喜んですぐ返事してお願い

することにした。

 

これで2回とも幸い送ってもらえた。なんと運が良いものか。昔から日頃の私の行いが良いから

だろうかと勝手に思った。

しかし次回からそしてこれから先を考えると心細くなるが頑張るしかないのだろう。

 

朝から快晴だ。空気は冷たくピリッとしていたが午後には暖かくなった。

14人が参加。療養中の簗瀬さんを除けば全員参加だった。

明るく広い会場で見ているだけでも気持ちが良い。シングル4回、ダブルス2回だけで、あとは

替わってもらった。見学していて、皆さん上手になったものだとつくづく思う。

いささか個性的なフォームでラケットを振っていない人が多いようだが、あれだけラリーが続く

のだから、お楽しみピンポン健康ピンポンとしては、いまさら言う事もなくこれで良いのだろう。

 

この時期は5時に終わるともう真っ暗だった。車で助かったが疲れた。

腰がさらに痛くなった。これでバス停まで歩いてバスを待って、バスを降りてから歩いてという行程を

これからやれるだろうかと心配になった。

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