『 私の部屋から見た景色 』
先月初めに隣家のおばあさんが亡くなって空き家になってしまった。
アメリカ住まいの二人の娘さんが、戻って来ていろいろ慌ただしく動いて居られるようだ。
周りの11軒で所有する私有地道路で袋小路の突き当り3~400坪の敷地に平屋立てという
条件だが、もちろんあの広さの土地だから4~5軒に分割分譲されて、そのうちに家がびっしり
建て混むのだろう。
今迄我が家の庭側の南面が平屋であったため、絶好の日当たりで二階からの景色は空が広くて遠くまで
見渡されるという好環境だった。50年間もこうした環境だったので、目の前に隣家の壁が迫り日が当た
らなくなる、何軒も出来て騒がしくなり、車の何台もの出入りが増えて、この狭い袋小路には危険と難儀
なことが起こるのかと思うとがっかりだ。
残念だけれども、しかしこれはやむを得ない当然のことだと思うしかないのだろう。時の流れだろう。
何となく恐れていた工事がやがて始まると,1年位は騒音や何やかやに悩まされ落ち着かない日々になるの
だろうか。それに早く慣れるしかないだろう。
今迄ここでも、何十年も様々な人災はあったのだが、それを別にすれば良好な環境を享受してきたのだから
諦めるしかないと自分に言い聞かせている。
新たな人々の流入で、また新しい人災だけはないように願いたいものだ。
50年の時の経過は、住宅事情も経済事情も厳しくなって、人の心も環境もいろいろと変わっていくものだ。
先日行った子供のころの会津若松でさえも、すっかり様変わりでノスタルジャーとか哀愁とか懐かしい感傷
などに浸るのは難しかった位だったのだから、
時と共に人は変わり町の景色も代わり、人々の心も空気も変わってしまうようだ。
それでもやがて隣人になる人達が願わくは、今度はせめて常識良識ある人達であった欲しいと祈らずには
おられない。