とうとうと言うか、どうにかやっとと言うか満84才に辿り着きました。
生まれたのは今日の朝なのか夜だったのか、母から聞いた筈だろうが記憶にない
のが残念です。私の周りには、体はしっかり頭もはっきりで活躍中の方が何人も
おられるから、私の84才なんてのは、珍しくも偉くも全く何ともないことだ。
しかし私自身の胸の内では、これは奇跡の様な気がしているのです。これも
うちの奥さんのお陰と口では言えぬが思って感謝している。
亡き父母や兄達も、あの子が80過ぎまで頑張っているとはと、きっとびっくり
しながら喜んで呉れていることだろう。
幼少の頃、疎開先の会津若松で重症の肺炎を、父の一番大事な1枚の絵と交換で米軍の
ペニシリンを手に入れ助けて貰ったこと、4年生の時には川遊びをしていて深みにはまった
ところを2才上の兄に救われたこと、体の弱い私を何時も励まし精神的にも支えになって
くれた母、そして親戚知人友人には本当にお世話になって生きてきたと言う気がする。
自分の人生は人への感謝することばかりである。周りの人にその感謝のお返しをしなければと
言う気持ちで生きているつもりだが、まだまだその何分の一もお返しは出来ていないだろう。
その意味ではもっと長生きしなければ恩返しが追い付かないが、それがなかなか大変なこと
だし心苦しい。
体の弱かった私が、とにかく今日の日を迎えられたのは感無量であり、深く両親、家族そして
周りの友人知人方に、この年になって改めて感謝するばかりである。
世間ではコロナで外出を控えている人が多くなり、それは急な認知症の発症をする人を増やして
いると問題視されている。
一生懸命に外出して、認知症にならぬように(感謝の気持ちを忘れてはいけないから)生きたい
ものだ。果たして来年の今日はどんな事を考え、何をしているだろうか。