『 誕生日の時の花 』
早いもので今日で86才と1ヶ月になる。
それらしい生活をしなきゃとは思う。余りに今のような何もしない勝手気ままで、
動くのは億劫なんて生活ではいけないと思う。
しかし反面内心では、だるくて何もしたくないのだから良いじゃないか、この年に
なったらもう自由に何にもとらわれず、自分で変な規律や制約やノルマなどを作り
たくない、と言うのが本音でもある。
今や毎日の日課になった午後の2時間の昼寝は、これが夜眠れない眠りが浅いという
睡眠不足をやっとカバーし補っているもので必要なのだと思っている。
ただ運動は、せめて軽い散歩位は必要なのではと毎日思いながらも、一歩も外にも
出なかった日には,何か後ろめたさを覚えてしまう。こんな日が多いのだが。
先日、昔の会社の私も所属していた1部門のOB会が新橋であった。
私は行けなかったが写真が若手の幹事さんから送られてきた。それを見て今更ながら20年
という月日の長さを思った。光陰矢の如しで、時間は人々にシワだけを残して飛んでいくようだ。
25人が映っていたが何と4人しか判別できなかった。直接会えば又違うのだろうが、この
老人集団には驚いた。
一部若手OBは知らない人もいるから当然分からないが、お世話になったり苦楽を共にした先輩同輩、
可愛い後輩などを忘れる筈はないのだが、この写真では多くの人の顔を見ても首をかしげるばかりだった。
時間は何と残酷なのだろうとさえ思った。
もしこの中に自分も映っていたとするとどうだろうか。出席できなかった人がもしそれを見れば、
やはり誰だか判らないのだろうか。
髪は薄く顔は皺だらけ目尻は下がり猫背で小さくなっても、それでもこうして元気に新橋まで
集まれる皆さんは万々歳という所なのだろう。
皆さんが元気で楽しく過ごして下さいと祈る気持ちが自然に湧いてくる。