『 年末の日の夕暮れ 』
森川 雅昭さんさん 撮影
世界中が暗いニュースばかりだった.。大谷選手のこと以外では、天災、人災が続いて
近来にない位の悲惨な年だったのではないだろうか。
世の中には悪いことが続いたが、私には体のことを除いては何もなかった。
しかし何もないという事は、幸せなことだったのだと最近では実感している。
若い時ならいざ知らず、今の私の年代では、平凡、平穏、退屈、虚無、無事そして今日も
息をしているなんてことが一番なのだと分かったような気がする。
本当にいろいろなことがあった。社会的には嬉しいことや喜びも、そしてそれの何十倍も
多くの怒り嘆き悲しみ不満という事があった。
社会の出来事に無関心になり、何も感じなくなると、ボケはもう直ぐだという。
私はもう半分位はなりかかっているかも知れないが、世間には嫌でも関心を持たざるを得ない
出来事が多く、なかなか完全に呆けさせては呉れないようだ。
こんな世情が日本人の呆けないでの長寿人口増加に貢献しているのかも知れない。
年賀状は今年はやっと80枚だけ書いた。歯茎の痛みに耐えながらだった。
年々激減してはいるが、来年も頂く限りは出さねばならないだろうという思いで書いた。
欠礼のはがきも10数枚あって、そのたびに故人を思い出しては、悲しんだり懐かしんだりだった。
生きているものには必滅ありというから、自然の摂理とは言いながらも虚しいものがある。
1人また1人と、親しかった人、親戚友人等が欠けてしまうのは何とも悲しいことだ。
あちらの世界の方が、自分の大切な人、愛する人、親しい人が多くなると、自分の死もそれほど
怖いものでなくなっていくのかも知れない。
来年も又、元気もそこそこでいい、不便や痛い処や不快な所が少々あっても、まだ精一杯生きて
みようかと、明るい日光と青空を見ていると思える。
まだまだこの世には私には未知なこと、不可解なこと、あるいは未だ経験したことのないような
楽しみやめくるめくような喜びがあるのかも知れないから。
まだ食べたことのない美味しいものがあるかも知れないし。
来年も皆が健康で安泰である年でありますように、そして願はくば世界に平和が、とにかく戦火
が消えることを祈る。 しばし瞑目す…。どうぞよいお年を。