まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

12月19日 コロハラとは!

2020-12-19 12:13:03 | 日記

 

          『 沖縄たよりー2 』

                    真田 幸夫さん 撮影

 

もう年末までの間は、この日記にはコロナのことは書かないと

決めていたものの、さすがに無視は出来なくなってしまった。

東京が800人を超え全国の1日の感染者3300人にとなると、

なかなか知らぬ振りや無関心振りも出来そうもなくなってしまった。

やっとこの事態に至って、GOTOを中止すると宣言したり、

なおも医師会とよく相談してなんてコメントを聞くと薄ら寒く

なってくる。この状況の現実は、もはや政治判断、決断の時だろう。

医師団も政治への(将来の病院や医大への国費補助とか私学補助金など

への思惑や配慮があるのかなんて勘ぐってしまう)忖度など無用にして

科学的医学的見地から、実情を正しく伝えて声を強く上げるべきである。

 

町には不穏な空気が,ぎすぎすした雰囲気がいよいよ出てきた様だ。

いわゆるコロナ・ハラスメントと言う言葉が目に付くようになってしまった。

自粛、失業、生活難、感染の不安、病院崩壊(今倒れたら死ぬしかない)、

明日の見通しが立たない、不安、焦燥等が募り、国民がイライラ状態である。

早く沈静化しないと、人々は互いに怒り,罵り合い、自分だけは守りたい、

自分はクリーンだけど他人は皆、菌の保有者ではと言う感覚に陥ってしまう。

そして人を嫌い疑い、遠ざけると言った暗黒の社会になってしまう。

コロナの勢で孤立する、それだけならまだしも、マスクをしてない人を見たら

怒鳴りつけると言うマスク警察、店の店員に無茶な八つ当たりや暴力沙汰などと、

まるで自分以外の周りの人は全て菌を出しているかのような振舞だ。

これは精神的な集団的ヒステリーの状態で、やはり一種の神経異常だと言われている。

町中がこんな人で溢れたらと思ったらゾッとしてくる。

早く終息し元の正常な日本人に戻る事を祈るばかりだ

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12月17日 老人訓―(2)年を取ったら気を付けること!

2020-12-17 15:18:25 | 日記

 

 

    『 庭の初氷と葉ボタン』 16日の朝

      須田 孝雄さん 撮影

  最近は淋しい老人が多いとかで、その為の老人訓というか老人の生き方、

       考え方の啓蒙の本が多く出ている。それだけこの長寿社会は、めでたい反面、

       問題や悩み深い人が増えていると言うことなのだろう。

      私ももちろん淋しい老人なのでよくそんな本を読んでいる。

  そんな本が教えている共通項は、他ならぬ「人を好きになること、どんな人でも

  好きになりなさい」という事だ。これが楽しい老後のためのポイントのようだ。

  心理的には、人がある特定の人を嫌いになるのは、なにやら生理的に合わない

  と言う我が儘な人の数少ない例外を除けば、まずは自分のプライドが傷つけられた時、

  次は相手が自分より優秀とか上だと思った時、そして三つ目は相手が自分を好んで

  いないと思った時だそうで、これが日常生活でも、それの大きな要因だと言われている。

  しかしこれも年を取れば、人との利害も、競争やライバル意識も、上下関係も恋愛関係も

  (あっても好ましいなぁ!いい人だなぁ!と思う程度だろうし)総じて薄くなっていく

  のが普通だろう。

  すると嫌いにはならないが、好きにもならないと言うケースが増えてしまう。

  それではいけないのだと老人学の心理学者は教えている。

  人を好きになれば、人にも好かれるものだという。つまり人に嫌われている人は、

  人を好きにはなれない人が多いのも事実だろう。

  75歳を過ぎたら、人に嫌われないコツは、他人の話をよく聞くこと、自分以外の

  事にも関心を持つこと。そして無感動、無感情、無表情ではないこと。

  人への思いやりを意識し、自分の世界に入り込まないことだと言っている。

  80歳を過ぎたら、もうそんなことは、どうでもよくなってしまうのかも知れないけれど。

  何時までも新鮮でナイーブな神経と感性を持ち続けたいものだ。

  そしてもう聖者みたいなものなのだから、いろいろな状況で人に嫌われれる事もあるかも

  知れないが、少なくても人を嫌いにだけはならないようにしよう。

  それが心暖かい老人の人生訓のポイントであるようだ。

 

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12月15日(火) 老人訓よりー1 年をとったら人を好きになれ!

2020-12-15 14:39:00 | 日記

 

        『 黄色の山道 』 瑞がき山

           森川 雅昭さん 撮影

  今日は12人で練習する。そろそろ暮れも押し迫り皆さんお忙しい

  だろうが、このピンポンの出席率はきわめて良いのが嬉しい。

  これが気分転換やら、運動にもなって、知らず知らずに心身への刺激に

  もなって皆の健康維持や老化の防止に役立つのだろうと信じている。

  さて今日から大晦日まではコロナの事は書かない事にしたのだから、

  気になる世間の情勢を横目にしながらも、目をつむり何か別な事を

  書いてみよう。

  先のゴーン氏のことでも、竹島、香港、台湾や南海の海などに関する

  中国外務省広報官の話しぶり、アメリカ大統領選での罵り合い等でも

 示される通り、人と人、国と国という別人格の両者は、立場、思想、

 信条、性格、常識、境遇、価値観が違うのだから、両者の意見の食い

 違い、誤解は、いつも全て己の側が正しくて、相手の言い分には聞く

 耳を持たずで、ただひたすら相手に対する嫌悪感を深めるだけなのだろう。

 国と国ではそこへ大きな利害、利権、国の面子や野望がかかっているの

 だから、この絡んだ糸は容易には解く事は出来ないだろう。

 これほど大きな事ではなくても、我々の身近な日常生活での人間関係でも、

 昔の現役時代から嫌と言うほど、様々な行き違い、誤解、憶測等による

 人間同士の齟齬のケースを見たり聞いたり体験したりしてきたものだ。

 人間は哀れなことに、いつも自分が善であり正義であると思いたがる

 生き物だという。生来の性格、環境によって作られた気質や自分の人生観、

 学問、知識、体験などによって、自分独特の考えや自分の判断基準が形成

 される。

 だから人とは様々な行き違いや誤解が生じ、それによって反目したり好きや

 嫌いや、相手に対して気分を悪くしたりの感情の発生は当然なのだろう。

 しかし年をとると言うことで良いことも幾つかあるが、その一つにそうした

 感情の揺れが昔に比べてきわめて弱く少なくなっていることである。

 そして二つ目の忘れっぽくなることがあるが、その二つが少々の時間の助けを

 借りて、そんな感情を和らげてくれるものだ

 これを時には、老成と言ったり悟りと言ったり、又ある時は無気力とか呆けとも

 言ったりするけれど、それで良いのかも知れない。

 こんな現象を利用して、人を嫌うや恨むだとか、羨む、妬むなどのマイナス要因を

 卒業出来れば、いやでも笑顔になっていつの間にか人を好きになっており、人を好き

 になれば、それは同時に人から好かれてもいるかも知れない。

 人を嫌うより好いた方がどんなに楽しいことか!

 

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12月12日 年を取ったらもう怖いもの無しだ! しかし……。

2020-12-12 10:58:35 | 日記

 

   

   「 沖縄 たよりー1 」

      真田 幸夫さん 撮影

 

とかく老人は、頑固だ、無神経だ、威張っているとか汚いとか言われて、

人に特に若い人からはあまり好かれていないというのが相場です。

時折駅の改札口や町中などで切れまくっているお爺さんを見かけることが

あります。我々老人は(決してここで言う老人とは、青鳩全員のことでは

ありませんよ、私をはじめ一部の人だけですけど)、心しなければなりませんね。

もうこの年になれば、何も人様などに好かれなくても生きて行けるよとも言えますが、

やはり晩年になればなるほど、人に嫌われ、親しい友達(例えそれがどんな相手だった

としても)の1人もなく、人に相手にもされず、関心も持たれないのも、寂しいだろう

なぁと思います。

老人とは青年中年の延長線上に居るだけなのだから、若い時はいい男だったとか、

切れ者だとか頭が良いだとか冷淡だとか言われた出世タイプでも、怒りっぽい、

激しい人、何かと突っかかってくる様な唯我独尊タイプの嫌われ者だった人でさえも、

年を取ると丸く変貌するものと言われるが、しかしその片鱗を何処かに残しているものだ。

後期高齢の年代は、つまりもう昔のような上下関係や利害関係もそして残念ながら

恋愛関係もなくなり、遠慮も少なくなり、まさに見栄も気取りも偽善もないスッピン同士の

付き合いなので、逆に互いの個性やミゾや好き嫌い、相手の欠点や嫌みなどがクローズアップ

されてしまいます。

それによって様々に喜劇や悲劇や愛憎劇が生まれる場合があると言います。

だからこそ我々は,気持ちを穏やかに笑って人と接したいものです。

しかし三つ子の魂百までで、生来の性癖はそうは直るものではありませんから、嫌われても

一寸も気にしないよ、淋しくなんかないよと強がりに腹を括るのも一つの手ではありましょう。

それでも孤独な晩年が嫌なら、努めて人の話を聞くことそして他人への関心を持ってみること

でしょう。

もう今更、何も恐れるものはないと強がり、見得を切っても、それでは何か空虚で、人間の最後

の矜持としては如何なものでしょうね。

 

 

 

 

 

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12月10日(晴れ) アルコール綿のマドンナ!

2020-12-10 12:05:12 | 日記

  『 冬の花火 』サザン 昨夜、我が家から写す

 

 大昔、中学校の時の遠足で何処へ行ったのかは忘れたが、

    帰りの電車で勉強の出来る素敵な「マドンナ」と、偶然

    並んでつり革に掴まっていたことがある。

   そのマドンナが、お医者さんのような丸い光った金属製の

   ケースからアルコール綿を取り出して、つり革の輪をよく

   拭いてから掴んだのを思い出した。さすがにマドンナは、

   やはり眩しく別世界の人で、異次元の事をするものだと驚いた

   ことがあった。

   アルコールの匂いの連想からふと思い出したのかも知れない。

   今では、町中にマドンナが一杯居る。消毒の度にあのアルコールの

   匂いが懐かしいような気持ちがしてくる。

   私が、アルコールを好きになったのは、きっとその勢かもしれない。

   あまりこのマドンナが高じると、エスカレーターや階段、手摺り、

  スイッチ、ボタン、ドアーのノブなどに触れなくなるから、

   程々のマドンナが良いだろう。

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