セザンヌの絵で左右でアングルを変えている絵があるのを知った。
なるほどと思ったのと同時に思い出されたのが…私事であるが、カメラの設定をいくら変えても思ったような絵にならないことだ。
万能のアングルなどありえない。見栄えや描きたいことのために、対象を別のアングルで1つの絵として描こうと、絵的には何ら問題ないわけだ。
人をカメラで嘗め回すように撮るとき、カメラを平行に動かすのか、一点に置いて向きだけ変えるのか、カメラの動かし方に幾通りもあるように、人の描き方も幾通りだってある。
何を描きたいのかによっては、人の表現は (^ー^* )フフ♪ にも行き着く。
マンガなどはこういった表現の連続だ。
・対象の様々な側面を1つの絵にする、様々な側面から見た対象を1つの絵にする、いずれにせよ優先されるのは何を描きたいかのはず。
・映画には遠中近の3台のカメラを同時に使う撮影技法がある(300の横スクロールアクション)。
・3DCGなら、複数のカメラをスムーズにつなげて一枚の絵にするレンダリング技法があってもいいような気がする(線カメラみたいな)。
・人の眼は、レンズは生だし眼底は球状だしで、中心と外では見え方が変わってくると思うのだが。
眼は対象を立体的正確さで見るためのものではない?
では、何を見ているのか?
ルネサンス期にパースで描く技法がもてはやされたが、そういった絵の価値観は写真に取って代わられた。キュビズムに至った表現法も、映像表現の氾濫した今では、額縁の中ではただ奇をてらっただけにしか見えない(言い過ぎか?)。
将来、眼が何を見ているのか教えてくれるような、新たな発見のある絵画に出会うことはできるのだろうか?
記憶は蓄積される。描けば尚更、深く強く。
見ることに長けた人たちが、見ることを怠らないならば、答えはすでに出ているのかも。