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「知る」という感情

2014-12-07 08:43:30 | もの思い

 感情は結果になる。
 泣く、笑う、怒る。
 非現実、因果関係がない、事実でないことも、感情を結果にすることで状況が成り立つ。
 これは物語でより顕著だが、日常生活でも普通に行われていること。

 しかも、感情で処理される事柄というのは、だいたいにおいて乖離している。
 思考が乖離した時、結び付く結論がなくなり、無理やり感情と結び付けて結果とする、ともいえる。

 論理的に正常な思考ならば、感情的になる必要もないからなのだが。
問題:だからといって、我々が見聞きし正当に理解した事柄が感情と結びついてないと言えるだろうか?

 そこで、こう考えてみる。
 知るというのは、見聞きしたことが「知る」という感情と結び付いた結果なのではないか。
 ただ、「知る」という感情が当たり前すぎて、それを感情と認められないだけ。
 我々が目覚めている間はずっと「知る」感情が働き続けている。

 こう考えるメリットは、すべての感情を同じ規格で考えることができること。「知る」感情が当たり前なら、他の感情も特別なものでなくなる。
 また、存在するのが当たり前であるという理由で省みられないのが避けられること。


 感情を介せば記銘されやすい。が、人間はそんな感情的なばかりではない。しかし、ただ知るだけの機能が発達するとは思えない。

 外部からの情報で単純に論理的な結論を導けることはまずない。そこで感情を結果として処理する。だから矛盾し、乖離を起こす。
 ちなみに、乖離には同じものの別々の側面でわかりにくい同系乖離と、対抗しててわかりやすい普通の乖離がある。いずれにせよ感情で処理されるので、わかったからといって解決はされない。
 これを適切に管理するのが、「知る」感情に基づいた思考となる。

 発生的には感情が先にくる。感情の元となる生理的情報の管理があり、やがてこれを記憶で管理するようになる。その時いちいち感情を介しては身がもたないので、模擬的に感情を再現して情報処理するようになる。やがて模擬的感情は、「知る」感情としても機能するようになる。
 こう考えれば、神経回路の強化だけでは説明し難い、精神構造の広がりも理解できるようになる………かも。


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