豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

あるがままに在るというのは達成する事ではないのです!

2015-05-05 11:52:28 | 読者に人気の記事
・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんにちは。

今日は午前10時ごろに起きてきました豊田です。

「ありがとう」と呟きながら洗面をする。

人生という贈り物に「ありがとう」

そのまま、座禅50分に入ります。

ゴソゴソ動き回る体、消化されていく妄念。

静まる事に抵抗している。



《ポチポチ応援クリック、いつもありがとう!》
哲学・思想 ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へにほんブログ村



抵抗があるところへ入っていく事で安らぎがある。

座禅を終えると、コーヒーを淹れて読書ですね。

快晴であります。

「知覚しない」と書いてありました。

これは知覚を残さない、跡を留めないということですね。

風が吹き、洗濯物が揺れる。

鳥が囀る。

木々がグリーンの輝きを放っている。

竹やぶは黄金だ。


こういったこと、頭の中で考えたり、感じていること。

心の中で、動いている、感情。

全部、跡を留める事がない。

自然に、すべて、在るがままにある。

そこに何かを認めようとする精神活動が、苦を生むのだ。

そこには誰もいない。

無我であるが、しかし、自己は存在しているのだ(爆笑)


で、家へ戻ってブログの更新ですね。

昨夜、読みかけていたグルジェフさんのインターネット情報が、開いたままになっていたので、続きを少しだけ読む。

アクセス解析を見る。

癒し系のBGMを聞きながら、開始しています。

ピアノとストリングスの楽曲って心が洗われるようでいいですねえ。


さて、何かありますでしょうか?

そうですねー。

精神世界と隠遁について思った事があります。

何か、ああいう世界の人たちと微妙な、感性のズレがあるのですが、それは、何かを認めて、それをイマジネーションの世界で開いているところかもしれません。

例えば、ある、メッセージがある。

『生命に委ねる』という言葉があったとして、その『生命』は頭の中で固定化できないものの筈なのですが、生命とは、こうであるというイマジネーションが、恐らく思考内で固定されて、その想像の中の生命に帰っている、委ねているという事です。

リアルな生命は、目の前に開けている未知の世界。

それは持ち運ぶ事もできないし、頭の中で再現する事は不可能なのです。


リラックスするという方法も、ハートが開かれる事も、認識を捨てる、手放していく事も、ずーっとしていることなのです。

達成して、自分のものにして、内面に形成するものではない。

人のものにできるものでもない。

ただ、その場、その場で、放っている。

また動くから、跡を留めない。

自然に帰るという、この行ったり来たりの中で、動き自体が、何かに内包されていく事なのですね。

その内包している力は、想像の中、内面の中には、ないんです。


ここに拘るのは、スピリチュアルで何かを達成したという人が(まあ、僕も、そういうの散々書いてしまいましたが、笑)明らかにメッセージを持ち運ぶ、自己を新たに囚われに閉じ込めている傾向が見えるからです。

そうして、その人は、他者も同じ傾向に導きます。

あるがままに在るというのは達成する事ではないのです!