豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

第五回ラジオ放送

2015-05-17 18:44:19 | ラジオ
※放送の最後でメルアド間違えて紹介してます。
 違う人に行くといけないので送らないでください!!
 ごめんww
 あと、スケボーとスノボーを間違えてるな……orz




※この放送に関する、ご意見、ご感想、切にお待ちしております。

平和こそが使命

2015-05-17 07:19:07 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



おはようございます。

今日は5時ごろに起きてきました。

悠聖が泣いているので、目が覚めました。

千鶴さんも起きているが体調が悪く、グロッキー。

「ありがとう」を呟きながら洗面です。

悠聖もチョコチョコ着いてきたかなあ、記憶あいまい。

それから座禅を50分します。



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やっぱり、ある程度の時間座ると違います。

フワフワと心の表面に付着した痛みが、抜けていくのが分かる。

姿勢が悪い部分に気がついてくる。

瞬間的に、無心になっている、自然に帰っているときがある。

あっという間に時間が経ちます。


座禅を終えるとコーヒーを淹れて読書ですね。

千鶴さんが台所で、ごはんを作ってくれていたが、ブツブツと僕が言うので機嫌が悪くなってしまった。

玄関脇で煙草スパスパ至福の読書。

心身の脱落について書いてあった。

もともと、脱落しているのが心身だとあります。

まあ、この感覚は、抜けている感じだと思います。

重荷が取れたみたいに、心身が抜けている。


で、家へ戻って、悠聖くんに食後のバナナをあげました。

喜んでいるww

千鶴さんは朝食を食べて、洗濯をしてくれている。

体調悪いのに・・・・・・有り難いなあ。

「ありがたい、ありがたい」


煙草を吸ってPCの立ち上がりを待っている間に『奇蹟を求めて』のグループの章を朗読する。

いいですよ、ほんとに、この本は素晴らしい。

クンダリニーについての注意がありますね。

それが『空想』の力であるらしいです。


で、ブログの更新ですね。

自分のラジオ聞いているけど、クチャクチャ食べてる音が・・・・・・うざいww

すいません。

まあ、話している内容は、好きだなあ。

まあ自分だから当たり前だけど、それ、それ、と想ってしまう。


千鶴さんが、後ろで絶望的な視線を向け、悠聖は、ビールの空き缶を運んでくる。

後ろで、戸を開けたり、閉めたり、滑り台で遊んだり。

自由奔放。

それこそ、開放。

自我の牢獄が、まだ、形成されていないのだ。


最初からある世界と、自己を分離させたのが、この壁である。

この壁のことを、緩衝器とグルジェフさんが名づけたのであるが、これは恥の感覚、罪の感覚と結びついている『嘘』である。

この嘘を破壊するには『誠実』に自己を内省することなのだ。

そして、そこに個人性を見ないというのはテクニックである。

ノンデュアリティ(非二元)ブームで、その個人性がないことが注目されている。

確かに、それは、真実だが、存在というのは、そこを指していないのだ。

私は、存在する。

それは、自然の力に抵抗して、そこに魂を形成していることなのである。

つまり、これは、例外的に、個を、破壊したところの存在を形成しているのだ。

しかし、それは最初から在る自然と融合した状態を利用している。

まあ、この部分は、僕の理解が及んでいないので、要、研究ですね。


しかし、あんまり「私はいない」という言葉の響きは好きではない。

私は存在しないのは、屈辱的な状況であるという認識の始まりである。

これはグルジェフさんの「人間は機械である」と同じ指摘なのだ。

そこから、避けられぬ「自然死」に対する挑戦が始まるのであり、正に、強烈な問題を提供していることになる。

それは真理だが、そこが、集団性の問題を発生させ、戦争が起こっている。

平和であるには、個が立たないといけないのだ。

集団に入ると、個が、立たないこと、勇気がないこと、が問題なのだ。


国の機構が保存されたり、階級差別が存在できるのも、全部、個が立たないからだ。

だから社会教育で、できるだけ、自分を消す事を教えるのである。

様々な規則を守らせる。

最初は、単純な事である。

時間通りに、行動する事だとか、誰かには「挨拶」をするとかね。

でも、それが『正義の戦争』へ導く事もある!

命令されたら、個は、逆らえないからである。


私がいないとなれば、更に、問題が加速する。

それなら、なんでもOKとなってしまうではないかww

なんでもOKなわけがない。

そのままでOKというのは、自然に帰ることが条件になっている。

自然というのはリアルの事で、そのリアルに在れば、戦争という発想がないのだ。

もちろん、個人同士の喧嘩はあるだろう。

しかし集団と集団の戦争は、これは絶対に、いけない!

正義の為にしてはいけない。

『正義』こそが、悪ではないかwww

これまでのすべての争いが、公の、全体の利益同士の対決である。

全体に従う人がいなければ、起こらないのだ、笑

単純な話である。


意見が合わない人同士が、個人と個人で争うのは普通だが、集団的に、人間が人間の頭を物理的に破壊しているのは、絶対に、異常だ。

それは、今も、起こっているのである!

共通の利益の為に、集団が、集団を襲うのである。

危険すぎますね・・・・・・。


それを解決する事が、宗教、哲学、思想の役割ではないか。

教育は、その為の、教育であるべきである。

平和のための戦争というアホな発想をしている人は一体、全体、冷静に自己を振り返った事があるのだろうか。

平和のための愛でしょうが普通ww


って、まあ、それは『良心』がキーらしいですね。

そして勇気が、そこにプラスされていなければいけない。

アンパンマンのように『愛』と『勇気』が友達であるwwwwww

それを、形成していけば、社会は変わる。

「義を見てせざるは勇なきなり」と武士道の根幹の言葉だ。

昔の日本人は300年の平和を維持していたのだ。

それを、崩壊させたのが、なんだったのか。

欲望である。

欲望を基調とした人間は、嫌われていたのが、今は、絶賛されるww

商人は最下級であったのが、今は、最上級である。


グルジェフさんが指摘するように、無欲が貪欲を制するものだけが、愛を持てるのであり、また、真の個人である人だけが勇気をもてるのだ。

それは『集団』への『神』への『自然』への反逆なのである。

その反逆が、平和を実現するのだと想われる。


アメリカでのグルジェフさんの思想伝達の任にあたっていたオレージさんという人がいた。

オレージさんが、教えていたのは私の教えではない!

と、グルジェフさんが指摘した。

そして、グルジェフさんは、私の教えに従う人は、オレージさんと決別するという証書を作り、それにサインした人だけに、教えると伝達。


なんと、その証書に、オレージさんが魂の、つまり血の署名をしてしまったのである!

そのとき、あまりのショックにグルジェフさんは慟哭した・・・・・・。

自分の教えていた弟子が「私が存在する」ことを指導した弟子が、魂を、つまり、自分の教えを捨てたのである。

これは実は、グルジェフさんの教えを捨てた事なのだ。


私は存在しないとなれば、このとおりである。

右を向けと言われれば、右を向く。

左を向けと言われれば、左を向く。

それが、集団の中での複数の人格であり、それと対決しているのがワークであり、宗教、哲学なのだ。


平和の実現!!!!

これこそが、使命であり、現実の追求しているものである。

人類同士の集団規模での殺し合いのことである。

キリストは隣人を愛しなさいと教えたのであるが、誰が、それを守るのか。

それは『勇気』のある人でしょう。

まあ、僕も、努めていかなくてはならない。


それを手に入れるために『自己想起』があるわけである。

人間は、その場で「恥ずかしい」とか「罪がある」という風に誘導されると、とても弱いのであるが、それこそが自我の病なのである。

しかも、それを上手に利用した『人間の仮面をつけた悪魔』たちが世の中に、たくさんいるのだが、彼ら、彼女ら『魂を売り飛ばした人間』に死後、神がいるならば、何が待ち受けているかは、想像に難くない。

しかし、その『悪魔』は簡単に見抜けるのである。

自己を思い起こしていれば、集団の狂気による、殺戮は、起こらないのだ。

個人が、個人として立っていれば、無理なのだ。


小学校や中学校で、集団に従うように徹底して教えられるのは、それは奴隷を生み出すためのシステムである。

個人が立っては成らない。

私は、存在してはならない!

それでは『催眠術師』の想うがままになってしまいます。


真理は、私は、自然と一体、融合した、天地の姿として在るということです。

そして、その神の慈悲、仏の慈悲がこころを貫いている。

その慈悲の『絶対安心』の境地が、人を、独りで立たせるのだ。


現代のような『神仏』を否定した世界では、人は、何に従っているか。

明瞭である。

国家と階級制度に従っているのだ!!

それが戦争の実体である。

平和を実現するには『私が存在している』ことが必要不可欠なのだ。

それは『忍耐』によってしか生まれない。