・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
おはようございます。
今朝は6時半ごろに起きました。
千鶴さんと悠聖も同時に起きてくる。
珍しいなあ。
ちょっと、だるさ全快の中、遊んでいます。
それから洗面へ。
「ありがとう」連呼しながらします。
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悠聖が不思議そうに眺めている。
洗濯物のポケットチェックをして座禅15分に入ります。
眠気がすごかった。
僕は思いましたが、これは、完璧はないのではないかな。
いろいろと姿勢、感覚、呼吸、感情、思念、精神の動きを見ている。
感じている中に、それ以外の、何かが芽生えてくる。
エネルギー。
そこから私を消してしまえば、全体とひとつなのだ。
座禅を終えると、コーヒーを淹れて、読書ですね。
玄関脇で煙草も吸う。
快晴だねえ、今日は。
風も、心地よし。
なんか、千鶴さんが、横で手を叩いている。
面倒な奴だ!
なんとオムツを捨てる役目が僕なのだ。
捨てられないと言うのだが、オムツだけとかフザケテイマス。
他はできる。
絶対に策略ではないのか!?
あ、ちょい脱線しました。
えーっと、読書を終えて、ブログ更新ですね。
千鶴さんがバタートースト2枚とサラダを作ってくれた。
時間が無いので、PCの前まで運んでもらいます。
「家は満喫ちゃうでな!」と言っている。
ああ、満喫も結構長く働いた事あるのですよ、僕は。
さて、何かありますか。
実物と言うのは、この、今、目の前にある、リアルの事です。
非思量でいるには、何か、が無ければ難しい。
その時に、体→呼吸→心の順番に整えていくのであります。
体というのが、この目の前のリアルの事なのです。
それは、体の感覚が鋭敏になることです。
いつもは曇っている。
その体のエネルギーが解き放たれるにはリラックスが必要です。
体のリラックスから、呼吸が落ち着き、丹田から体全体に感じる、感情の広がりが豊かになっていくのですね。
感情と言うのは「思い」のこと「思惑」のことではないですよ。
ここがよく勘違いされていますが「ああ、悲しい」と話しているのは、思考です。
そうではなくて、悲しみの感覚、感じがハートに実際にある、そのエネルギーの事を感情と言うのです。
それが展開して「思い」となる。
それが心ですね。
ですので、この感情を整えるには、感覚を整える、感覚を整えるには姿勢を整える。
非思量となるには、思考を問題にしない事なのです。
その中身とか、判断とか、評価を外す。
そのために、このリアルに触れていく事がテクニックであります。
まあ、姿勢です。
姿勢と動作を意識して、感覚と感情を蘇えらせて、非思量、無心となる。
この非思量、無心、はリアルに在ることで支えられているのです。
まあ、簡単に言えば、目の前にあることに集中しているということですね。
しかし、同時に、自分の体にも集中して開放しているのです。
これが、自然へと帰る、方法です。
おはようございます。
今朝は6時半ごろに起きました。
千鶴さんと悠聖も同時に起きてくる。
珍しいなあ。
ちょっと、だるさ全快の中、遊んでいます。
それから洗面へ。
「ありがとう」連呼しながらします。
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悠聖が不思議そうに眺めている。
洗濯物のポケットチェックをして座禅15分に入ります。
眠気がすごかった。
僕は思いましたが、これは、完璧はないのではないかな。
いろいろと姿勢、感覚、呼吸、感情、思念、精神の動きを見ている。
感じている中に、それ以外の、何かが芽生えてくる。
エネルギー。
そこから私を消してしまえば、全体とひとつなのだ。
座禅を終えると、コーヒーを淹れて、読書ですね。
玄関脇で煙草も吸う。
快晴だねえ、今日は。
風も、心地よし。
なんか、千鶴さんが、横で手を叩いている。
面倒な奴だ!
なんとオムツを捨てる役目が僕なのだ。
捨てられないと言うのだが、オムツだけとかフザケテイマス。
他はできる。
絶対に策略ではないのか!?
あ、ちょい脱線しました。
えーっと、読書を終えて、ブログ更新ですね。
千鶴さんがバタートースト2枚とサラダを作ってくれた。
時間が無いので、PCの前まで運んでもらいます。
「家は満喫ちゃうでな!」と言っている。
ああ、満喫も結構長く働いた事あるのですよ、僕は。
さて、何かありますか。
実物と言うのは、この、今、目の前にある、リアルの事です。
非思量でいるには、何か、が無ければ難しい。
その時に、体→呼吸→心の順番に整えていくのであります。
体というのが、この目の前のリアルの事なのです。
それは、体の感覚が鋭敏になることです。
いつもは曇っている。
その体のエネルギーが解き放たれるにはリラックスが必要です。
体のリラックスから、呼吸が落ち着き、丹田から体全体に感じる、感情の広がりが豊かになっていくのですね。
感情と言うのは「思い」のこと「思惑」のことではないですよ。
ここがよく勘違いされていますが「ああ、悲しい」と話しているのは、思考です。
そうではなくて、悲しみの感覚、感じがハートに実際にある、そのエネルギーの事を感情と言うのです。
それが展開して「思い」となる。
それが心ですね。
ですので、この感情を整えるには、感覚を整える、感覚を整えるには姿勢を整える。
非思量となるには、思考を問題にしない事なのです。
その中身とか、判断とか、評価を外す。
そのために、このリアルに触れていく事がテクニックであります。
まあ、姿勢です。
姿勢と動作を意識して、感覚と感情を蘇えらせて、非思量、無心となる。
この非思量、無心、はリアルに在ることで支えられているのです。
まあ、簡単に言えば、目の前にあることに集中しているということですね。
しかし、同時に、自分の体にも集中して開放しているのです。
これが、自然へと帰る、方法です。