豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

あ~、おもしろいww

2015-05-06 11:34:39 | 日記
・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんにちは!

今日は午前9時50分ごろに目覚めました豊田です。

千鶴さんと悠聖、結佳がリビングにいる。

「ありがとう!」と元気よく。

やっぱり独りで呟くより、人がいると面白いなあ。

「みなさんありがとうございましたあ」とか、いろいろアレンジしてたら、冷たい眼で見られましたwww

ありがとうを連呼しながら洗面ですね。



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「髭の泡の残っとるしー」と結佳に言われた・・・・・・。

で、そのあとで座禅50分であります。

「にぃにぃ、櫛どこー?」と言ってくるから「その辺の棚とか探すか、千鶴さんに聞いて」と喋る。

まあ、50分あるしいいかあ。

体は動く、頭は動く、バランスは悪い。

イライラもする、落ち着きもする、無心にもなる。

様々な動きの中で不動の中心があるのだ。

それが虚の中心。

頭の上からフワフワと妄念は流れ去り、イライラは体の下へスーッと流れ行く。

あるのは手放し。


座禅を終えるとコーヒーを淹れる。

ついでに、テーブルの上にあったバナナを齧り、千鶴さんと会話。

玄関脇で煙草吸いながら読書ですね。

悠聖は滑り台。

楽しそう。

結佳と汎花も遊んでいる。

遊びの天才!

子供達!

顔面から地面に落ちた汎花が次の瞬間にニコッと笑っている!

親戚の叔父さんが来て、畑を耕運機で耕している。

「煙草の煙、こっちに来るやんか、怒り」と千鶴さんが苛立っている。


で、読書を終えてからブログの更新ですね。

久しぶりに『ルパン3世のテーマ』聞いております。

なんか次々に切り替えてくれるからユーチューブ便利だね。

音楽は、いいなあ。

気分転換には、最高であります。


さて、煙草吸って休憩してきたので、続きです。

まあ悟りの話も色々書きながら、自分でも研究しているわけですが、あれは、人に頼ると全部失敗しますね。

だれだれが言っている。

釈尊が、とか、あの野郎が、とかね、笑

自分が、理解する。

例えば、グルジェフさんは、自分の弟子は、全員、追い出したわけです。

まあ、中には、最後まで一緒だった人もいますが、基本、意地悪して、追い出しているんですね。

敵対関係になっています。

なぜか?

それは、自分のものを「何か」を掴んだからです。

そこから様々な、工夫をしていくわけですが、おもしろいのはウスペンスキーという人がいます。


彼は非常に天才で、まあ、数学者ですね。

哲学者。

まあ、今で言えばアインシュタインみないなタイプの人です。

知性で、何もかも追求していた。


そいで、最後には「ワーク」というシステムを説いていた彼は、自分の弟子に「あいつ等は全員、アホだ、何も理解しない」と言うのです。

「ワークなんか存在しない」とね。

そんな事、言ったら、今までの、あんたの力説は何だったのだ?

「構うもんか、あいつ等は、アホだ」

って感じですwwwww

で、最後は立ったまま逝った!

まるで、弁慶のようですねw

ロドニー・コリンって人がお弟子さんでいたようです。

「分かるかい? コリン。何かを手に入れようと思うのなら、本当の努力が必要だ。たとえ死ぬときでも!」というのが遺言です。


グルジェフさんは「私はあなたがたを混乱の中に、置き去りにして、去る!」というのが遺言だったようですね。


まあ、なんというのかね。

これらは、人に頼っているのではなく、自分で生きた人たちなのです。

ウスペンスキーも最初は、グルジェフのシステムがあると思い込んでいたのですが、本当は、全部、自分に帰るために、やっていた、一時的な方法だったのです。

相手が変われば全部変わる。

というわけで、万人向けの宗教なんか、ありえない。

自分の世界で、挑戦していることが宗教なのですね、もう。

例えば、女に夢中な、アイツがいたら、女が宗教ですわ(爆笑)

「宇宙を越える神秘、女だ」とバック・トゥ・ザ・フューチャーにあったでしょう。


で、何が言いたいかというとですね。

悟りというのは、自己で確信するものだということです。

あの人の言ったとおりだとか、本に書いてあるような体験をしたとか、全く関係ありません。

その人が悩んでいたら、その問題が残っていたら、意味ないのです。

小さな子供は悩んでいません。

だから、猫も、魚も、悩んでいません。

悩んでいない事が悟りなのであります。

だから、内容なんか、なんでもいいんですよ。


大空と一体に、なったーとかさ。

え?

自分が消えた?

その他にも宇宙からのエネルギーが落ちてきたとか、稲妻のような閃光に体が貫かれたとか、見える全てが私自身だったとか。

まあ、ありとあらゆることが、ここでは、説かれています。


それで、何が始まりますか?

アイツは駄目だと言い出すのでありますwwwwww

だって、これは、ぜんぶ意見ですからね。

あれが、正しい悟りとかいうのは、全部、頭から出てきている理論なのですよ。


そんなもん関係あるかい、アホども(爆笑)


例えば、ある人は、お気楽に行こうと言うし、違う人は、超努力だという。

どっちも関係ありません。

自分自身が、どうであるか、だけですね。

で、どちらをしてみても、自由なわけです。

これは、車をどれにするかと一緒です。

それが、高貴な、とてつもないものだと思うから、おかしくなるんだ。


わたしとあなた、の、消失が、悟りです。

だから、人に認められている必要は、全く、皆無!!!!

悩みがなくなったらOKなのです。

それが、一切衆生が仏であるということであります。


でも、あれですよ。

他にいろいろとやっていると、遅くなるのは確かですね。

一つに絞るのはいいとは、思います。


あの「悩まなければ、悟りなのです」

禅の問答、なんかでも、考えるのは許されないですよね?

即答です。

石に仏性はあるか?

有り!

石に仏性はあるか?



そのこころは?

一切は無にして仏性であるとか?

そんな感じです。


とにかく、生きてあるこの、姿は、神の作ったものなのです。

自分だけではなく、全世界が、そうでしょう。

この神というのは知りえないのです。

その展開してきた、結果である、目の前のリアルだけを知る。

そのリアルは虚空という人間の実体? というものから、出てくる。

出てくるというか、照らし出されているのだ。


じゃあ、どうやって知るのだ?

それは、絶望して、そこから、真剣に心が落ちる事なのです。

探し回ってる己、自身が、消え去る事なのです。

最初は、そこで、一旦、気がついて、そっから、再び、迷うんですが、今度は、迷いそのものが一時的なものだと気がつくのです。

全部、動いている。

留まるものはひとつもない。

でも、その根底にある虚空は、永遠に在る。

人間には感じられようが、そうでなかろうが、関係なく、いつでも、絶対に、無意識があるのだ。

無意識があるというのは、書き方として矛盾しますが、これがポイントなのです。

つまり無というのは、本当に、無なのです。

無我というのも、ほんとうに無、なのです。

これは、想定できないということです。


生きている、そのままに、流されていく。

そこで、跡を留めないことが、もう、すでに悟りなんですね。

自分が納得したら、他人なんか、ほっとけ!

知らぬが仏!


だいたい金とるやつは怪しいぜwwwww

まあ、必要経費ってもんもあるんだから臨機応変にだけどね。

法外な金とって、ビルとか立ってるようなん見たら、考えよう。

住職というのは、仏教の伝統を守る人のことであり、寺に住んでいる人のことでも、そこに出家した人のことでもないと書いてある。


で、何が言いたかったんだっけ?


とにかく、今、幸せであろうが、不幸であろうが、全体であろうが、個であろうが、不安であろうが、安心であろうが、そんなことは関係ないのです!

悟っても、不幸なのです(爆笑)

不幸はあるんです。

なんかさ、幸せは偉いとかない。

なんでも、すべて、そのまんまだけど、そこを残さないだけ。

すべては過ぎ去る。

「すべては過ぎ去る」ことも過ぎ去るw

それは言葉だからだ。


ね。

あー、おもしろwww

ぜんぶ、苦しい事も、楽しい事もプレゼントなんだよ。

贈り物。

偉くなったりすることは、関係ないの。

別に、あっても、いいけどね。


ただ、私が不動の無に気づけばいいだけなのです。

それは持ち運べないし、頭の中にもないのです。

無だからねwww

ほんとは実体ないから説明できないのです。

書く事は、ぜんぶ、嘘なのです。

だって、どれも、言葉だから、正確ではない。


あるがままでOkと考えるな、感じろですね。