豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

伝わるように

2016-01-04 13:32:24 | 日記
こんにちは。

今日は11時に起きて座禅。

千鶴さんに寝過ごしたので、今から向かうと連絡する。

親戚の叔母さんに悠聖のお年玉を貰う。

母親に聞いて、サンドイッチとケーキを食べる。

それから、勢和多気へ来ています。

今は多気のご両親と千鶴さん、悠聖、僕の5人で居間でのんびり。

今のところ本を読んだり、音楽を聴いたりは、していない。

でスマホからの更新です。


ちょっと思うところがあって、明日からブログの書き方を変えようと思います。

日記は簡潔にして、自分の伝えたいことは、日常とは切り離して書いていきます。

これまでは、僕と同じ興味関心がある人を念頭に置いていました。

そして、もしも、僕が行き詰まっていた事と同じ部分で勘違いしている人が、存在するなら必ず何らかの匂いを感じるはずだと確信があったのです。

それは苦の滅尽というのは、悟ってハイ終わりではないし、悟り自体は何ら特別なものではないということなのです。

自分の日常の中での興味関心に対する意見、そういう実際の事柄を書いていくことで、ある程度、伝わるものがあると思いました。

そして確かに、僕よりも理解の進んだ人たちは、このことを知っており、この出来の悪い日記にすら、その、核心を見た人がいることは疑いありません。

しかし、僕が本来、念頭に置いていた人たちは、このような日常的事柄への思いを書いているだけでは、なかなか伝わることが、ない。

もっと、具体的に知識、見方、考えかたのような事柄を自分の思いを、ある程度、抑えて、一般的に書くことで、伝わるかもしれない。

本来は、そのようなものは無駄なのだが、しかし、その無駄をしなければいけない。

例えば、日常、そのままの自分でOKだというのは完璧に間違いないが、それよりも内面の問題に対する対処を書く。

人間が眠っているのが、なぜ問題なのか。

または、禅の完璧さは、どうして素晴らしいのか。

などなど。

なぜ、わざわざ、感受性を高めるのか?

そのような事柄に興味関心のない人たちが、自力で何かを理解する前の、知識、見方を書いてみよう!

基本は、自己の内面に光を当てなければ、同じような苦しみが解決されず、自分自身であることができないということなのです。

この光というのは、内面を直視することで意識の志向性が、心の闇に届くことなので、そう表現します。

この注意の動き、志向性が、当たる部分が人間のすべてなのです。

それ以外は認識されないので、無意識の自然現象であって、言わば、機械のように自動的に、動いている。

このことが人間は眠っているという意味です。


スマホなので、今日は、このあたりで!

例えば、自分が怒っている瞬間を見て、何が原因か見るのは役に立つ。

プライド、自己中、不信など、様々な動きが、自己とは関わりのないところで、自動的に怒りを発生させる。

それが無明。

苦しみを知らず、苦の原因を知らず、苦の滅することを知らず、苦の滅する道を知らない。


なので、このような自己への働きかけが、たいへんなる価値があるんです。

自分にとって非常に有益です。

それが伝わるように、無駄である知識を書いていくことにしよう。

じゃあねー